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   <title>リビングサイエンスアーカイブス</title>
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   <title>市民にっとって科学リテラシーとは何か</title>
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   <published>2009-05-26T02:33:13Z</published>
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   <summary>相互に関連する3つの論点を示す。 (1)市民が直面する科学技術がらみの様々な問題...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.csij.org/archives/">
      相互に関連する3つの論点を示す。

(1)市民が直面する科学技術がらみの様々な問題の解決に、今の理科教育は役立たない。

技術の進展によって生活が変化しているという現実が、理科教育では考慮の外に置かれている。生活と技術と科学の関連をみすえ、「生活をよりよく変える」ために「生活の中の技術をとらえなおし適正化する」、そのためにこそ「科学的事実や原理を学ぶ」、という転換が必要だ。いわゆる“理科離れ”解消の鍵は、「予め用意された正解を導くための問」と「その正解にいたり着く過程を覚えさせることによる理解」という様式に固執することを止め、「この技術は私に何をもたらしているか」という問を思考の基点に置く（自らの価値観と科学的事実の認識を分離しない）アプローチを取り込むことだ。

(2)科学リテラシーとは、科学と技術に対してまっとうな文句・注文をつけることのできる能力のことである。

当然のことだが、科学技術のために生活者がいるのではなく、生活者のために科学技術がある。市民が科学技術との関わりにおいて指向する価値は、持続可能性や健康、安心と安全、人とのつながり、経済的負担の軽減……といったオールラウンドなものだ。だが、技術は利便性という面だけを押し出して導入されることが多い。それを適正化するには、市民がその技術を生活圏に引き入れて必要性を問い直し、生活実感とのずれを意識化して表明し、「何がよい技術と言えるのか」を開発側とともに考えることが必要だ。これは、広い意味での生活者からの「技術評価」や生活者と開発者の「ビジョン（あるべき社会像）の共有」を意味するだろう。そのための場や方法が求められている。

(3)「エセ科学」を叩くだけではコトは終わらない。

「怪しげな健康食品を買い求める人が少なくないのはなぜか」を考えてほしい。例えば近年の子どものアレルギー疾患の著しい増加は、環境の悪化が主因となった現象と思われるが、現在の医学では予防できないし、治療も限定されている。こうした状況で「病気はいい薬さえあれば克服できる」という、いわば近代医学への盲信が社会に浸透しているなら、怪しげな薬は市場に出回るだろう。診断も治療も薬剤も高度化してブラックボックス化すればするほど、患者が自身で的確なリテラシーを持つことは困難になる。患者の権利を保障する制度、医師・看護師などとの対話、患者支援の仕組み、コミュニティの価値なども含めた病の総体的なとらえ直しなどが求められるのはこのためだ。

（科学技術振興機構主催のシンポジウム「21世紀、科学技術とどう向き合うか」のパネリスト予稿、2008年1月16日）

      
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   <title>「食育」について</title>
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   <published>2009-02-27T11:25:40Z</published>
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   <summary>食育について 　毒入り餃子、産地偽装、事&amp;#25920;米……2008年は食の安...</summary>
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      食育について

　毒入り餃子、産地偽装、事&amp;#25920;米……2008年は食の安心・安全を揺るがす事件が相次いで起きた年でした。こうした事件の背後に何があるのかを考えてみると、日本の食の海外依存の大きさの問題に行き当たります。国内では、農業に従事する人がどんどん減るとともに世界でも類をみない高齢化が進み、耕作放棄地も増えています。また漁業では、日本での水揚量は年々低下し、代わって輸入が年々増加してその量はいまや世界一になっています。このような傾向がそう簡単には変わらないとすれば、たとえば“国産”を扱う食品業者は、安く入ってくる外国産に太刀打ちできないという苦境にこれからも立たされ続けるでしょう。一方、毒物混入や偽装などが繰り返されるほどに、「外国産は危ない」といったイメージが強くなり、何がどの程度ほんとうに“危ない”のか（安くて便利な外食や加工食品をよく利用する人は必然的に外国産を多く食べていることになります）、あるいはそもそも「国産を増やす（あるいは自給率を上げる）のに自分はどう関われるのか」という根本的な点に目を向けないまま、 “安さ”と“危なさ”の間を揺れながらの丌安な選択を、消費者は続けることになります。 

　こうした事態を&amp;#23568;しでも改善するために、消費者には今何ができるかを明らかにして、よりよい行動を具体的に促す――言ってみれば、消費者を変えるための「食育」が今求められている、と私は考えます。そのポイントは次のようになるのではないかと思います。 

　第一に、「食べることは命が命を取り込むこと」という食の根幹に関わる認識を、どれくらい深く持てるか、という点です。 

　パック詰めされてスーパーの棚に並ぶ豚や牛の切り身を見て、もとの動物の姿を連想することは難しいでしょう。畜産にまつわる様々な問題――飼料のための膨大な穀物消費、過密な飼育環境の中で病気の発生を抑えるための抗生物質などの薬剤の使用、糞尿の処理、屠畜、BSEなど――は、動物の命をいかに大量に安価に安定的に食品に変えて供給するかというシステムが抱えてしまった問題です。「食べ物は商品である前に生き物である」というあたりまえのことを忘れてしまっては、そうした問題が深く受けとめられるはずはありません。ことは動物に限りません。お米作りを一度でも通して経験した人は、稲という植物を人がいかに知恵と工夫を傾けて育ててきたか、その歴史の厚みと農作業の労苦の一端にふれて驚くでしょう。気候や水や土壌などの複雑な自然の条件を相手にしながら、一つの命を豊かな実りにまで導く仕事は、私たちの命を支える根本の仕事です。このことへの理解が消費者の側になくては、食の問題の解決はありえません。

　第二に、自分で料理を作ること、食卓でふるまうこと・ふるまわれることを大切にしているか、という点です。

　がん、糖尿病、肥満などの種々の生活習慣病を患う人の数は、高度経済成長期以降、驚くほど増えましたが、その主たる原因の一つが食生活です。ご飯、味噌汁、納豆、魚、海苔やひじき、そして漬け物など野菜を使ったお総菜、といった低カロリーで栄養バランスも優れた和食が食事の基本としてどの家庭でもしっかり根付いていたなら、上記の病気は決してここまで増えはしなかったでしょう。旬の素材を使い、発酵やダシの旨味を生かし、保存も上手にこなす……そんな技を発揮して「美味しい！」と喜んでもらえる料理を作る楽しさを、多くの人が手放してしまったように見えるのは、とても残念なことです。食べることの大切さ（環境や健康の面でも、美味しさの面でも、生き物の命を大事にするという面でも）、そして共に食卓を囲む楽しさを痛感する人は、その大切さ・楽しさに見合った手間暇を料理にかけることを厭わないものです。

　第三に、食の安心・安全は、食におけるよりよい“つながり”を築くための労力と表裏一体になっている、という点です。
　
　消費者の立場からすれば、「できるだけ安い物を」「手間のかからない形で」という要求は、現状の大量の生産・流通・消費システムを前提とする限り、「安全で安心できるものを」という要求とは両立しがたいということを、しっかり認識しなければなりません。遺伝子組み換え食品がよい例です。仮にあなたが「遺伝子組み換え食品は避けたい」と思っているとしましょう。それを本当に避けるために、あたたにできることは何でしょうか？ パッケージにある「遺伝子組み換え大豆は使っていません」という表示は、実のところ混入率5％未満であれば“使っていない”ことにしているだけですし、通常価格の油や加工品や飼料にはすでに組み替え大豆が使われています。米国などの輸入先では遺伝子組み換え大豆が大幅に普及し（約90％）、もはや非組み換え大豆は手の届かないような高価なものになりつつあるのが現状です。安全と安心を本気で願うのなら、生産者とのよりよいつながりを、どう手を携えて回復し確かなものとしていくかに、消費者が自ら身を乗り出していかねばなりません。その“つながり”を自分の手に感じるようにならなくては、本当の安心と安全は得られないのです。■（上田昌文）
      
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   <title>ＪＲは事故の教訓を生かせるか？</title>
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   <published>2009-02-27T11:18:36Z</published>
   <updated>2009-02-27T11:24:26Z</updated>
   
   <summary>ＪＲは事故の教訓を生かせるか？　― 尼崎事故2005 と東中野事故1988 ― ...</summary>
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         <category term="05. 交通、コミュニティ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      <![CDATA[ＪＲは事故の教訓を生かせるか？　― 尼崎事故2005 と東中野事故1988 ―

近未来生活研究所 桑垣 豊

０●事故の教訓とは何か？

　ルポライターの鎌田慧氏は、以下のような文章を書いています。だれしも、尼崎事故のことではないかと思って不思議ではありません。

……駅での事故の原因は、運転士などの話を総合すると、「ありうべきダイヤと現実の時間との乖離」にある。別のいい方をすれば、机上の時間と現実の時間との衝突、となる。その矛盾の解消を押しつけられているのが「運転士の曲芸的ハンドルさばき」である。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（鎌田慧『国鉄処分』１９８９年講談社文庫）

　しかし、鎌田氏がこれを書いたのは、１９８９年。国鉄民営化から、それほど間がないときのことです。 鎌田慧著『国鉄改革と人権 ＪＲは安全か』 岩波ブックレット1990 年は、尼崎の事故を予想していたのではないかということで、話題になりましたが、『国鉄処分』はもっと直接的に類似の事故をあつかっています。しかも、ＪＲという会社の本質にかかわる事故として、とりあげているのです。

　私は、尼崎事故の報道に接したとき、無理なダイヤの強制が事故を招いた点で、東中野事故（注）がすぐに思い浮かびましたが、マスコミではそのような報道はほとんどありませんでした。脱線と追突では、違うタイプの事故だと思い込んでしまうのでしょう。情報化社会と言っても、こんなもんです。問題意識が欠如していているのです。

