低線量放射線被曝のリスクを見直す

第167回土曜講座「低線量放射線被曝のリスクを見直す」版はこちら
2005年1月26日(水) 文京区茗台生涯学習館にて
講師:市民科学研究室・低線量被曝プロジェクトメンバー

 1月26日の第167回土曜講座「低線量放射線被曝のリスクを見直す」では,市民科学研究室「低線量被曝プロジェクト」が1年間をかけて読み解いてきた『ECRR報告書(欧州放射線リスク委員会2003年勧告)』について,その内容を独自に編集し,報告しました。この報告書は,現在の放射線被曝防護のベースとなっているICRP(国際放射線防護委員会)のリスクモデルを根底から見直した画期的な内容になっています。今回の講座では特に「低線量被曝」に焦点を当てて基本的な論点を紹介し,放射線・原子力問題に関心を持つ多様な参加者が,真剣な議論を交わしました。今号では,メンバーによる報告内容を記事に再構成してお届けいたします。

市民科学研究室
低線量被曝プロジェクトメンバー
  西尾 信一
  笹本 征男
  柿原 泰
  瀬川 嘉之
  上田 昌文

放射線ホルミシスと放射線影響
                     西尾信一

1. はじめに

 「弱い放射線を微量受けることで細胞が刺激を受け,身体の細胞を活性化させ毛細血管が拡張し、新陳代謝が向上、免疫力や自然治癒力を高める」と謳われる放射線のホルミシス効果の宣伝文が,放射能泉として名高い三朝温泉がある鳥取県三朝町のHPにある。もともと放射能泉は,三朝温泉や山梨県増富鉱泉,秋田県玉川温泉などの天然のものも放射性物質を用いた人工的な「ラジウム温泉」「ラドン温泉」「トロン温泉」なども各地にあった。それらの効能はもちろん放射線によるとされるものだが,あくまで経験的・伝統的なもので科学的に実証されたものではない。しかし,最近はこの放射線ホルミシス効果の認知度が高まり,「微量放射線はかえって体によいことが科学で明らかになった」として,放射能泉や微量放射線を出す健康グッズなどの宣伝に用いられている。

 このような放射線ホルミシス効果を重視し宣伝する原子力・放射線の一部の専門家(以下,これをホルミシス学派とよぶことにする)の立場は,現行のICRP(国際放射線防護委員会)による微量放射線に対する人体影響評価を過大評価と批判するもので,ICRPの評価が過小評価であるとするECRRの姿勢と真っ向から対立するように見える。これら三者の微量放射線に対する判断は,表1のようにまとめられるだろう。ただ,後述するようにECRRは放射線ホルミシス効果そのものをまったく否定しているわけではない。そこで,科学としての放射線ホルミシス効果がどのようなもので,何が問題になると考えられるかを明らかにし,併せて放射線影響に関する基礎知識を確認したい。

2. 放射線ホルミシスとは何か

 放射線ホルミシス効果とは,1980年に米国のThomas D. Luckey, Ph.D.によって提唱された概念で,「高線量だと生物に害を及ぼす放射線は、ごく微量ならば生物の生命活動を活性化する」というものである。ホルミシスhormesisとは,「ホルモン」の語源であるギリシャ語のhormo(“刺激”“促進”という意味)を元にしたLuckeyによる造語である。

 放射線ホルミシス効果を実証するものとして紹介される研究結果は,抗酸化酵素SODの活性化の亢進などの分子レベルの効果,細胞増殖の促進などの細胞レベルの効果,がん転移の抑制などの個体レベルの効果など,多数ある。しかし,その大部分は,最初に低線量を照射させておくと,次に障害を与えるような高線量を照射したとき、その障害が軽減されるという本来の意味のホルミシス効果とは質が異なる放射線適応応答という現象であり,そのほとんどは細胞や動物実験レベルのものである。肝心のヒトに対する疫学研究では,後述するように明確な結論が出ていないと言える。

3. 放射線の人体への影響

 放射線の人体に対する影響は,図1のように分類できる。

 身体的影響とは被ばくした本人が受ける影響で,遺伝的影響は被ばくした人の子や孫あるいはその先の子孫に現れる影響である。胎児のときに被ばくして知的障害を持って生まれた場合は,遺伝的影響と誤解しがちだが,あくまで本人への影響なので身体的影響である。そして,この他に、被曝直後とか数日あるいは数週間で現れる吐き気、嘔吐、下痢、発熱、腸出血、脱毛、血球数減少、不妊などの急性障害と、ある潜伏期を経て現れる白内障,白血病、がんなどの晩発障害に分けられる。

