連続講座・シンポジウム「科学技術は誰のために?」
事前インタビュー(その2)「日本の医療は福袋医療?」
隈本邦彦さん
(北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニット 特任教授 藤田保健衛生大学 客員教授)
Q)隈本さんはテレビのお仕事で長年いろんな病院とか、それから医療関係者とか海外も含めて取材されてこられましたよね。私たちは今JSTの研究で、患者にとって適切に情報を仕入れたり、自分の病気のことを判断したり、医者に対して自分の意思を伝えたりってことがどうやったらうまくいくのだろうかといった観点から、そういうところを1つのモデルとしまして、それをもっと消費者とか生活者に拡大して見てみようと思っているのですね。今日は医療の問題のことで、日本の現状、どういうところが一番問題かと思って、特に患者の権利に焦点を合わせていろいろお話いただきたいと思うのですけど、1つは病気になったとき、あるいは自分の体調がおかしいなと思ったときに、どこにどういう風に相談しに行ったらいいのか、どの病院がいいのかという選択の段階からの問題がまずあると思うのですね。その辺のところからまずは少し…。
――はい。僕は長年NHKで医療関係の取材をしてきて、NHKスペシャルも何本か作ったんですけど、基本的に流れるテーマは患者の権利なんですよね。日本では、患者の権利、特に十分の病状と治療法についてよく知った上で納得した上で治療を受ける権利、つまりインフォームド・コンセントの上で治療を受けるというそういう権利が非常にないがしろにされているという印象を持っています。同じ医療先進国と言われる欧米先進国に比べて患者の権利という面では非常に遅れています。そういうことをテーマにずっと番組を作ってきました。
1つはカルテ開示をテーマにNHKスペシャル「カルテは誰のものか〜開かれた医療への模索」というのを作りましたし、もう1つは臨床試験をテーマにインフォームド・コンセントを考える「新薬はこうしてテストされる〜臨床試験の舞台裏」を作りました。それから例えば胎児診断をテーマにプライム10「あなたは生命を選びますか〜ここまできた胎児診断」という番組を作りました。この番組は、胎児診断の医療技術がどんどん進む一方で患者は十分それを知らされているのか、そういうところを視点に作ってきました。問題意識は常にそこにあります。
僕の持論は、日本の医療は「福袋医療」だというものです。福袋を売っている側の店員はよく中身を知っている。ところが買う側は中身を知らない。でもみんなは、例えば老舗のデパートで売る福袋には中にいいものが入っているに違いないという信用や、3000円のを買ったら中には5000円以上のものが入っているよという暗黙の了解、そしてあの店の福袋は中身がいいらしいよという口コミの評判、そういうものを頼りにみんなが行列を作って買っていますよね。そして食べ物売り場の福袋には食品が、洋服売り場の福袋には洋服が入っていることくらいは分かるのですが、中身がどういう質のものなのかということを確かめずに買うんですね。これは日本の患者さんが、産婦人科だったら産婦人科の、小児科だったら小児科の医療が受けられるくらいのことはわかるけれども、そこでどのような質の医療が提供されるかわからないというのと似ています。そして老舗のデパートとあろうものが福袋の中にがらくた詰め込んでいることはないだろうという一種の老舗に対する盲目的な信頼。一方デパートの方だって3000円の福袋に 5000円分詰め込んでいるんだからお客さんは喜んでいるはずだと思っている。でも思い込みですね、一種のね。その福袋が売られた後、本当に満足しましたかというアンケートを取っているデパートなどどこにもないわけですよ、実際には。