　東中野事故の教訓が生かせないで、事故の教訓の意味があるのかと思うほど、典型的な例です。それは多くの事故の専門家、マスコミ、国鉄民営化を手放しに称賛したすべての人に問題を投げかけています。今回の事故は、小さな鉄道会社では、営業停止処分相当の犯罪的事故だったのです。

<em>（注）東中野駅事故
1988 年12 月５日、中央線東中野駅に停車中の各駅停車に、大久保駅方面からの後続の各駅停車が追突した事故。追突した各駅停車の運転士と乗客１名の合計２名が死亡。１００名以上の負傷者を出した。12 月１日にダイヤを変え、運転時間に余裕がなくなった上に、列車司令が無線を通じて運転士に運転の遅れを回復するように再三圧力をかけたことが背景にあると見られる。民営化１年半でＪＲ東日本に起きた大事故。</em>

１●所要時間短縮は、競争上必要だったか？

　スピードアップすると車両が節約でき、輸送力も増えますが、何と言っても競合する私鉄との競争に打ち勝つことが民間企業としては当然のことだという報道が目立ちました。では、ＪＲ福知山線と並行して走る阪急電鉄宝塚線、今津線＋神戸線とは、所要時間で抜きつ抜かれつの競争を展開しているのでしょうか。

　阪急電鉄とくらべると、驚くべき事実が明かになりました。ＪＲは、これ以上スピードアップしないでいいほど、所要時間を短くしているのです。このグラフは、2005 年４月２５日の事故当日時点のＪＲと阪急電鉄の「宝塚−大阪（梅田）」の所要時間を午前中のダイヤを個別にすべて調べて、乗り換え待ち時間も含めて、頻度を数えたものです。これを見ると、乗り換えの待ち合わせが悪くて、３５分のところに両者が並んでいる以外は、ほぼ２つに分布が別れていることがわかります。つまり、比べ物にならないほど、ＪＲのほうが所要時間を短くしていたのです。では、なぜ、所要時間短縮をこれほど、追求していたのでしょうか。

２●スピードアップは宣伝の手段

　ＪＲ西日本では、列車が２、３分遅れても、一々アナウンスであやまります。少しくらい遅れても事故をおこさないほうが大切だと思うのですが、これは恐らくＪＲの時刻厳守を商品の品質と考える発想なのです。このアナウンスをたびたび聞いているうちに、利用者もそのような時間厳守がどうしても必要なものだと思えてきます。これは、従業員の管理から、利用者への管理へと、宣伝戦略が進化しているのかもしれません。運転士は、このような利用者の圧迫にもさらされていたのです。

　ＪＲ各社は、半年ごとに小刻みにダイヤ改正をくりかえし、スピードアップを続けています。これは、宣伝の材料を少しずつ残しているのでしょうか。製造業では、このような方法で費用節約をはかるのは普通です。しかし、人間を運んでいる意識としては疑問です。

３●尼崎駅でストップウォッチでチェックしていた理由

　４月の事故の少し前、ＪＲ西日本では、福知山線の列車の実際の運行状況を、尼崎駅でストップウォッチで秒単位でチェックしていました。恐らく、間もなく導入する新型ＡＴＳにそなえてのことだったのでしょう。

　えっ、でも、導入して安全を確保してからやるのが普通ではないですか？。

　ここから、私の恐るべき仮説が浮かび上がってくるのです。新型ＡＴＳを導入しても、作動しなくてすむように、無理なダイヤをこなす訓練をしていたのではないでしょうか。新型ＡＴＳを導入する前に、危ない運転を身につけるような本末転倒の発想。新しいＡＴＳを導入すると、危険な場合列車が止まる割合が高まります。それでは、ダイヤが乱れることになり、今まで気づいてきたイメージがくずれます。

　また、新型ＡＴＳ導入はコストアップの原因となるので、宣伝の材料にもしたいのでしょう。実は、東中野駅の事故が起こった直後、ＪＲ西日本は大阪環状線にＡＴＳを導入を決め、くず玉を割るセレモニーまでしているのです。このような考えの延長にあるのは、どこかで起こった事故への対応をいち早くおこなっったことが目に見えるようにするには、ＡＴＳは少しずつ導入したほうがいいという発想です。

　1995 年にＪＲ東日本の中央線大月駅での事故の時も、ＪＲ西日本はＡＴＳ導入の拡大を発表しています。事故の教訓を生かすということが、このように矮小化されていることは、ほかに例を見ないことです。

　これは報道でもよく紹介していたことですが、旧型ＡＴＳでも２つをセットにすると速度超過対策は可能でした。それほど経費をかけなくても、できることはあったのです。もちろん、事実上守るのが「運転士の曲芸的ハンドルさばき」を必要とするようなダイヤをくまなくても、競争上特に不利になるわけでなかったことは、言うまでもありません。

４●利用者には責任はない

　一部報道で、多くの利用者が時間短縮を求めてきたことが今回の事故の遠因であったと、私たちの自省をうながしていました。しかし、だれが、安全を犠牲にしてでも、スピードアップすると思うでしょうか。スピードアップを必要以上にアピールしていたのは、ＪＲのほうです。むしろ、安全と労働者の待遇を犠牲にして行った国鉄民営化の方法を、多くの国民とマスコミが賛美したことこそ反省すべきです。

　紙面の都合で今回の事故の一面にしかふれることができませんでしたが、講演では、さらに突っ込んだ議論をしますので、ご期待ください。■

【参考文献】
『国鉄処分』鎌田慧 講談社文庫 1989 年
『国鉄改革と人権 ＪＲは安全か』鎌田慧 岩波ブックレット160 1990 年
『鉄道事故の再発防止を求めて』安倍誠治、鉄道安全推進会議 日本経済評論者 1998 年

（『市民科学』第1号　2007年1月　所収）]]>
      
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   <title>アイカム（ICAM）訪問記</title>
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   <published>2009-02-27T10:55:30Z</published>
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   <summary>アイカム（ICAM）訪問記　（2007年1月23日） 東京大学大学院 学際情報学...</summary>
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      アイカム（ICAM）訪問記　（2007年1月23日）

東京大学大学院 学際情報学府 修士１年 田中 舞

　日本にはかつて、科学映画が年間1000本近く作られていた時代があった。ここで言う科学映画とは、科学をテーマとした記録映画のことを指す。教育、国民の啓蒙、企業ＰＲ…と様々な目的のため、1950年代から60年代まで沢山の映画が作られ、学校の教室や市民教育の場などで視聴された。中には世界的に高く評価され、国際映画祭の舞台でグランプリを取ったような作品もある。

　武田純一郎氏率いるシネ・サイエンスも、優秀な作品を制作してきた制作社のひとつだ。現在は株式会社アイカムに社名を変え、現役で科学映像を制作している稀有な会社でもある。代表的な作品といえば、1970年の「生命〜哺乳動物発生の記録」だろう。世界ではじめて哺乳動物発生の映画化に挑戦し、パドヴァ国際科学・教育映画祭第１位をはじめ、合計11の賞を受賞した。排卵の瞬間から、受精卵の卵割が起こり、各器官の形成を経て胎児ができるまで、美しい映像で克明に記録している。はじめて観た時の感動は忘れられない。生物の教科書でこれらの現象が起こることは知っていたけれど、実際に映像で見られるなんて思ってもみなかった。何回も繰り返し見た。だから今回、アイカムの川村さん、本尾さんから会社を見にきませんか、とのお誘いを頂いた時は、飛び上がらんばかりに心が躍ったのだった。

　見学は１月23日の火曜日、朝10時から。常盤台の本社に市民科学研究室の上田さんと私の二人でお伺いした。アイカム本社は壁に大きくアイカムのマークが描かれた、４階建てのビルだ。玄関付近ではビデオや、映像作品の画像をプリントしたポストカードなどが販売されていた。会社概要によれば社員は現在50名で、他の科学映像制作会社に比べて多い。ビル内には撮影場所はもちろん、クリーンベンチや各種実験装置と、光学顕微鏡、共焦点レーザー顕微鏡、走査型電子顕微鏡を取り揃えた研究施設があり、専門知識を持ったスタッフが常駐している。細胞などの撮影材料の用意から、研究、撮影、編集、検証まで全てひと所でできるようになっている。

　まずは応接間で、アイカムおよびシネ・サイエンスの映像作品を見せていただいた。残念なことに、昔の科学映画プロダクションには、自社の作品をきちんと保管していないところも少なくない。こうして良い状態で保存されたフィルムが見られることも、非常に喜ばしいことである。

　今回は７本の作品を見せていただいた。国立遺伝学研究所、吉田俊秀博士のクマネズミ研究にスポットをあて、染色体の変化から探る生物の進化を紹介した、「染色体に書かれたネズミの歴史」（1975年、32分）。ぱっと理解しにくい遺伝や進化の概念も、映像でみるとこんなにもわかりやすい。学校でこの作品を観ていたら、もっと理解が早かっただろうに、とつい悔しく思った。撮りかたは、現在テレビで見られるような科学映像に比べて、ずっと「映画らしい」。クローズショットの使い方、緩急のつけかた、演出的に挟み込まれた映像など、技法がとても映画的である。また、ネズミの形をした円グラフなど、手作り感のあるちょっとした演出も、映画の魅力に一役買っている。