 さて,ヒトの身体的影響について線量と障害の関係がはっきりわかっているのは、自然放射線よりも百倍以上高い線量域だけである。それによれば,晩発障害の現れる確率は線量に比例する線形の関係がある。また、動植物の実験では、微量放射線でも遺伝的影響である突然変異率が線量に比例していて、それ以下では影響が出ないとみなせる線量しきい値の存在は認められていない*i。よって、この晩発障害と遺伝的影響は「微量な放射線でも障害は確率的に発生し,線量に比例してその確率が増える」という意味で確率的影響とよび,「線量のしきい値*ii以上の被曝では障害の発生が確定し,線量が増えるとその障害がひどくなる」という性質をもつ急性障害などを確定的影響とよんでいる。

 「確率的影響では線量しきい値はなく、線量と障害は直線的に比例すると仮定して、放射線防護を考える」というのが、これまでのICRPの基本的考え方である。これに対してホルミシス学派は,この線形の関係にホルミシス効果による有益な影響が重ね合わされるため,図2のようにしきい値は存在し,微量線量ではトータルの放射線の影響はプラスであるとする。

4. 放射線による細胞がん化のメカニズム

 正常細胞に放射線がヒットすると,その直接の電離作用や放射線によって細胞内に生成したラジカルによってDNAが損傷を受ける。そのほとんど全部は修復されてまた正常細胞に戻るが,わずかは修復に失敗してDNAの傷が残ってしまう。しかし,そのDNAに異常がある細胞の多くはアポトーシスとよばれる自発的な細胞死を起こし,組織から取り除かれる。結局,異常なDNAをもったまま子孫を残してがん発生につながるのはきわめてわずかであると考えられている。このような修復とアポトーシスによる生体の放射線防御システムは,ホルミシス学派の理論的基礎になっている。

 実験的に明らかにされた放射線適応応答は,事前の微量線量照射によってこのような防御システムが活性化され,そのため高線量照射の悪影響を少なくできると説明される。したがって,微量放射線のみが与えられれば,活性化の影響が大きく,その放射線のわずかな悪影響を覆い隠し,かえってよい影響を与えるということになるのである。

5. 被曝線量の単位

 放射線の人体影響を定量的に考察する場合,ネックになるのがICRPなどによって定義された複雑な被曝線量の単位である。それらの簡単な解説を以下に試みる。

(1) 吸収線量……グレイ(旧単位はラド)

 放射線にさらされた生物が受ける影響は,「生体物質が単位質量あたり吸収したエネルギー量」とよく対応するので,まず物理的に厳密に定義できる*iiiこの量を定め,吸収線量とよび,グレイ*iv(記号〔Gy〕)という単位を用いる。1Gyは物質1kgあたり1ジュール(記号〔J〕)のエネルギー吸収があるときの線量と定義されているので,Gy=J/kgである。なお,Gyと対応する旧単位ラド(記号〔rad〕)の間には1Gy=100radの換算関係がある*v。

 なお、物質によって放射線透過の難易が違い,エネルギーの吸収の程度が異なるから、同じように放射線がやってくる場所でも,そこに置かれた物質が異なれば吸収線量は異なる。例えば同じ1レントゲン*viのγ線が人体に照射されたとすると、放射線を通しやすい軟らかい組織は約1cGy ほどの吸収線量になるが、通しにくい骨では約3cGyになる。

(2) 等価線量……シーベルト(旧単位はレム)

 人体組織が放射線を被曝したときの障害は,Gyのような物理的なエネルギー吸収量だけでは決まらない。そこで,放射線の種類による影響*viiの起こり方の違いを考慮した放射線荷重係数によって次のように補正した等価線量で組織・臓器の被曝線量を表し,シーベルト*viii(記号〔Sv〕)という単位を用いる。

等価線量=放射線荷重係数×組織・臓器の平均吸収線量

 この放射線荷重係数は,電離作用の弱いX線やγ線などが1,電離作用の強いα線が20となっている
ので,X線1Gyは1Svに相当し、α線1Gyは20Svに相当する。なお,Svと対応する旧単位のレム(記号〔rem〕)との換算関係は1Sv=100remである。

 この放射線荷重係数は,放射線生物学のデータに基づくとはいえICRPによって恣意的に定められたものであるから,等価線量は物理的な厳密な単位ではない。また,平均吸収線量は組織・臓器が吸収した全エネルギーをその組織・臓器の全質量で割って計算するので,体内に取り込んだ放射性物質の粒子によってきわめて微小な部分が集中してα線を浴び,その部分が莫大な吸収線量を被曝しても,そのような「ホットパーティクル」の影響は,わずかに20倍という放射線荷重係数のぶんしか評価されていないのである。