日本の患者さんが日本の医療にアクセスするときの仕方っていうのは、まさに福袋の買い方と一緒で、大きな市民病院だったら、大きな大学病院だったらいい医療が受けられるに違いないという老舗に対する盲目的信頼感、そして口コミの評判だけで行っている。売る側は分かっているんですよね、自分たちの実力も、手術の成績も全部、はっきり言えばみんな知っているんですが、それは言わずにとにかく安心してここにかかってくださいというイメージ作りをすると。それで中身を確かめようとする客に対しては「あなたはうちを信用していないのですか」という態度をとるんですね。僕がその福袋医療を一番問題だと思うのは、提供する側が定価5000円のものが3000円で買えるんだから、ありがたいと思えよと思っているっていうことです。きっとお客さんは満足しているに違いないと思い込んでいるところです。日本のお医者さんの特徴として、自分は患者に対して最善を尽くしているので患者が満足していないなんて思っていない人がいます。たまに満足していない人がいると「変な人」「いやな患者だなあ」で済ましている。患者さんが満足する医療ってなんなんだろうって考えたこともないし、患者さんに聞いたこともない。おそらくクレームが来た時だけ始めてああこういう患者もいるのかと思うだけです。顧客満足度っていうのを調べないで今までやってきたというのが日本の医療の特徴だと思います。
これはおそらく欧米でもヒポクラテスの時代からずっとそうだったとおもいますが、ここ数十年の動きの中で変わってきています。日本ではようやくインフォームド・コンセントという言葉も定着しつつありますが、基本理念がまだ福袋医療なので、要するに私を信じて買いなさいと、信用してくれれば私が最善の医療を提供してあげますよっていうパターナリズム的な発想がそこにはあるんです。福袋なら、まあいいですよ。売ってるのは正月三が日だけだし、その3日間でも福袋売り場以外では普通に買い物できる。お年玉持ってパソコン売り場にいけばちゃんと中身を確かめて店員に質問して買うことができるんです。
ところが日本の医療っていうのは、日本国中の店のどこの売り場でも福袋しか売っていない国の買い物なんだと。どうです?想像してみてください。すごいストレスのたまる買い物でしょ?普通なら福袋の中見たくなるでしょう。私は看護学生や医学生に講演する機会があったら、その気持ちが分からないで医療の最前線に行っちゃだめですよと、いつも言ってるんです。僕たちは生まれたときからずっとそうなので、当たり前だと思ってるんですね。でもそれは大きな間違いで、パソコンで10万円使うときには商品を見て、仕様書をチェックして、わからないことは店員さんに話を聞いて、すごい一生懸命やってるじゃないですか。なのに10万円の医療費使うときには、あんまり相手をチェックしないのは変ですよね。それを良しとしてきた日本の医師―患者関係を根本的に改めないといけません。これを改めないで、いい診療を受けるための情報とか言っても全部医者の宣伝になっちゃいますよ。
例えばお医者さんが選ぶ100の病院とか、ここが名医とかいう本が出てますけど、あれは全部宣伝ですね。もちろん宣伝から得られる貴重な情報はたくさんありますよね。広告を見ることによってこのスーパーは安いってわかってから行けることもあるけど、それはあくまで向こう側、買ってほしい人が出している宣伝であって、本当の実態ではないわけですね。その実態をはっきり明らかにさせるっていうところがスタートラインです。そこがちゃんと見えたらようやく福袋じゃない買い物ができる。福袋じゃない買い物ができるってことは、その商品の中身がはっきりと分かるということです。
ところが、それに対する努力は医療界も日本の医療行政もそれから逆に一般市民の方も怠ってきたかもしれませんね。市民は怠ったというより、やろうとしてもできなかったんですけどね。この問題で最も重要なポイントは、やっぱり情報公開で、まずはカルテ開示ですよね。自分の病状がどういうものか分からないで、どういう医療がいいかって考えることはありえないわけで、前提条件として自分の病状がどうでその病気はなんという病気でどういう状況なんだってことが分かってから初めていい医療が分かるわけですよね。それについてはある程度進んできたと思っています。あまり知られていませんが、2005年4月に完全施行された個人情報保護法の第25条によって日本のほとんどの病院についてはカルテ開示が法的な義務として決まりました。もちろんそれ以前から公的な病院では個人情報保護条例などでカルテが見られるという状況が作られてきた。これはもう利用しない手はないですよね、実は個人情報保護法が成立した時点でのメディアの報道があまりにも偏っていたので、あたかも政治スキャンダルが取材できなくなるとか、そういう報道側の立場だけが強調されていたんですけど、医療の世界で言えば「カルテ開示」という、日本の患者がなかなか勝ち取ることのできなかった最大の成果物がこの個人情報保護法の成立によって得られたんです。我々消費者はもっとこのことを自覚しないといけない。で、それによってまず情報を手に入れる。でもそれは生情報ですよね。本当はみんなが知りたいのは、私が受ける治療が世界標準のものなのか、それとも駄目な医者のものかという点です。