　「あなのふしぎ」（1978年、17分）は、科学技術庁から与えられた「穴」というテーマのもとに、自由な発想で作られた作品である。ドーナツの穴、野菜の穴などの身近な穴から、身体の中の、赤血球の穴、腎臓の穴などのミクロな穴、そして都会の地下鉄の穴、ブラックホールと巨大な穴へ、めくるめく展開を見せる。アーティスティックな実験映画のようで、非常に面白い。「Cell Universe」（1988年、34分）は、アイカムがつくば科学万博で製作した展示、「健康スポーツ館・細胞空間」を記録したもので、主催者のスズケンの、社員教育用に利用された。身体の中の細胞、細胞の中の核に、宇宙の中の地球や、子宮内の胎児などのイメージを重ねている。このようなミクロとマクロの視点で生命をとらえるコンセプトは、アイカムの他の作品にも共通して感じられる。

　肺炎球菌の型による違いを説明した「肺炎」（1996年、28分）と、胃が粘膜によって巧妙に守られていることを紹介する「胃〜巧妙な消化のしくみ」（2005年、15分）では、撮影技術に驚かされた。「生命〜はるかな旅」（2001年、38分）に見られるCGの技術も素晴らしい。どこまでが実写でどこからがCGなのかわからなくなるほどである。普段、生の細胞に接しているスタッフだからこそ、細胞を機械的に描くのではなく、やわらかく、実際の細胞そのもののように描けるのだそうだ。「生命〜はるかな旅」では、生命の尊さを出産の様子と絡めて説いている。「たまごからヒトへ」（1976年、24分）も、生きた接合子が受精し、胎児が発生して出産に至るまでを顕微鏡撮影で説明する、性教育用の映像である。アニメによる性行為の平易な説明に、生命が形成される過程の美しい映像が加わって、重みが増している。児童文学者の岸田衿子による文章を、妹の岸田今日子が読むナレーションも、雰囲気があってよかった。

　お昼には、代表取締役の武田純一郎氏とお話ができた。武田氏が映画に興味を持ったのは、浅草の隅田劇場でのアルバイトがきっかけなのだという。芸妓さんが集まる舞台を眺め、武田氏は芝居における「間」のとり方の重要さを知った。人を感動させる動き、リズム、そして物語に魅入られた。ゆえに武田氏の撮ってきた科学映画は芝居的、物語的である。武田氏は最初東京シネマで働き、東京シネマの倒産後１年は、著名な科学映画カメラマン小林米作とともに仕事をした。しかし、生命そのもののリズムを撮りたい、という武田氏の考えと、対象をあくまで素材として追求する小林米作の姿勢は相容れず、腸粘膜の蠕動運動の撮影で二人は決裂する。小林米作が腸粘膜を撮りやすい形にしてから撮ろうとするのに対し、武田氏は腸粘膜の自然な動きを撮りたいと考えたのだった。そして1968年に、シネ・サイエンスが設立されるのである。

　武田氏は「ディテールのレンガを積むように同じことを顕わにするだけでなく、包括的な世界を見せることを目標にやってきた」と言う。武田氏にとっての科学とは、ものの認識のしかたであり、普遍的な言葉だ。だからアイカムの作品は、「あなのふしぎ」が分子レベルの話から宇宙の話へと広がっていくように、科学を大小さまざまの枠組みで包括的に見せる。

　アイカムの作品はそれぞれが物語を持った作品でもある。科学映画が物語性を持つことは、批判されることも少なくない。科学の現象をストイックに見せることが科学映画の役割だとする制作者もいる。数少ない現代の科学映画制作会社、東京シネマ新社の姿勢もそうだ。前出のアイカムの作品、「染色体に書かれたネズミの歴史」は、コンラッド・ローレンツの弟子から物語的な部分を省くように言われたという。しかし、科学を固定的なイメージで捉えず、芸術とからめて提示するアイカム作品のファンも多い。このあたりは好きずきというところだろうが、個人的にはメッセージ性があるぶん、一般の人々にも見やすく仕上がっていると思う。映画館での一般公開もできるのではないかと思うほどだ。

　アイカムが、現在も科学映像作りを続けられる理由はなにか。アイカムの作品性もひとつの理由だろうが、一番大きな理由はおそらく、医学・薬学系の映像制作に特化していることだ。アイカムという会社名も、「International Communication for Advanced Medicine」の略である。アイカムの作品には、医学生や看護士の教育用に制作された映像も多い。また、アイカムでは理系出身のスタッフを集め、オリジナルの研究部を作っている。海外の科学映画は、大学の一部門により作られたものが多いが、アイカムの研究部では大学とはまた違った視点で研究をしていることが強みになっている。例えば骨粗しょう症の映像では、背骨から骨組織のサンプルを作った。大学では頭頂骨を使用することが定石だったが、実際に骨粗しょう症で問題となる部位を考えると、背骨のほうがサンプルに適している。映像で動的に見るからこその発見もあり、学術的意義を持つ作品は多数存在する。こうして研究者の需要を得たことが、ひとつの勝因となった。
もうひとつの理由としては、若手の育成を行っていることが挙げられる。アイカムには若いスタッフも多い。この日も入社希望の学生がひとり、会社を訪れていた。私がこれまで見てきた科学映画プロダクションは、少人数で映画を製作していた。例えば樋口生物学研究所では、たった二人のスタッフで研究から撮影までを賄った。忙しすぎて、人材育成など考える暇もなかったと言う。対照的にアイカムでは、チームワークをしっかりと結んで作品を作っている。作業をきっちりと分担し、若手にも撮らせてみることなどで、継続して作品を生み出せる環境ができている。

　医学・薬学系の映像に特化したアイカムであるが、一般の人にも見てもらいたい、という思いは強い。武田氏は、小学校で科学映像を見せて、小学生たちに科学の特別授業「いのちの話」をする、という試みもしている。子供たちは熱心に作品を視聴し、話に聞き入っていたそうだ。アイカムの作品の内容は、決して簡単なものではない。高校生物以上のレベルの内容を扱うものが多い。しかし、圧倒的な映像のダイナミックさと、科学というものの思惟を物語にして伝える作品性で、科学の現象を単純化して説明する映像よりも格段に、人々を弾きつける。このような映像が視聴できる機会が増えることを願いたい。

　今回の見学では、アイカムの学術情報室長の本尾真さん、代表取締役社長の川村智子さん、広報の堤愛子さん、そして代表取締役会長の武田純一郎さんにたいへんお世話になりました。この場をお借りして、御礼申し上げます。■ 
      
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   <title>書評　 『六ヶ所村ラプソディー　ドキュメンタリー現在進行形』</title>
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   <published>2009-02-27T10:50:57Z</published>
   <updated>2009-02-27T10:55:19Z</updated>
   
   <summary>書評 『六ヶ所村ラプソディー　ドキュメンタリー現在進行形』 （鎌仲ひとみ＋＜対談...</summary>
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      書評
『六ヶ所村ラプソディー　ドキュメンタリー現在進行形』
（鎌仲ひとみ＋＜対談＞ノーマ・フィールド、影書房　2008年11月）

上田昌文

　鎌仲ひとみはしたたかな映像作家だ。その扱うテーマは、対峙する相手の大きさに怯んでしまいそうな、現代社会の資本と権力に関わる中核的な問題ばかりである（『エンデの遺言』が環境と金融、『ヒバクシャ』が世界各地の核被害、『六ヶ所村ラプソディー』が再処理工場に焦点をあてた原子力問題、現在制作中の『ミツバチの羽音と地球の回転』（仮題）ではスウェーデンのエネルギー政策など持続可能な社会のあり方）。ほとんど徒手空拳とでも言うべきその撮り方は、一貫して、現地に飛び込んで語り合いを重ね、その渦中で問題をどうとらえるかを見定めていく、というもの。政治的対立が引き続く中に身をおいての双方への取材には、拒否や不信がつきつけられることがある。扱う事柄が高度に専門的で容易に理解できない場合もある。しかし鎌仲は一素人、一市民としてそれらに向かい、自身が学び読み解いていったプロセスをも時に織り込みながら、「これはあなた自身のの問題でもあるのですよ」と観る者に映像を差し出すのだ。そのしたたかさはどこから来るか。それを知る手がかりがこの本にはある。

　本書の後半におさめられた、鎌仲との対談で、ノーマ・フィールドは「この映画（『六ヶ所村ラプソディー』）は完璧な資本主義批判になっている」、それに続けて「そう言っても何も伝わらないが、観た後からそうだと理解する」と述べている。私はこの意見に賛成する。

　古くはチャップリンの『モダン・タイムス』から『ザ・コーポレーション』『ダーウィンの悪夢』『いのちの食べかた』『女工哀歌』といった近作にいたるまで、フィクションであるかドキュメンタリーであるかを問わず、資本主義のもつ苛烈なまでの非人間性や破壊的側面を描き出し批判した映画作品の系譜を作ることができるだろう。この系譜に、鎌仲ひとみの作品をどう位置づけることができるだろうか。自身の映画で何を描くべきかを模索する中で、小川プロの「三里塚シリーズ」全編を観て感得したものを、鎌仲は感動的に語っているが（「第三章　問題を見つめる視点」）、確かに彼女の作品には、小川紳介、土本典明といったドキュメンタリー映画監督の仕事と連なる「地下水脈」を見出すことができる。フィールドは対談の冒頭、『六ヶ所村ラプソディー』を「エモーショナルだ」と表明しているが、それは、鎌仲がカメラに収めた六ヶ所村の人々の語りとたたずまいが、核燃とともに（あるいはそれに反対して）生きることのただならぬ重みを滲ませていたからだと思う。その重みは、むつ小川原開発以来、国策に翻弄され続けてきた中にあって、命あるものをどう守り引き継ぐかの選択の重みであり、追い詰められた人々の思いに目をそらし続けてきた、エネルギーの大消費地の人々の責任の重みに通じる。