(3) 実効線量……シーベルト(旧単位はレム)

 体全体としての放射線の被曝線量は,各組織・臓器の特性を考えた組織荷重係数を用いて次のように補正した実効線量を用いて表す。

実効線量=(組織荷重係数×組織・臓器の等価線量)の全組織に関する計

ここで,組織荷重係数は確率的影響に大きく寄与する生殖腺に0.20,影響が少ない皮膚に0.01という具合にICRPによって規格化*ixして定められたものである。単位は等価線量と同じSvを用いる。


6. 被曝線量の量的目安

 前項で見たように,被曝線量の単位は定義が複雑かつ人工的なので,具体的な例と比べてその大小を判断するしかない。身近な自然放射線や人工放射線と,法令で決められた線量限度を表2に,また1回にまとめて放射線を被曝した場合の急性障害とそのしきい線量の関係を表3に示した。

7. ホルミシス学派が宣伝するヒトの疫学データとその問題点

 よく引用されるのは1992年に発表された研究で,三朝温泉の住民のがん死亡率が,対照地域の住民のそれに対して統計的に有意に低いというものである。しかし,この研究を行ったグループが1998年に発表した再調査の結果は,これを否定するものであった。全がんの死亡率は対照地域と変わらず,有意に低いのは男性の胃がん死亡率だけで,有意ではないが男性の肺がん死亡率は高まってさえいたのである。だが,現在でも,ネット上の情報は,原子力百科事典ATOMICAをはじめほとんどが最初のデータをそのまま紹介している。

 また,ATOMICAにあるホルミシス効果の一覧表の中には,「ヒトの疫学調査」として「がん以外の死亡率の低下」が挙げられている。これは,おそらく「長崎の男性の原爆被爆者の1970年〜1988年の期間の『がん以外』の死亡率が50〜99radの被曝線量域で有意に低い」という近藤宗平による指摘*xを根拠にしているのだろう。しかし,Robert Ehrlichは,これに対して「なぜ『がん以外』『男性』『1970〜88年の死亡』『長崎』だけを考慮するのか?」と疑問を呈し,「女性に関するデータ,がんによる死亡についてのデータ,1970〜88年以外の年における死亡のデータを調べてみれば,50〜99radの線量での相対危険度の減少は存在しない(むしろ増加している)」と批判している*xi。

8. ホルミシス効果に対する評価

 ホルミシス学派の主張には,さまざまな問題がある。まず,限られた一定の条件で細胞レベルの適応応答などの微量放射線の有益な効果があることが実験的に認められたからと言って,それは「一般に微量放射線を浴びることはヒトの健康によい」ということに直接つながるわけではない。また,動物実験のデータは,放射能泉のような極微量放射線とはレベルが違う線量で得られている。たとえば,抗酸化的防御効果が得られるのはマウスでは全身照射で100mGy以上である。さらに,前項で見た例のように,ヒトの疫学データは都合のよいものが選ばれ,都合よく解釈されている。有益効果を生む他の要因の可能性,比べている対照群の不適切さ,一貫性の欠如などがあるとの指摘もある。とても,トータルとしてヒトへの微量放射線にプラスの効果があるとは科学的に言えない現状である。それなのに「微量放射線は体によい」というイメージが一般に浸透することを容認し,推進するかのようなホルミシス学派の姿勢は,誠実ではないと言えよう。

 一方,ICRPは,現段階の最新の1990年勧告で,しきい値やホルミシス効果について次のように述べている。
「理論的考察も大部分の利用可能な実験データならびに疫学データも,低LET放射線*xiiに対する発がん反応にしきい値があるという考えを支持しない。」
「今日,“ホルミシス”と呼ばれるこのような影響に関するほとんどの実験データは,主として低線量における統計解析が困難なため,結論が出ていない。そのうえ,多くのデータが,がんあるいは遺伝的影響以外の生物学的エンドポイントに関係したものである。現在入手しうるホルミシスに関するデータは,放射線防護において考慮に加えるには十分でない。」

 また,ECRRは「ホルミシス効果はあり得る」が,それはあくまで「中間的な線量範囲(100mSv以上)で現れ」,「長期的な効果は有害かもしれない」から,「放射線防護の観点からは考慮すべきでない」と結論づけている。基本的にはICRPと同じと見てよいだろうし,この両者の姿勢は科学的で冷静である。