そういう情報を適切に提供するのは、国であってもいいのですが、本当は医療業界の本来の仕事なんです。今からやろうとしている治療法のメリットっていうのはこのくらいで、デメリットはこのくらいで、当然患者ごとの統計上のずれはあるけれども、平均値を取るとこれくらい生き残れますと。5年生存率はこれくらいですと。そして本当に患者が知りたい情報は私が体を預けるあなた、つまり相手の医者の治療成績ですね。こういったデータは本来素人には絶対に手に入らない情報なんですね。プロフェッショナルである医師集団が、自分たちのプロ集団の責任として調査して作り上げるデータです。ところが日本のお医者さんたちはそもそも病院の実力なんか簡単に測れるもんじゃないって言ってきたんです。だからそんな比較はやらないと。
ところが欧米ではそうではなくて、病院の実力は確かに測りにくい、医者の実力測りにくいから、じゃあどうすれば測れるかってことを真剣に何十年も考えてきました。その結果、たとえば治療法に関してはEvidence Based Medicineっていう考え方で、大規模なランダマイズコントロールスタディによって効果が立証された治療法というものをできるだけ選ぼうとしてきました。医者の個人的経験とかじゃなくてそういう統計的に処理されたちゃんとした臨床試験による選択で治療法を選べるようにしようと。そして病院の実力もちゃんと評価するシステムを作ろうとしてきました。
たとえばICUなんかはそうなんですけど、集中治療室に入ってきた状態の重症度の指標を作ってその数値に対して実際の生存率がどうであっか、つまり重症の人ばっかり治療していると死亡率が高くなっちゃいますよね。ところがほとんど健康な人ばっかりを重病と誤診して治療したら生存率100%なわけですよ。だから医者の実力っていうのは簡単に生存率で測れないんだけれども、あらかじめ重症度分類をした上で、かなり細かいスコアリングをした上で、その人が何年生き残れたか、何ヶ月生き残れたかっていうデータを見ればその病院の実力がはっきりします。そういう考え方でICUでは「アパッチ」っていうスコアがあるんですけれども、そのアパッチスコアによってICUは全部ランク付けできるんです。極端に言えば、世界中のICUですね、1位から3000位とか4000位まで順番つけることはできる。そういうのを開発するのは、実はプロフェッショナルとしての医師の業務であって、それを今まで怠ってきたのが日本の医療界、世の中からそれを求められてこなかったっていう、うらはらな関係かもしれません。そういうことだと思っています。 日本に存在するわかりやすい病院選びの情報はほとんどまやかしです。つまり医者が選んだなんとか病院とか、そういう、ここがいい治療やっているっていう週刊誌の情報とか、そういうものは頼りになりません。
一方国立がんセンターなどはかなり詳細ながん治療についてのデータベースを作っているけれども、あれは素人がアクセスしても、とても分かるものじゃない。つまり自分の病気の本質、病状とか標準的治療法についてのかなり基礎的な知識がないと読んでも分からない。で、その間が完全に抜け落ちているんですよね。わかりやすい正しい病院の評価情報が存在しない。それがいまの日本です。厚生労働省がやろうとしている症例数による評価、おそらく手術症例数が多いところが成績もいいだろうというレベルはまだ初歩段階で、昔は欧米でもそうでした。でもいま欧米では、手術症例数の多くて、しかも成績のいいところ、っていうような選び方ができるようなデータベースを作っています。こういう仕事は絶対に医療界と行政が率先してやるべき仕事だと僕は思っています。