　鎌仲作品が観た人に「私は何をすべきか」と考えさせる力が強いことは、彼女のこのような映像作りの方法の直接の反映だと思うが、それだけでは2006年の公開以来、草の根ネットワークと口コミだけで広まって全国で500回に迫る自主上映会が開かれたことは説明できないだろう。「いかに政治的なものとか教育的なものから自由になるか」をドキュメンタリーの要件とし、映画制作の経過をも公にさらし（『六ヶ所村通信』ビデオレター）、「政治的でなく生きることはできない」現実を観る人自身で“発見”することを促す――その姿勢が共感を呼んだに違いない。
　
　メディアが世の中を動かす新しいスタイルの一つが、ここに生まれつつあるのかもしれない。多くの人に、その中間報告である本書を手にしていただきたいと思う。■

（『週刊読書人』2009年2月27日号に所収）

      
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   <title>「体育」について</title>
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   <published>2009-02-27T10:48:05Z</published>
   <updated>2009-02-27T10:50:42Z</updated>
   
   <summary>　あたなは子どもの頃にどんな遊びに熱中したでしょうか？　それは家の中での遊びだっ...</summary>
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      　あたなは子どもの頃にどんな遊びに熱中したでしょうか？　それは家の中での遊びだったでしょうか、それとも外だったでしょうか？　仲間と一緒に遊んだでしょうか？　それは、親の目の届かないところでの、怪我もしかねないような危ないいたずらだったりしたでしょうか？
　
夢中になって遊んだそのことが、今のあなたの身体と精神を形作る上でどんな役割をはたしたかを、正確に述べることは難しいでしょう。しかし、それがなければ今の自分とはずいぶん違った自分になっていたという気が、あなたはしませんか？

　子どもたちの体力が低下している、骨折しやすくなった、姿勢が悪くなった、外反母趾と指上げ足（浮き指、足指が地面に着かないで浮いた状態になっていること）が増えている、しょっちゅう「疲れた」とこぼす子が増えた……文部科学省の統計でも、様々な学術調査でも、生きる力のおおもとになる身体の基礎的な力（それをここでは＜体力＞と言っておきます）に、何か異変が起きているらしいことを示すデータが次々に出てきています。

　＜体力＞の低下は、病気にかかりやすくなるといったことを意味するだけではありません。身体と心は、思いの外、深く様々な面でのつながりを持っていることが、科学的にも明らかになってきていますが（心身医学や精神神経免疫学）、「病は気から」と昔の人が言い習わしてきたのが理由のないことではなかった、そのわけが、ますますはっきりしてきているのです。例えば、姿勢の悪化や足裏の異常が、自律神経失調症（下痢・便秘・ひきこもり・鬱などとも関連）や生活習慣病（肥満や糖尿病など）を引き起こしかねないとの指摘があります。成長期の身体の異変や＜体力＞の低下は、将来の疾病、行動異変、心の病、社会的な不適応の出現を警告する兆候である、と理解すべきなのかもしれません。

　この＜体力＞の低下という深刻な事態をどう改善できるでしょうか？　この事態をみすえた「体育」とは何でしょうか？
　
　私はそれは子どもが自由気ままに遊べるスペースを街の中のいたるところに確保することだと信じています。

　大人にとっての「便利な生活」（＝金とモノの豊富さを何よりも大切にする社会）が、大人自身にとっても必ずしも「よい生活」を意味するわけではないことは、今では誰もがわかっていることですが、それが子どもにとってむしろ決定的な「悪い生活」になりかねないことは、1970年代以降、子どもの遊び場が急速に失われた、という一事をとってみても明らかです。私たちは「便利な生活」と引き替えに、子どもたちから戸外で伸び伸びと自由に遊ぶこと（すなわち、遊ぶ時間、遊ぶ空間、遊ぶ仲間）を、奪ってしまったのですが、このことの代償が、社会にどう跳ね返ってきているかに気づき初めて、恐れをなしている、といったところではないでしょうか。
　
　大人たちからすれば一見無駄に見える「遊び」が、どれほど子どもの成長にとって不可欠であるかは、社会学、発達心理学などでも繰り返し強調されています。子どもたちは遊びを通して考え、決断し、行動し、責任をもつことを学びます。走ったり、跳ねたり、追いかけたり、ころんだり、時には敵と味方が入り乱れて激しくやりあう中で、ルールを守ること、仲間をいたわること、より楽しくするために工夫をこらすこと……などを自然に身につけるのです。体力の向上や巧みな体の動かし方、危険を避ける力、コミュニケーション能力、人間関係の処し方は、みな幼少期に仲間と夢中で遊ぶことで体得できるものであり、それらが欠落していては、教室や家庭で机に向かってなす勉強もまったく意味を持ちません。

　「体育」は、、自由な「遊び」を奪われた子どもたちの、目には見えない、言葉としても発せられない、悲痛な叫びを受け止めるものでなくてはなりません。それは、持続可能な社会を築く営みと表裏一体をなすものであり、街で、学校で、家庭で、すべての大人が気づかっていかねばならない最優先事項であると私には思えます。■（上田昌文）
      
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   <title>市民科学研究室　これまでの歩み1992年〜2008年</title>
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   <published>2008-12-02T11:39:27Z</published>
   <updated>2008-12-02T11:53:26Z</updated>
   
   <summary>市民科学研究室　これまでの歩み1992年〜2008年　　　代表・上田昌文 ◆市民...</summary>
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      <![CDATA[<strong>市民科学研究室　これまでの歩み1992年〜2008年</strong>　　　代表・上田昌文

◆市民向け講座として発足

　市民科学研究室の出発を記した文書がある。1992年7月10日付けで、現在代表を務める私が、当時の知人たちで関心を持ってくれそうな50人ほどに送りつけた「科学と社会を考える講座をはじめます」というB4で1枚の文書だ。そこにこうある。

<blockquote>　（前略）大半の大学生にとって、今の大学教育は実に中途半端な魅力の少ないものではないでしょうか。世界の現状に目を向け、その問題の所在の一端に触れること、そして問題の解決のために自分の思考を発動させ、民主的な社会の一員としてどう参画できるかを構想してみること……知ること・学ぶことが、現状を変え得る主体としての自覚の深まりと不可分であるような、そのような“学び”をもし体験できないとすれば、大学教育はやはり失敗だといわなければなりません。（中略）私たちが解決・対応を迫られている環境破壊、原子力発電、遺伝子操作、臓器移植や生殖技術、コンピュータ化などの問題は、科学技術が造り変えてしまった世界の産物です。ですから、個々の問題を知的に把握する必要があるだけでなく、科学に対していかなる態度をとるかという思想的な問いとの対決を回避するわけにはいきません。この問いに真摯に取り組むことは、科学技術時代に剥奪されている、私たちの“生きること”の意味を、奪回する作業に通ずるのではないでしょうか。（後略）

</blockquote>　このいくぶん気負った呼びかけに応じて集ってきた方々を前に、私なりに提供した講座のメニューは、現在の市民科学研究室のホームページに収めた「これまでの市民科学講座」の一覧表を見ていただければわかる。当初は月2回というペースで、最初のほぼ1年間を私が単独で講座を受け持つという形だったが、次第に外部の講師も招くようになり、また、常連の参加者となった方々とペアであるいはトリオを組んで発表者の側にまわるようになる、その様子がそこから読み取れる。この発表は、素人による問題のとらえ直しという性格を強く持つもので、言ってみれば学校で生徒が課されるような“レポート”を、自らの選んだテーマについて自らに課すという具合である。独自の調査をふまえてのものではないけれど、広く文献を調べ、今まで学んだことのない専門的な事柄に突きあたっても、共同メンバーでなんとかそれを読み解こうと稚拙ながらも議論を繰り返して、選定したテーマにおける問題の所在、関連する情報、自分なりの見解や解決への見通しといったものを、曲がりなりにもまとめてみる作業である。

　この“共通の関心をいだくメンバーで議論を重ねながら問題を自分たちなりにとらえ直す”というスタイルは、何も学問研究にだけ必要なのではなく、社会問題に真摯に向き合おうとする者であるなら、学問を仕事としない市井の人々にとっても必須だろう。しかし実際には今の世の中で、具体的な被害を受ける（あるいは受ける恐れが強い）事態に直面しない限り、大半の人々は当該の問題を我が事としてとらえ返す労はとらないだろう。「科学と社会を考える土曜講座」が提供していたのは、知的関心と受苦者への共感を導きの糸にして、社会問題を自分に引きつけてとらえ直していくことのレッスンだった、と言えるかもしれない。

◆講座の2つの方針

　この「科学と社会を考える土曜講座」は、しばらしくしてそれ自体が組織名となったわけだが、月1回のペースで休むことなく続けられ、現在は「市民科学講座」の名で通算200回を超えるにいたっている。思い返せばそこには、テーマを幅広くとることとわかりやすく語ることという2つの方針が貫かれていた。2002年7月に開催された「10周年記念パーティ」の配布冊子で、私は活動の趣旨や講座の性格を次のように要約している。

<blockquote>　活動を続ける中で明確に自覚できたのは、「可能な限り幅広いテーマを取り上げる」、そして「どんなに難しそうな話題を扱うときでも、初めて来たどんな人にでもわかってもらえるように話す」という点の大切さでした。

　140回ほどの研究発表会のテーマは、言ってみるなら、百科事典的に多様です。（中略）これらのテーマの広がりは、科学技術問題へ攻め口がじつにいろいろあり得ることを示していると思います。未成熟なもの、問題の端緒にしか入りこめていないものも多いのですが、流動する世界の情勢に対応すべく分野・領域横断型の問題設定が必要とされる時代にあって、何らかの示唆を投げかけるものではないかと自負しています。