*i  ただし,幸いなことに,原爆被爆者の追跡調査によれば,ヒトにおける遺伝的影響は線量に対する比例関係どころかその存在すらまったく確認されていない。
*ii  この場合のしきい値は,被曝した人の1〜5%に症状が現れる線量が選ばれているので,とくに放射線に過敏な人が守られる線量ではないことにも注意すること。
*iii 定義できることと測定できることを区別すること。実際の被曝,とくに内部被曝の場合は,評価し推定できるだけである。
*iv 電気の導体・不導体の区別を確立した英国の物理学者Grayにちなむ。
*v mとcmとの関係1m=100cmと同じになるので,1cGy=10mGy=1radが成り立つ。放射線影響に関する論文や文献では,よくこのcGyやmGyが使われる。
*vi ある場所にやってくるX線やγ線の量を、その電離作用の大きさで表した古い単位。X線の発見者Ro..ntgen にちなんだもので,以前はよく使われた。
*vii 放射線防護上で主として問題になるのは確率的影響なので,ここで考慮する影響とはがんなどの確率的影響である。したがって,確定的影響を評価する際は,等価線量は必ずしも適切ではない。
*viii 放射線防護の分野に貢献したスウェーデンの学者Sievertにちなむ。
*ix すべての組織・臓器の組織荷重係数の合計がちょうど1になるように定めている。このように定めると,人体のどの組織・臓器も均等に等価線量で1Svずつ被曝すると、実効線量も1Svということになり,扱いが容易になる。


■「ヒロシマモデル批判」
                     笹本征男

欧州議会内の会議(1998年2月)での国際放射線防護委員会(ICRP)低線量モデル批判

 『ECRR報告書』によれば、欧州議会は1998年2月、会議を開き、国際放射線防護委員会(ICRP)の低線量モデルに関して議論した。以下、批判の内容と批判者を紹介する(同日本語訳報告書、32頁)。
「リスクモデルのヒロシマベース(Hiroshima basis)には不満がある、研究及び参照グループが正常な集団を代表していないからである」(アリス・スチュアート教授)。
「リスク評価のICRPの基礎(ICRP basis)は非民主的であり、その委員会の構成員の歴史的由来によって偏っている」(ロザリー・バーテル博士)。
「リスクモデルのヒロシマ及び他のベース(basis)は、被曝線量単位に本質的に含まれている平均化と他の誤差とによって、内部被曝からのリスクについて情報を与えることが不可能である」(クリス・バズビー博士)。
「リスクモデルとヒロシマベース(Hiroshima basis)は降下物や残留汚染からの内部被曝の寄与を含んでいない」(複数の人々)。
「被曝線量の単位自体(シーベルト)に不適切な値の評価が含まれており物理学的な単位ではない」(デビッド・サムナー博士)。
 
 これらの批判で問題となっている「ヒロシマベース」について、次に考える。


■米のマンハッタン計画(原爆製造計画)

 よく知られているように、アメリカはマンハッタン計画で原爆を開発製造し、1945年8月6日、広島市、8月9日、長崎市を原爆で攻撃し、大量無差別に市民を殺傷した。そして1945年8月15日、日本はアジア太平洋戦争に敗北した。これらの歴史は戦時の歴史である。戦後、国際放射線防護委員会(ICRP)が設置され、1950年に被曝線量基準であるICRP勧告が発表された。原子力「平和利用」へと繋がる放射線被曝問題の基礎が形成されたのである。

 原爆は無差別大量殺傷の目的のための兵器である。ヒロシマ・ナガサキは「原爆という大量殺戮兵器の殺戮現場」である。1950年のICRP勧告は、この「大量殺戮の現場」からアメリカが「学んだ」結果である。戦争が医学を進歩させるという思想は、原爆の放射線問題にも生々しく生きている。この思想に対する根本的批判が必要である。

1) マンハッタン計画におけるプルトニウム計画と放射線被曝問題

 マンハッタン計画の放射線管理・研究体制の特徴は「原爆の製造と使用を追求する軍の主導の下に、全米の主要な放射線学者、そして原子力分野に確固たる地位を築いたデュポン等の軍需独占体により、放射線研究に関する軍産複合体が形成された点」にある(中川保雄「マンハッタン計画の放射線被爆管理と放射線影響研究」『神戸大学教養部紀要論集』36号、1985年10月、52-53頁)。