これを怠っている状態で、いくら患者が病院を選ぶって言ったって、それは外見とか評判とか、きっと東大病院だったらいい医療が受けられるだろうって並んでしまう福袋医療と本質的には変わりません。医学部の大学入試の時の偏差値と医療のレベルが比例するという大きな勘違いをしてますよね。で、本当の意味でのデータベースを提供する仕事は、医療界が真剣にやるべきだし、それは欧米の医療界が今まで社会の圧力もあってやってきたし、そういうプロフェッショナルの自覚としてね、やってきた部分があるんですが、日本の医療界は相当さぼってますから。そういう意味では患者にとっては、ぜんぜん役に立つデータベースがないと言っても過言ではないです。
若干注目できるのは国立大学病院長会議が国立大学病院のデータ、いろんな指標をデータベース化して順位をつけていこうという動きをしていることですね。でも、そこがまた問題なんですけど、結果は公表しないらしいです。一般には知らせないで、順位をその病院には教えるというシステムを作ろうとしているそうです。そういうものが一般の人だって簡単に手に入るようにならなきゃならないし、そしてそれからさっき例に挙げた国立がんセンターのがん治療のデータベースみたいなものが、もっと分かりやすくいい形で提供される、それはやっぱり解説つきじゃないと駄目ですね。いくらアクセスしてもなんのことかさっぱり分からない。それをあなたの場合はがんの進行度がこれですから、こういう治療法とこういう治療法とこういう治療法がありますけど、っていう説明を受ける時間が必要ですね。説明する人も必要ですね。それは別に100%医者じゃなくてもいいと思っているんですけどね。看護師でもそういう能力ある人たくさんいますので。いずれにしても情報は存在するけれども、整理されていない、アクセスできない、そういうことが大きな問題だと思っています。
Q)現在、病院評価の動きなんかもあって、それがどれくらい本当に患者にとって役に立つものになっていくとか、それから本当に医師のきちんと今おっしゃったような全面的な協力といいますかね、やはりどこどこだけが協力してとか、そういうことではいけないわけですよね。
――私は95年今行われている日本医療機能評価構の病院評価っていうのは、消防の丸適マークと同じで、普通にやってれば取れるっていう話ですよね。それだったら患者個人にとってあまり有益な情報になってないと思います。たとえば医療訴訟3件抱えているような病院が立派に適マークもらっているんです。そういうのがある以上、結局外見で評価しているのとあまり変わらないですよ。なになに病院だったら老舗だから信用できるっていう、そういう信用作りみたいなことをしているだけで。
本当の意味でいわば自分の今なっている病気で、どれくらいの成績を上げているかっていうのが、全国の病院が俯瞰できるようなものにならなければあまりデータベースにはさほど意味がなくて、病院の認定もあんまり意味がないと思います。本当は、どのように医療事故発生の情報収集体制をしているのかとか、医療事故が起きた後の対応などを調べてほしいですね。治療成績とか贅沢はいいませんから、だってそんなデータベースはまだ日本の医療界には存在していないから、せめてその病院が標準レベル以下じゃないかどうかチェックしてくれればいいと思うんですよ。
日本の病院は、医療法に基づいて各保健所から医療監視っていうのを受けているんですけど、そこでは医師や看護師が定員に足りない病院がぞろぞろ見つかっているんです。抜き打ち検査でもないのに。そして改善を指導されただけで平気で見逃されているんですよ。だからあの日本医療機能評価機構なんていうのは、僕ら患者の立場で言えば何生ぬるいことやってるのって感じですよね。いいところを評価しようっていう考え方はいいと思いますよ。でもこのシステムではひどい病院を排除できないからダメです。実際に評価機構の認定をもらった病院がいい病院かどうかはわかりませんが、いい病院の部類に入るかもしれないけど、そうでない病院を排除できない格付けシステムはダメです。