　また、わかりやすさを保ち続けるという点は、裏返して言うなら、自分が本当にわかるまでしっかり調べ考える、自分の考えたことを仲間とすり合わせて吟味する、といった掘り下げの努力があって初めて確保されるのです。もちろんこれについても、仕入れたばかりの知識を未消化のまま紹介しているという部分もあったりして、いつも成功しているとは言えないのですが、「自前の共同研究」を重視してきたこと、つまり素人がチームを組んで3、4ヶ月かけて勉強して発表するというやり方をできるだけ貫いてきたことは、必然的に学問を“既成のアカデミズムの世界だけに閉じこめないで市民に開かれたものにしていく”ことの一つの実践であったと思うのです。分かりやすさの追求には、アカデミズムへの挑戦の意図が込められている、と言えるでしょうか。
</blockquote>
　これに加えて、長く続けていくことの秘訣を次のようにまとめている。

<blockquote>　土曜講座は、規模は大変小さいけれど、いろいろな可能性がつまった場になっていると思います。単なる勉強会・研究会でもありません。（中略）人間的な心の交流が密であり、現代の社会にあってなかなか希な“信頼で結ばれた自由な空間”を作り出しているのではないでしょうか。それがあるからこそ、お互いの知識を分け合ったり、何か協力を呼びかけて動いたり……ということがスムーズにいくのだと思います。
</blockquote>
　ここで言う交流を生むための仕掛けとして、毎回食事係を決め、講座の後に講師を交えながら皆でその場で夕食を取り歓談したこと（西新宿にあった「カトリック社会問題研究所」のホールを館長の神父さんの厚意で専用の会場としてを使うことが可能だった時期に実現した）、毎年夏には2泊3日の合宿を、冬にはクリスマスパーティを必ず実施したことなどが挙げられるだろう。興味深いことに、どんなイベントをしても、男女比はほぼ1対1になり、その中には料理の上手な人が必ず数人混じっていた。

◆研究プロジェクトチームの誕生

　共同発表を担う者は、ほぼ3ヶ月から4ヶ月をかけて調べ、議論し、レジュメを作って本番に臨むわけだが、さらにつっこんで継続的に調べてみたいという気持ちが起こるのはごく自然だろう。これを実現するための形が最初に整ったのは、1999年の「電磁波プロジェクト」の発足だった。

　携帯電話電磁波の健康影響に関しては、専門論文がいろいろ出始めていたが、爆発的に普及する機器を人々はどんな具合に使い、どんな曝露状況が出現しているのか、じつは意外に調べられていないことが判明した。海外での報告書も読み込みながら、携帯電話に関する1300名規模のアンケート調査や、比較的近い周波数である放送電波（東京タワー周辺を調査対象とした）の電波強度分布の調査を実施し、専門の論文や学会の発表をもこなしていった。

　その活動が刺激となって、他にも様々な研究プロジェクト（PJ）チームが誕生した（2005年の法人化の時点での各のチームとリーダーの名は、科学館PJ（古田ゆかり）、ナノテクリスクPJ（藤田康元）、食の総合科学PJ（小島玲子）、生命操作PJ（松永徹人）、電磁波PJ（上田昌文）、低線量被曝PJ（上田昌文）、水と土PJ（森元之）、宇宙開発再考PJ（河野弘毅））。「市民向け講座」に、「素人のチームによるの調査研究」を加えて両輪とする活動への展開を改めて意識し、シンクタンク的機能を明確に打ち出そうと、2002年には「市民科学研究室」という組織名に変更した。

　これらのプロジェクトチームの成果の公表は、（助成金を使った研究による）報告書、コミュニティウェブbabycomのサイトでの調査結果の公開、学会での発表、学術誌の論文、新聞報道、講演やシンポジウム参加など様々に行われたが、その中には政策提言や申し入れとして関係省庁や企業に出されたり、ウェブを使った新しい情報交換サイトの創設や子ども向けの教育プログラムの開発に発展したものがある。

◆法人化を契機として

　複数の研究チームが順調に活動を展開していくためには、これまで以上の資金と効果的な情報発信が必要になる。運営体制の面では、「代表1人での切り盛り」から始まって、「代表＋2ヶ月交代の運営委員1名」を経て、「数名の運営メンバー（代表＋わずかではあるが月額の手当を受け取りつつ1年交替で事務を担う運営委員1名＋数名の常任委員）」に至り、専任の事務アルバイトを雇うまでになっていたことを考えれば、法人化は早晩めぐってくる事態だったと思われる。

　法人格を取得する契機になったのは、科学技術振興機構・社会技術研究開発センターからの研究助成への公募が採択されたことである（「生活者の視点に立った科学知の編集と実践的活用」（2004年12月〜2007年11月、報告書は同センターのホームページからダウンロードできる））。この研究をとおしてそれまでの10年ほどの活動を振り返って、市民科学研究室の活動のあり方を概念的に整理し、新たな戦略を構想することになった。

　法人化（2005年3月11日）に際しての「設立趣意書」では次のように述べている。

<blockquote>　（前略）こうした危機を乗り越えるには、科学技術がもっぱら専門家によって研究開発され一般市民はその成果を享受するだけという、これまでのあり方をどこかで変えなければならないだろう。そのときに肝要なのは、一般市民が「科学技術のことは専門家にお任せする」というこれまでの姿勢を改め、専門家や政策立案にたずさわる人々に自分の意思をきちんと示し、ともに問題解決をはかるよう働きかけることであろう。素人にとって歯が立たないように思える専門知識に対しても、様々な助力のもとに市民が上手に向き合っていく方法があるものと思われる。

　以上のような観点に立つとき、「市民科学」という営みの大切さが浮上してくる。市民科学とは、(1)市民が不安や危惧を抱く問題をみすえて、その問題解決のために調査研究をすすめる、(2)科学技術のあり方に関して市民の問題意識や関心を高める、(3)市民と専門家の間の対話を促進し、専門性の障壁をうまく乗り越えていく、(3)科学技術政策に市民の意思が適切に反映されるようにする、といった総合的な取り組みである。すなわち市民科学は、科学技術の活動が展開される様々な局面で、市民が主体的・実践的に関与していく機会を作り出していくことであり、総体として科学技術の発展を適正に制御し、持続可能で公正な社会の実現を目指すものである。
</blockquote>
　ホームページを大幅にリニューアルし、「市民科学」「リビングサイエンス」の言葉を全面的に打ち出したのもこの時期である。法人化に伴って、理事メンバーも確定して、年単位で活動の評価を行いそれを公式に文書化するという流れもできた。

　先の助成研究において、生活者を基点として科学技術の総体を見直していく活動を「リビングサイエンス」と規定して、「生活者と科学技術の関わりの類型化」を、分野軸（18分野）、価値軸（6つの価値観）、生活者の能動性軸（3つのフェイズ）、関与軸（7つの関与形態）として一応系統的に整理できたことは、今後いかなるテーマに取り組もうとも、市民科学研究室なりのアプローチを鮮明にする上で有用な道具立てになると思われる。

◆新たな挑戦へ

　順調にみえる以上の歩みも、裏返せば多くの困難と課題がのしかかってきた歩みでもある。資金不足ゆえ、常勤の勤務体制がとれていない（上田は常勤だが給与はなく、むしろ家賃分を個人で負担をしているのが現実で、事務局は有給だが現状では週2回にとどめざるを得ない）。意欲を持って関わってくれるすぐれた資質をもった人を育てる上でも（そのノウハウはある）、探りあてたアイデアを社会に有用な変革の道具立てとして練り上げていく上でも（人的ネットワークや見通しはある）、会員数の伸び悩みや資金不足をどうにかして解消する必要がある。地域との結びつき、企業や大学との連携、政策提言の具体化に向けた立法・行政面でのふみこんだ検討の機会など、新しい可能性の芽が出てきている今、より緻密で斬新な戦略を打ち立て、より魅力的で開かれた交流の場を創り出していくことが求められているのだと考える。新たな挑戦はすでに始まっている。■

（『市民科学研究室　年次報告書2008』より）
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   <title>市民科学研究室がめざすこと</title>
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   <published>2008-12-02T11:35:05Z</published>
   <updated>2008-12-02T11:38:52Z</updated>
   
   <summary>市民科学研究室がめざすこと      代表・上田昌文 　市民科学研究室は、、現在...</summary>
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      <![CDATA[<strong>市民科学研究室がめざすこと</strong>      代表・上田昌文