この評価機構はアメリカのJCAHOっていうのをまねしたんですけどね、アメリカのJCAHOの場合は、ここの認定が取れなければ病院がつぶれるんですよ。メディケアとかメディケイドによる治療ができなくなるし、認定が取り消されたら何年間で取り返さない限り、間違いなくつぶれるんですよ。だからどの病院も一生懸命認定とろうとするし結果が信頼されるんですよ。今の日本の認定機構のは、優等生に手を挙げてもらって、その子達をかわいがるっていうそういうレベルであって、本当に駄目な病院をつぶすような能力、力ないんですよ。そんな認定ってあまり、まあそういう意味では患者さんの選択のものにはならないですね。残念ながら。努力はいいとしますけれども。
僕の経験から言うとですね、今ちょっと問題になっていますよね、助産師がちゃんと雇えなくて看護師とか準看とか無資格の人に助産行為をやらせている病院・開業医って山ほどあるんです。もし保健所がまじめに調べればそんなことはいくらでも分かるんですよ。だって勤務台帳見たらわかりますよ。夜、医師も助産師もいないのに内診しているってカルテに書いてあるんです。それを勤務台帳を付き合わせればすぐに分かるんです。2年に1回医療監視が入るんです。でも保健所の職員は、絶対勤務台帳とカルテをつき合わせて見ないです。見たら違反を見つけちゃうからでしょうね。そういう違法行為だとかね、レベルの低い医療を行政が放置しているような国で、いくらいい病院を認定しましたって言っても、そんなものまやかしだと私は思います。
Q)それでは、自分なりにある程度情報を得て病院を選んだとしましょう。それで実際にお医者さんに対面して、治療を受ける段階になってきた、診断を受ける段階になってきたというときに、どこまで説明してもらえるのか。いわゆるインフォームド・コンセントが実質どこまで本当に可能になってきているのか、その辺の話はどうですか。
――そうですね。その点については僕はあんまり悲観していないです。それは今の若い人とか同じ世代の人たちに普通に教育を受けた人だったら、自分の病気のこと調べ始めれば結構詳しくなれますよね。そこにもし偏りのないいいいデータが手に入ったら、結構納得して治療法を選択できると思いますよ。結局今はですね、アガリスク茸がいいとか、そういうものすごくあれがいいこれがいいという情報ばっかりが出てきて、何がどうどっちがどういいのかっていう区別がつかないんですよ。そういう情報がないんですよね。でも例えば大規模な臨床試験とかそれをメタアナリシスしたものとか、そういうかなり信用できるデータベースが存在したら、この治療法の生存率はこうですよっていうようなものが存在したら、普通の常識的な人物であれば、ちゃんとした判断が出来ると思います。そうやっていろんないいデータを手に入れた後、あとはお医者さんにおまかせしますっていうのはありなんですよ。
みんな誤解しているんですが、インフォームド・コンセントっていうのは、お医者さんが治療法とデータをぽんと提示して、さてどれ選びますかっていう風に患者に選ばせることっていう印象を持っているお医者さんがいますけれども、けっしてそんなことはなくて、どの治療法が最善と考えるか、医師は当然プロとして推薦するものは一つあるわけですね。その一つを患者にフェアに説明して納得してもらえるかどうかっていうプロセスなんです。患者がそれに納得できれば、後は先生にお任せしていいんですよ。細かいことまで全部を理解することは無理ですよね。6年間医学教育を受けて現場で何年もずっとやった人と、初めてその病気になる人が同じ土俵に立つってことは無理です。
ただし、同じ土俵に立てたような気になるっていう条件はありますよね。僕は今まで電磁気のことは知りませんでしたけれども、上田さんから話をずっと聞いてこんなデータとこんなデータと、本当はあまり害はないっていうような上田さんにとってまずいデータもちゃんと出してもらって、それでじっくり3日ほど考えたら、多分その問題を10年間やっていた人と同じくらいの土俵で判断できるってことがありうると思うんですよ。それは例えば弁護士さんとクライアントの関係に似ています。私たちが誰かを訴えようとするとき、何も法律を全部知ってなくたって、弁護士さんと相談して納得いった上で訴えるってできるじゃないですか。別に弁護士と同じ知識がないから絶対に正しい判断できないってことはない。例えばいくら専門家である弁護士がこれを訴えても勝てませんよって言ったって「私は訴えたい」っていう決断もできるわけですよ。自分のお金で裁判をするんだしもともと自分の問題だから。