　市民科学研究室は、、現在まで代表を務める私が、東京・自由が丘で定期的に利用できる活動スペースを得て1992年7月に始めることとなった科学と社会を考える土曜講座が母体となっています。拠点はその後、西新宿、さらに本郷に移りましたが、この月1回の市民向けの講座に集った人たちの何人かが核となり、次第に組織的な運営がなされるようになました。2003年からは名称を市民科学研究室に改め、2005年からはNPO法人化して現在にいたっています。
　
　発足時は、欧米で生まれたSTS（科学技術社会）という取り組みが日本に紹介され始めたばかりの頃だったと思います。ただ、そんな事情とは無関係に、1980年代の半ば頃から、当時学生であった私自身は、日本企業によるアジアでの“公害輸出”や核・原子力問題にかかわる市民運動に足をつっこみ、宇井純さん（1932〜2006）の謦咳に接したり、同じく高木仁三郎さん（1938〜2000）ら原子力資料室のスタッフの方々とも共に活動する機会があったり、という具合でしたから、「科学技術をどうにかして自分なりにとらえなおして、世の中の問題の解決に役立ててみたい」という気持ちは、一方で生物学の専門家をめざす途につきながらも、自分の中で醸成していたのだと思います。大学で科学史や技術論や社会学を学び直すという選択もあり得たのでしょうが、それにはどことなく違和感を覚えていました。「一人の市民として、取り組み方そのものも皆で一緒に考えながら、いろいろなことを試し、その結果をみてまた考えて作り直していく……」というようなスタイルが必要で、それを可能にするのは、専門的知識・技能のあるなしよりも問題意識の共有をこそ重視する、小さな規模での開かれた議論と共同作業ではなかろうか、という直覚が私にはありました。
　
　10人も集まれば手狭になる小さな部屋での“講座”を出発点にしたこの活動は、今年で16年目を迎えましたが、さてその当時の直観はどれくらいに時勢を見はるかすものだったのでしょうか。
　
　市民科学研究室という小さな規模のNPOは、専門分化が著しくその全貌をとらえるのがますます困難になってきている科学技術を、どうにかひと掴みにしてとらえようと模索してきたと言えますが、これはある意味では無謀な試みです。個々のプロジェクトや調査研究チームがそれなりの成果を上げても、NPO全体として結局何をやっているのか、今ひとつ伝わりにくく、具体的には会員や支援者の増加もいまだにままならない状態が続いているのは、その無謀さがもたらすネガティブな一面でしょう。でもたとえば研究会に参加してみればたちどころにわかるように、世代や男女や立場の違いを超えて、活発で刺激的な議論が交わされ、「まだ気づかれていなかったり、十分に議論されていない重要な問題をとりあげ、科学技術と市民とのあるべき姿を思い描きつつ、自ら考案したアプローチで解決に向けて動き出す」ことの現場が、確かにそこに存在するのを感じていただけるでしょう。
　
　「何のための、誰のための学問研究か？」「専門家でない者にも専門的なことがかかわる事態を変えていく力があるはずだが、それはどう発揮できるのか？」「技術の進歩に翻弄されない、でも技術の進歩を頭ごなしに否定するのでもない、より賢いつきあい方や育て方はできないだろうか？」……市民科学研究室のめざすものは、こう表現してみれば、ごく単純で明快であることがわかります。ただ、こうした課題を実現する決まった手はずがあるわけではなく、誰かに答を出してもらえるわけでもない、という点がやっかいなのです。そのやっかいなことに、あえて挑もうとするところに、私は、21世紀を生きる市民の真骨頂があると思っています。根源的な問いを手放さず、仲間と一緒に歩みをすすめること自体を楽しみながら、よりよく社会を変える主体たり得ている市民――これからも市民科学研究室のささやかな歩みをとおして、仲間とともに、そうした市民の一人であることをめざしたいと、私は願っています。■

（『市民科学研究室　年次報告書2008』より）]]>
      
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   <title>「風育」について</title>
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   <published>2008-12-02T11:22:49Z</published>
   <updated>2008-12-02T11:24:41Z</updated>
   
   <summary>　日本語は「風」の字のつく語が豊富です。そのことには日本の文化の深層の一面が映し...</summary>
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      　日本語は「風」の字のつく語が豊富です。そのことには日本の文化の深層の一面が映し出されている、と私は考えています。風土、風水、風物、風景、風情、風味、風習、風格、風流……と並べてみるとき、私たちの物事のとらえ方・感じ方に「風」が何とも微妙にからんでいる様を、誰もが面白いと思うのではないでしょうか。

　「風」の語とつがう相手が「土」であったり「水」であったりするのは、風が大地からの熱によってその生起が決まり、大地の形でその通り道が決まること、そして水と相まって大気の状態と流れ、すなわち“気象”が決まることを思い出させます。また、その相手が「物」であったり「景」であたっりするのは、人が事物や環境を、風がめぐるある固有の時間（例えば季節）と空間（例えば同じ天候を示す場所の広がり）の中でとらえてきたことを示しているのでしょう。「情」や「味」との組み合わせでは、感覚や感情が喚起され、移ろい、消えゆく様が風になぞらえられているわけですが、「物」「景」にみられた時空間のとらえ方とも共通した、現世的で刹那的な「ここで、今この時に」を重んじてきた日本人の価値意識や美意識を反映してはいないでしょうか。

　風は人が感じる大気の流れであり、その流れが生まれるためには、熱と圧力の空間的な分布に不均一が生じていなければなりません。その不均一をもたらすおおもとは太陽の光であり、地球の回転です。どこから来てどこに吹き抜けるのか、時々刻々に変化しとらえどころがないかにみえる風も、貿易風や偏西風といった地球規模の大気の大循環のいわば末裔であり、もし仮に、風の強さと方向を色で塗り分けることができれば、地球全体を覆う色の階調と濃淡の変化のパターンが一年ごとに繰り返す様子が観察できることでしょう。

　風が面白いのは、こうした巨視的な流れでありながら、同時に、人間が皮膚の細やかな感覚でとらえることのできる微視的な変化でもあることです。水は常に流れ循環してはいますが、流域というものを持ちますし、土も徐々に形成され変成しますが、その場は地表に限定されます。それに比べて、完全に密閉された空間でない限り、およそ風の吹かないところありません。生物の組成から言って水は命の源であり、土なしでは陸上植物は繁茂しないことを思えば、土は命の成育の場でしょう。だとすれば、風は地球の息吹であり、生き物が地球との結ぼれを感覚的に把握するよすがとなってきたものだと言えるかもしれません。

　私たちが適度な風を心地よいと感じる感覚は、おそらく陸上に住まうすべての生物に共通の、非常に根源的な感覚であるように思われます。

　人類はこれまで風という物理現象をいろいろな工夫によって手なずけ、利用してきましたが（風鈴、風車、帆船、飛行機、風力発電、うちわ、すだれ、扇風機といった発明品や、防風林、風通しを生かしたりする建築など）、じつはこれらの工夫の歴史はすべて今述べた「風を心地よく感じる感覚」に根ざしています。ですから、どんなに効率がよいと思える風の利用であっても、その心地よさが少しでも損なわれてしまうと、どこかしら違和感を覚えてしまいますし、違和感を覚えるものは見かけとは裏腹にかえって効率が悪かったりするのです。電気エネルギーを著しく消費するエアコンの風を不快に感じる人は少なくありませんし、ジェット機には空を舞う鳥の飛翔の快適さは望むべくもありません。

　「風育」とは、忘れられつつある、この根源的な心地よさの感覚を手がかりに、人間と自然の関係を見直してみる作業でしょう。日本人は、冒頭に紹介した日本語の例からもわかるように、ことのほかその感覚を研ぎ澄まし、風と上手につきあってきた民族であるように思われます。「風育」の可能性の沃野は広いのです。■

（上田昌文／キャリア・マムの連載「地球をもてなそう！」のコラムを改編）
      
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   <title>「火育」について</title>
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   <published>2008-12-02T11:19:20Z</published>
   <updated>2008-12-02T11:22:06Z</updated>
   
   <summary>　あなたは囲炉裏（いろり）を使ったことがありますか？　昭和30年代頃までの日本で...</summary>
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      　あなたは囲炉裏（いろり）を使ったことがありますか？　昭和30年代頃までの日本では、たいていのいなかの家屋には竈（かまど）、火鉢、囲炉裏がありました。部屋の中央に置かれた囲炉裏は、炊飯をはじめあらゆる煮炊きが行われ、灰の中に食材を埋めて焼くこともあたりまえでした。くべた薪の残り火を翌朝までもたせ、真っ白に見えていた囲炉裏の中の一角に息を吹きかけるともう一度炎が燃えさかる――そんな技のおかげで、家からは火が絶えることがなかったと言います。囲炉裏は、安全に部屋を照らすことのできる照明であり、衣類・食料・生木などの乾燥にも、火種にも使われました。薪を燃やすときの煙に含まれるタールの成分が建物全体の防虫性や防水性を高めていたとも考えられます。今なら炬燵を囲んでかろうじて成り立っているであろう、家族そろっての団欒の場でもありました。

　家の中の「火」に長くなじんできた私たちですが、では私たちは「火」そのものについてどれくらい知っているのでしょう？　改めて次のようなことを尋ねられると、答えに窮する人が多いのでは？

　芯を抜き取ったロウソクに火がつかないのは、なぜ？　周囲に火の気がなくても、使用済みの油を大量にたとえば新聞紙などに染みこませてゴミ箱に捨てて蓋をしておくと、自然発火することがあるのは、どうして？　木炭が煙や炎がほとんど出ないまま長時間燃え続けるのは、なぜ？……

　これらに答えるには、“燃焼”（物が酸素と結びつく際に発熱と発光をともなう激しい酸化反応）がどういう条件で起こるのかを知らなくてはなりませんが、じつは、火の使用の始まりが石器時代にまでさかのぼれるのに比べて、「火って何？　燃えるって何？」という疑問に答えられるようになったのはぐっと時代が下って18世紀なのです（「酸素」の発見が1772年）。燃焼のメカニズムの解明を手がかりに、その後、人類が様々な内燃機関を発明してエネルギー利用を大きく拡張し、工業文明を築き上げたことは周知のとおりです。今では、エアコン、床暖房、自動給湯、電球や蛍光灯、ガスレンジや IH調理器などのワンタッチの機器がかつての「火」に取って代わりました。環境汚染を理由に焚き火も容易にできません。オール電化住宅にいたっては、安全とクリーンを掲げた、完全に「火」のない生活を謳っています。今ではマッチを擦ったことのない子ども、土鍋で煮炊きをしたことのない大人は珍しくありません。しかし、「火」を生活から次々に閉め出していくという選択は、私たちにどこか違和感を抱かせないでしょうか？