それは医療についても同じなんです。自分でお金を出し、自分のの体の問題だから自分で決断できるんです。その決断するにあたってなんか胡散臭いことを言われてだまされたような気持ちになるのと、いろんな情報を得た上であなたのことを信頼しますから弁護士さんお願いしますっていうのとではぜんぜん気持ちが違うし、もしうまくいかなかったときでも、ぜんぜん違います。リスクを受け入れる度量がずっと広くなります。医療っていうのは不確実なものなので、失敗もするし、必ず100%成功する治療法があるわけではないんですよね。まれな副作用もあるし。そういうものをやる以上、ある程度フェアに説明して、フェアの基準っていうのはインフォームド・コンセントについての国際的な基準ですよね。
要するに標準的な治療法とそれ以外の治療法と無治療の可能性といろんなデータを示しながら、標準的な治療法をやった場合のデメリットもちゃんと言って、そういうことをちゃんと伝えた上で、本人に自由意思すよという状況をちゃんと与えて、強引な感じでもなく説得的な感じでもなく自由な感じで本人が納得できる情報が得られた上での決断なら、なんか不都合なことが起こってもそれが想定の範囲内であれば患者さんは許すし、納得もいくと思いますね。
ところが治療法はこれしかないですよとかこうしないと死にますよとか、医師の威嚇や不適当な誘導でその治療法を選んでしまうと何かが起きたときに医療訴訟になる確率が高いんです。医療が不確実で危険であるから、よりよく情報を提供して納得した上でっていうのが必要なのに、現代医療はどんどんそういう方向に行っているのに、まだまだ医療界の意識は追いついていない。やっぱり法的にあるいは社会的にそれを求めていくような圧力がないと、お医者さんは動かないですよ。まず法的にはカルテ開示の法制化だし法律に基づく情報公開なんですけども、一方社会的にも、情報を出せ出せと患者がいつも言っているとそういう状況を作っていかないといけないんですよね。それはある意味患者側の啓発というか、エンパワーだと僕は思うんですけども、患者さんはどんどん質問していいんですよと、聞くことはこれとこれが大事なんですよっていうことを、患者さんが質問できる力をつけるっていうか、エンパワーするってことが大事だと思います。
Q)たいていですね、自分が体が弱ってお医者さんを頼りに、心細い気持ちで行ったときにですね、そのお医者さんに自分が納得できるまで問いつめるなりなんなり聞き続けていくこと事態が難しいですよね。だから今おっしゃったエンパワーっていうのをどこでどういう風にやっていくかっていうのはなかなか大きな課題だと。
――僕はだからアドボケイトつまり患者権利擁護者っていう存在が必要だと思っています。その人は医学的知識があって、そして患者のベッドサイドにいる人でなければなりません。僕はそれは間違いなくナースだと思っています。で、ナースが病院の中にたくさんいるっていう意味はなんだろうか。病院の中に医師だけじゃなくてナースがいる意味はなんだろうかって考えてほしいんです。
医師は医療チームのリーダーだけれども、医療は医者だけでできるものではない。医者だけの病院がもしあったとしたら、そんな病院入院したくないでしょう。ナースはあまり広く認識されていないんだけれども、病院の中で非常に重要な仕事をたくさんやっています。その中の1つが、患者さんが納得して医療を受けられる権利を保障するための説明者であり、医師への質問をエンパワーする人であるということです。その意味では教育者ですね、まぁミニ教育ですけどもね。医療現場でのミニ教育者でもある。そのためにたくさんの医療知識を得て看護師免許取っているわけですからね。日本の医療界は、そういう仕事を今までナースにあまりやらせてこなかったし、ナース自身もそんなことをやらなきゃいけないとはあんまり思ってこなかった。患者さんのためっていつも思っているんだけども、それが患者さんの知る権利をエンパワーすることだっていうことについてはちょっと思いがいたっていないんですよ。
だから僕は看護教育を変えていきたい。あなたたちは患者の権利擁護者なんだということをわかってもらいたい。アメリカでは看護教育の最初の段階でしっかりこのことを叩き込んでいます。患者の権利を守る仕事は看護師がやらないと、もちろん医師もやらなければなりませんが、いま医師は忙しすぎますからね。ナースは全国に100万人くらいいるわけで、100万人の人が患者の権利を守らないと駄目ですよ、と僕はいつも言っています。