　火は、火災という大きな厄災をもたらす恐れを常に秘めているものの、危険な獣と闇と寒さと飢えから人間を守ってくれるこの上ない恵みでした。厄災を阻みつつ最大限に恵みを引き出そうと、人類は長い歴史をとおして工夫に工夫を重ねてきました。竈（かまど）や暖炉や囲炉裏は家庭での、冶金や窯業（ようぎょう）は産業での、そうした工夫の結晶の一部でしょう。大きく見るならば、火を扱うことは（おそらく言語の使用と並んで）動物からヒトへの進化の大きな飛躍を生み出した最大の要因かもしれません。エネルギーの革命（身体の力以外に外部のエネルギーを自ら制御して利用すること）と食の革命（ほとんどどんな物でも食べれるように調理すること）が火によってもたらされたからです。厄災と恩恵の間の緊張は独特の精神性を火に付与します。どんな民族にも火にまつわる神話があり、宗教的なシンボルや祭儀・神事のいたるところに火が登場します。オリンピックの聖火などはさしずめその最も身近な例でしょうか（「聖火を“電気”に替えてしまえ」とは誰も言わない理由を考えてください）。

　その意味では、火を身近に感じ、その扱いを覚えることは、いわば人類の進化史を、自分の人生の中でなぞることなのです。火に接し、火を扱ってこそ、火にまつわる様々な精神的・文化的な事象を感得する道もひらけます。キャンドルの灯が醸し出すロマンチックな幻想性、焚き火や暖炉を囲んでの安らぎと心の通い合い、各地に残る火祭りに見られる昂揚感……これらは、誰もが火を前にして感じる共通の感覚・情感であり、私たちの身体に奥深く埋め込まれ長く長く受け継がれてきた反応のように思えます。これを絶やしてはならない――「火育」が求められる理由はここにあります。

　火事、火傷のリスクをゼロにしようと、子どもを火から遠ざける行為は、じつはそれとひきかえに、火を知らない・扱えない人を生み出し、ひいては火の文化を否定する、というもっと大きなリスクを招く行為だと言えるのではないでしょうか。■

（上田昌文／キャリア・マムの連載「地球をもてなそう！」のコラムを改編）
      
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   <title>「水育」について</title>
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   <published>2008-12-02T11:12:57Z</published>
   <updated>2008-12-02T11:22:40Z</updated>
   
   <summary>　私たちの暮らしを成り立たせてきた自然環境、食料やエネルギー事情が大きく変わろう...</summary>
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      　私たちの暮らしを成り立たせてきた自然環境、食料やエネルギー事情が大きく変わろうとしています。学校をはじめとする様々な場で、持続可能な社会を実現するための意欲をかきたて、その知恵を生み出す教育が求められています。この連載では、文系・理系、○○学……というこれまでの枠組みにとらわれず、「水育&amp;#8725;火育&amp;#8725;風育/食育&amp;#8725;体育/土育」という自然と生命のしくみの根っこに立ち返ったくくりを設けて、今求められる「生活の知」の形を手探りしてみたいと思います。

　水は生命のおおもと。水なくしてどんな生命活動もありえません。気象と大地の形成や変動を決め、海と陸の生態系の循環の要となり、生物のあらゆる物質代謝の“場”となる――水は地球という惑星において、あまりに重要であるがゆえにきわめてありふれた存在でなければならないという宿命を背負っている、飛び抜けて普遍的な物質です。水はまた、都市の形成、河川や海を通じての交通・貿易の発達、治水対策、農林水産業や工業での利用など、人類の歴史と社会の様相を計り知れないほどに左右してきた要素です。家庭生活でも料理や洗濯をはじめとして大半の営みが水と関係します。

　水は化石燃料や鉱物と違って、基本的には循環することでその役目を果たす資源ですから、使ったからといってなくなるものではありません。たとえば人体でみても、人はおおよそ1日2〜3リットルの水を飲み物・食べ物から摂りますが、ほぼ同量の水を1日で排出しています（人の身体の約60％は水でできていますが、最初に口にしたその水がすっかり体外に排出されるまで約1ヶ月がかかります）。

　ところが、なくなるはずのないこの資源の枯渇がすすみ、2025年には深刻な水不足にさらされる人が世界人口の約5分の2の26億人にも達する、との試算があります。水資源の極端な偏在――今まで手に入っていた水が手に入らなくなる地域が一挙に増えるのです。その原因は複合的です。温暖化など気候変動による影響、農業や工業での地下水の過剰な組み上げ、浄化が汚染に追いつかず水が飲めなくなること、政府と巨大企業による水の利権の独占や水の商品化……。「蛇口をひねれば水が出る」という生活があたりまえになっている私たちは、ペットボトルのミネラルウォーターの大量消費がどんな環境負荷をもたらしているのか、農畜産物や工業製品の輸入を通して海外の水をどれほど大量に輸入しているのか、といった現実に目がいきません（例えば１kgの小麦の生産には約2トンの水が必要ですが、日本は国内で消費される小麦の約9割にあたる約500万トンを輸入に頼っています）。都市から“水空間”が消えるとともに、水辺や川の持つ役割を知りそれとのつきあい方を学ぶ機会が失われました。ヒートアイランド化やゲリラ豪雨の頻発とこのことは無関係でしょうか？

　水の自然な循環を断ち切らない社会、そして「水は誰にでも絶対に必要なのだから、お金のあるなしにかかわらずきちんと供給される」社会の姿を、私たちは描き直さなければならないようです。自分が利用している水道水はどこから来てどこへ行くのか――まずはそれを正確に知ることからでも多くのことが見えてきます。「水育」は一番身近なところからいつでも始められるのです。■

（上田昌文／キャリア・マムの連載「地球をもてなそう！」のコラムを改編）
      
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   <title>書評　『原発崩壊』</title>
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   <published>2008-08-18T05:11:28Z</published>
   <updated>2008-08-18T05:18:00Z</updated>
   
   <summary>明石昇二郎　著 『原発崩壊』 （（株）金曜日　2007年） 　日本のエネルギー供...</summary>
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      明石昇二郎　著
『原発崩壊』
（（株）金曜日　2007年）

　日本のエネルギー供給において原子力発電への依存を続けるべきか止めるべきかをめぐっては、人々の意見の一致をみることはいまだに難しい。しかし、日本が地震大国であり、数ある施設の中でも原発には最も厳重な耐震策をほどこさねばならないことに異論のある人はいないだろう。地震の発生確率と規模の予測を記した、誰もが簡単にみることのできる最新のデータは、文部科学省の「地震調査研究推進本部」のホームページに掲げられた「地震動予測地図」だと思われるが、そこからは例えば、今後30年以内にM7.0以上の地震が発生する確率が10％を超える断層帯や海域が少なくないことが読み取れる（ちなみに東海地震は「30年以内にM8.0程度が生じる確率は87％」）。2007年7月16日に発生した新潟県中越沖地震はM6.8だから巨大地震とまでは言えないだろう。にもかかわらず、世界最大級を誇る柏崎刈羽原発は「想定を遙かに超える地震動に見舞われ」、その損傷は深刻で今だ運転再開のめどは立っていない。誰もがあってはならないと考える原発震災の、その一歩手前にまで至った、本当の理由は何であるのか。

　「周辺に活断層のある所には原発は建てない」ことを保証しているのは、かつてなされた活断層の評価（電力会社側の調査）と国の審査である。それを今調べ直してみると、新たな活断層の存在を示す証拠が次々と上がってきた。この重大な「発見」は、何も地震学の最近の進展の成果ではない。電力会社と国に調査や審査を託された一握りの専門家たちが、当時の学問的な常識からしても理解に苦しむような、過小評価を繰り返していたらしい。本書の最大の功績は、この重大な犯罪的事実を、当事者であった専門家や行政担当への取材と報告書や審議会議事録などの読み込みをとおして、実名入りで明らかにし、審査を受ける側と審査する側の“もたれ合い” （その両方に名を連ねた専門家も実在する！）をあぶり出したことだ。「想定外の事態」――すでに、女川原発、志賀原発、柏崎原発と続いている――は、おそらくは意図的になされた過小評価の結果であり、「そもそも原発と地震は共存できるのか」という問いに真摯に向き合おうとしない専門家たちが、国民を原発震災の危険にさらしている、と言えるだろうことを本書は教える。第三章の「シュミレーション・ノンフィクション」で描かれた壊滅的な地獄図が訪れることは決してないと、誰が断言できるのか。

　電力各社は今、2006年に28年ぶりに改訂された「耐震設計審査指針」に基づいて、原発周辺の活断層の再評価に乗り出している。その再評価は、原発に設置許可を出した当時の判断の問題点を抉り出すものであるべきだろう（この点を説得的に示す『科学』2008年1月号の鈴木・中田・渡辺の論文「原発耐震安全審査における活断層評価の根本問題」がある）。そして、この新指針には一度建ててしまった原発の運転を止めさせるための審査項目がないとするなら、著者が述べるように、「大地震が繰り返し発生していることが判明した土地には原発を建ててはならず、また、そこに立つ既存の原発は直ちに廃炉にしなければならない、という当たり前の審査項目」を加えるべきである。まっとうな地震の専門家たちの誰もが納得できる形で、この“当たり前”が実現しないのなら、日本に未来はないだろう。■

（上田昌文、『週刊読書人』所収）
      
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   <title>書評　『チェルノブイリの森　事故後20年の自然誌』</title>
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   <published>2008-08-18T05:06:30Z</published>
   <updated>2008-08-18T05:11:22Z</updated>
   
   <summary>メアリー・マイシオ　著 中尾ゆかり　訳 『チェルノブイリの森　事故後20年の自然...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.csij.org/archives/">
      メアリー・マイシオ　著
中尾ゆかり　訳
『チェルノブイリの森　事故後20年の自然誌』
（NHK出版　2007年）