Q)例えばセカンドオピニオンという考え方がありますよね。患者にとっては別のお医者さんに相談してっていうことそのものがものすごく抵抗を感じるっていうことがあると思うんですよね。そういうときに今おっしゃったようなナースがこういう方法もあるんだよと、それはやってもいいことなんだよっていうことで進めていく、そういうことも含めてですか。
――そうです。セカンドオピニオンなんかは、いま日本の患者にとって、心理的な壁をどう乗り越えるかだけの問題なんですよ。自分のお医者さんに言い出せるかどうか。自分の病院からカルテを持ち出す勇気があるかどうか。セカンドオピニオン自体はアメリカではもう当たり前のことだし、セカンドオピニオンっていう言葉がすでに一般名詞ですよね。日常会話にセカンドオピニオンはどうっていう話が出来るくらいまで。それが広がった最大の理由は、どうやら医者の独善を許しているとどんどん医療費が上がっていくから医療保険会社が大きな手術にはセカンドオピニオンが必要だと決めたことと、社会の患者の権利運動とがたまたま利害が一致したためらしいです。
1980年代に入ってからですが、いわゆるマネジードケアによって保険会社による医療費のコントロールが進んだ時期と、患者の権利運動とが重なっています。両者には医者の横暴を防ぐっていう共通の目的があったんで、現在ではもう保険会社と患者の利益は相反してますけどね。だから日本でもですね、重大な手術のときにはセカンドオピニオンを必ずつけなさいみたいなことを決めるという手もあると思いますね。いま一部の病院ではセカンドオピニオン窓口というのを作っています。こんな窓口、セカンドオピニオンが当たり前になるといらなくなるでしょうけど、今はセカンドオピニオンを受けてもいいんですよ、お医者さんも気軽に応じてくれますよと、怖がらなくていいですよっていうことを啓蒙する時期かもしれませんね。
もし本格的にセカンドオピニオンを普及させれば、医療のチェックと質のチェック、質の向上とそれと医療費の無駄遣いのチェックっていうのができる可能性があるんですよ。アメリカが実際にそうやってきたし、日本でもその部分のいい部分だけまねしてもいいかなと。よく役所の書類でね、補佐、課長、次長、部長ってたくさん印鑑を押してあるのがある。くだらないですよね。くだらないけれども、一応全員責任者っていう印鑑押すじゃないですか。あれと同じで必ず誰かの印鑑をもらってこないと手術しませんよ。同じ専門を持っている別の医者が、確かに手術をするべきですねっていう印鑑がないと、手術しませんよっていうシステムを作ったら、それは結構医者のレベル向上になるし、切磋琢磨になるんじゃないかと。どこの病院に行ってもいいという仕組みにすれば、系列化なんかも防げるので、他の病院の印鑑がないと手術しませんよみたいなね。それは医者が忙しくなるって絶対反発されるし、医者自身も絶対反発するとは思いますけれども。いずれはそういう時期を経ないとなかなか普及しないでしょうね。実際にお医者さんとしては、セカンドオピニオンを求めることに対して抵抗しなくなっていますよ。国立病院はほとんど全部セカンドオピニオン窓口を持ってますよね、そういうところまでいってますからね。その基本になるのはカルテ開示なんですね。カルテ開示が法的に認められた今だからこそね、セカンドオピニオンを推進する時期だと思いますよ。
ただ注意しなければいけないのはセカンドオピニオンに似て非なるものはドクターショッピングです。カルテを持たずに別の病院にいってしまうということです。それでは何件病院に行っても、それはファーストオピニオンの寄せ集めであって、セカンドオピニオンではないですね。最初の診断があって、データやカルテを持っていくからセカンドオピニオンの意味があるのでね。そういうことを推進するためには、現段階では、セカンドオピニオン窓口をちゃんと作って、掲示をして、そしてナースがあるいは医療者全体でセカンドオピニオンの重要性を患者に伝えると。そういう時期ではないかと思っています。
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