　本書はウクライナ系の米国人ジャーナリストが、10年以上にわたってチェルノブイリを何度も訪れてまとめあげた異色のルポだ。チェルノブイリ原発4号基の事故は人類史上最大級の汚染を引き起こし、事故後21年目を迎えようとしている今でさえ、原発周辺に「ゾーン」と呼ばれる広大な立ち入り制限区域が設けられたままだ。そのゾーンに通いつめて著者は何を見たか。それは不毛な荒野どころか、高濃度汚染の影響が複雑な形で見え隠れしつつも、事故以前よりも木々や植物が繁茂し野生生物も増え、ヨーロッパ最大の自然の聖域として息を吹き返している現実だった。“人のいない大地”という条件と放射性物質の決して一筋縄ではいかない複雑な挙動が生み出した、新しい生態系の姿が、著者の細やかで忍耐強い観察をとおして浮き彫りにされる。放射線生態学の観点からすると些細な検討に値するだろう興味深い事実が随所に記されている。

　たとえば、第2章に記されている「赤い森」（強い被曝で葉緑体が死滅）に生える「巨大な箒を逆さに立てたような格好で」芽を出していたり、「飴細工のようにねじれてい」たりする松。松に取り込まれた放射能を調べると、季節で変動することがわかる。野菜やベリー類では、カリウムになりすます放射線セシウムは春に一番取り込まれるが、カルシウムになりすます放射性ストロンチウムは夏に蓄積が始まり成長期にそれが引き続く。こうした植物の生理に加えて、水、土壌、苔、バクテリアなどが放射性核種ごとの挙動に複雑に絡む。

　野鳥や湿原（3章）、絶滅危惧種（4章）、野生化した馬（5章）といった動植物に話はとどまらない。この本のもう一つの特徴は、「自然誌」を語りながら――その理解に必要な放射線に関する初歩的な知識は丁寧に解説されている――チェルノブイリ事故の経過や住民避難、事故処理や汚染除去、被災住民への対応など、未曾有の汚染に翻弄され続けてきた社会の姿を点綴させていることだろう。

　水源を汚染から守ることと汚染を水で洗い流してしまうこととの間で、広大で複雑な水系を相手に苦闘を強いられてきたわけだが、ゾーンの汚染点源の下では21世紀に入って地下水の放射能レベルの上昇が観察されるという（6章）。故郷を捨てられずゾーン内に定住する人々には、食べ物をゾーン内で自給せざるを得ない人が少なくない。貧困が内部被曝を増大させている現実は、ゾーン外であっても汚染の度合いのきわめて高い地域に住み続けている数十万人にとっても同様だ（7章）。ウクライナ政府は2000年以降、汚染された農産物の摂取を減らすことにかける対策費を事実上ゼロにしているという。そして、近くに10分もいれば命を落としかねない急性障害にみまわれるだろう「石棺」。その核の残骸は「地球の深い深い傷跡」であり、そこに核燃料がどれくらい含まれているのかさえ確定することは不可能だ（8章）。

　チェルノブイリ21年目を迎えた今、事故を扱った一般書の刊行はごくわずかになっている。そのような状況で、いわばチェルノブイリの森を主人公にして、人と社会の動きを含めた事故とその影響の全体像を振り返ることができる、本書の出現を喜びたい。ただ、記述されているたくさんの事実や現象を整理し、生態系の広がりの中でそれらをつないでみる工夫が、読者の側に求められるように思う。そのことで本書の面白みは倍加するだろう。■

（上田昌文、『週刊読書人』所収）
      
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   <title>書評　『原子力開発の光と影　核開発者からの証言』</title>
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   <published>2008-08-18T04:51:59Z</published>
   <updated>2008-08-18T05:17:01Z</updated>
   
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         <category term="10. 科学技術政策、科学論" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.csij.org/archives/">
      カール・Ｚ・モーガン　＆　ケン・Ｍ・ピーターソン　著
松井浩　＆　片桐浩　訳
『原子力開発の光と影　核開発者からの証言』
（昭和堂　2003年）

　保健物理学という学問の名を聞いたことのある人はどれくらいいるのだろうか。放射線利用の歴史は1896年のエックス線の発見から始まるが、放射線防護の取り組みはそれに遅れることほぼ半世紀、マンハッタン計画のさなかに着手された。初の原子炉を動かす中、目新しい様々な放射性元素との遭遇によって、作業員の安全のために何らかの防護基準を設ける必要に迫られたからだ。防護には放射線の正確な計測が必須だが、その計測器の開発に従事した科学者のうちの一人が著者モーガン博士である。放射線の健康影響（“保健”）にかかわる物理学者たち――これが保健物理学の語源となる。後にオークリッジ国立研究所(ORNL)として知られるようになる巨大なウラン処理施設の保健物理部門の責任者、関連諸学会の創設者、そして国際放射線防護委員会（ICRP）などの委員として、彼は中心的な役割を果たした。

　内部被曝に関するICRPの委員会を主導し、後に世界で採用されることになった放射線基準を作った彼だが、パイオニアたる者の科学的厳密と現実直視の姿勢を堅持することが次第に彼を原子力の主流から追いやっていく。この自伝の後半はいわばその“転落”の経緯を克明に辿っている。自身で明らかにした科学的知見や体験した事実によってなされる批判は、原子力問題の急所を痛いほどに突くものだろう。彼の信念は「人類が原子力を平和利用のために安全に利用する選択肢を選ぶ」、つまり原子力利用に伴う放射線被曝を可能な限り低減させることを最優先する、というものだ。彼とその仲間が開発したより安全な型の増殖炉が政治的理由から葬られてしまうのを、退職年齢の直前にしぶしぶ受け入れてしまったことを「私の最も大きい間違い」と著者はみなしているが、この屈辱が彼の人生を変えた。ORNLでの臨界事故（1958年）や化学爆発によってプルトニウムが飛散する事故（1959年）の身震いのするような体験は、その屈辱に甘んじることを許さなかったのだろう。ICRPなどが許容限度値を巧妙に操作する姿や医療や歯科で過剰なX線が照射されていることを厳しく批判し、プルトニウム製造工場での被曝事故をめぐる裁判（シルクウッド裁判）では証人として「安全な被曝量」の考え方の欺瞞を明らかにした。そして彼は今、「原子力時代の最も大きな挑戦」として放射性廃棄物処分と核兵器から核物質の流失・拡散の2つを挙げている。

　科学の持つ高潔さを信じるが故に「人々のために、私にとって最も重要な原則のために戦う」ことになった著者の純粋な一徹さが、原子力における科学と政治の絡みあいを科学コミュニティ内部から鮮やかに照らし出している。それが本書の魅力である。■

（上田昌文、『週刊読書人』所収）
      
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   <title>書評　『核拡散』</title>
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   <published>2008-08-18T04:49:17Z</published>
   <updated>2008-08-18T05:17:35Z</updated>
   
   <summary>川崎哲　著 『核拡散』 （岩波新書　2003年） 　国際法違反の戦争を支持するこ...</summary>
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         <category term="08. 宇宙開発、安全保障" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.csij.org/archives/">
      川崎哲　著
『核拡散』
（岩波新書　2003年）

　国際法違反の戦争を支持することを「国際貢献」と言いくるめ、その是非を国民に問うこともなく自衛隊はイラクに派遣された。疑いなく日本の国防の転換点になるだろうこの事態をいかにとらえるべきか。米国追従路線のもとに戦争への加担や自身の軍事化をすすめることが何をもたらすのか――今ほど真の安全保障のあり方を真剣に議論すべき時はない。時宜を得たこのコンパクトな一書が世に現れたことを私たちは見逃してはならない。

　国際的な安全保障の要は、核拡散をいかに防止するかであろう。米国はその脅威（大量破壊兵器の所有の可能性）を声高に唱えることでイラク攻撃を正当化した。しかし当の米国はどうか。ブッシュ政権は包括的核実験禁止条約の批准を拒否し、核不拡散条約の無期限延長に際しての「非核兵器国への核攻撃を行なわない」という約束を踏みにじっている。　小型核兵器（「使える核」）研究の解禁、地中貫通型核爆弾（「核バンカー・バスター」）の開発、ミサイル防衛関連予算の増額（日本も本格導入を決定）……と、国際条約に基づく軍縮のプロセスを崩壊の危機にさらしている。著者が明確に指摘するように、日本は「自らの安全保障のためのとしてアメリカの核兵器に与えている役割を縮小させる義務を、国際条約上負っている」にもかかわらず、“日本が必要とするアメリカの核抑止力を減じてしまうような核軍縮要求は賛成できない”という惰性的な立場をとるばかりだ。

　著者は核軍縮のための国際会議や対政府交渉の歩みを簡潔にふり返ることで、国際条約の持つ意義を明らかにし、それをとおして米国や日本のスタンスの問題点を照らし出す。丁寧に事実を追うことで自ずから浮かび上がる説得力がここにはある。北朝鮮敵視とともに台頭してきた核武装論に対しても「こうした無責任な言論に引きずられて、国内的な論争点を“核武装か、非核の堅持か”といった低水準のラインに設定してしまうことは、大きな誤りである」と断じているが、これもNPOの一員として国際交渉の場に関わってきた著者の経験によって、建設的な議論のありどころを察知できるからこそであろう。

　では、軍縮の風をどう起こすのか。著者が重視するのはすでに実績をもって示されている新しい多国間交渉の方法論であり、軍縮において日本がとるべき国際的なイニシアティブの方向性である。前者は「新アジェンダ連合」に代表される。対人地雷全面禁止条約を実現させた「オタワ・プロセス」の核兵器版とも言うべきもので、中堅8カ国がNGOとの連携をも生かしつつ、2000年の核不拡散条約再検討会議において核兵器国に「核廃絶の明確な約束」を誓約させることに成功した。後者は「東北アジア非核地帯宣言」が眼目だ。日本、韓国、北朝鮮の3ヶ国が共同で非核地帯条約を結び米国、ロシア、中国の3つの核兵器国からの安全の保証を取り付けること狙う。軍縮の実りある議論と行動が、本書が提起するこの2つの論点から開かれてくることを期待したい。■

（上田昌文、『週刊読書人』所収）
      
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