 マンハッタン計画の放射線被曝管理では、国際X線およびラジウム防護委員会(IXRPC)の「耐容線量」を基礎にした。また、同計画の医学部門・生物学部門の重要な任務は「マンハッタン計画の労働者の被曝例と動物実験を通して、放射線急性傷害の初期症状を決定し、その検出法と治療法を追求することにあった。それはまた、原爆の実戦への使用に備えるためのものであった」(中川、前掲、56頁)。さらに、マンハッタン計画においては、放射能兵器(プルトニウムをそのまま散布することなど)の研究や人体に放射線を照射する人体実験も行われていた。

2)致死線量・半数致死線量・死亡率ゼロ「しきい値」線量

 実際の戦争において兵器として原爆を使用するという観点から、放射線の致死的効果を予測するために、「急性放射線障害による致死線量、半数致死線量(LD50)、死亡率ゼロとなる『しきい線量』を求める研究に力が入れられた」(中川、前掲、59頁)。アメリカが実際に広島市と長崎市に原爆を投下した結果、「広島・長崎の被爆者が現実に被った急性放射線傷害の症候群のうち脱毛と紫斑のみを急性症と断定し、他の症状の急性死を放射線急性死から除外することにより、致死線量700rem、半数致死線量400rem、死亡率ゼロの『しきい値』線量100remの線量̶̶死亡率曲線が導き出された」(中川、前掲、60頁)。この数値が米国防総省・原子力委員会の原爆の効果の公的見解となった。


■マンハッタン計画の「最大許容線量」概念を導入したICRP

 1950年、ICRPは被曝線量基準の勧告を発表したが、それはマンハッタン計画の「最大許容線量」の概念を導入したものであった。「ICRPは、1934年のIXRPCの『耐容線量』基準の改訂として線量引き下げを余儀なくされる中で、マンハッタン計画の『最大許容線量』概念を導入し、0.3rem/週(15rem/年)の外部被曝線量基準、Pu239等10種類の核種の体内摂取最大許容量を主内容とする被曝線量基準を1950年に勧告した」(中川、前掲、64頁)
 
 その後、ICRPは、1958年に「放射線作業者の外部被曝線量を5rem/年に引き下げ、公衆の『許容線量』0.5rem/年を導入した。この勧告が日本等各国の現行放射線被曝管理基準の根幹となっている(注・1985年当時̶̶笹本)」(中川、前掲、64頁)。
 

■終わりに

 中川保雄が提起した視点は、日本で「ヒロシマ・ナガサキ」問題を語る時、今なお十分に理解されているとは言えない。私は著書『米軍占領下の原爆調査 原爆加害国になった日本』(新幹社、1995年)を書くにあたり、中川の視点を重視した。「ヒロシマモデル」という言葉は、「原爆による大量殺戮の現場モデル」と言い換えて考えるべきであろう。原爆被害国でありながら、私のいう「原爆加害国」になった日本は、その「現場」で何をしてきたのか。アメリカと同様に、そこから何を得てきたのか。今年、2005年は1945年8月6日、9日から60年になる。これまで以上に、これらの問題を深く考えるべき時である。

 最後に、なぜ「ナガサキモデル」という言葉がないのであろうか。

■ECRRの背景と放射線の線量規制に かかわる国際・国内諸機関
                    柿原 泰

 ここでは、なぜECRRの報告書が取り上げるに値するものなのかを理解するために、そもそもECRRとは何か、その特徴や意義はどういうものか、ということについて、リスク・モデルの内容(上田・瀬川報告を参照)そのものに立ち入る前に、放射線の線量規制にかかわる国際諸機関および国内諸機関についての概観とあわせて、紹介したい。

 放射線のリスクについて、科学的に調査・検討を重ね、評価しなければならないとして、どのような機関でどのような人々が集まってそれがなされてきたのか、またなされるべきなのか、ということを考えていく一歩となれば、と考える。

■ECRRの設立

 ECRR(欧州放射線リスク委員会)は、欧州議会のなかの環境派グループ(緑の党)によって、欧州原子力共同体指針96/29(放射性廃棄物をリサイクル利用するための枠組みを含んでいた)を討議するため開催されたブリュッセル会議の際に、低レベル放射線の健康影響についての意見対立の存在が確認され、公式のレベルで調査されるべき課題とされたため、1997年に設置された。

 「ECRRは、放射線リスクに関する国際的権威(ICRP、UNSCEAR、BEIR)が採用している現行のリスク・モデルを再検討しようとする科学者・専門家からなるグループとして設立された」とECRR科学委員会事務局長のクリス・バスビーが言うように、これまで、放射線リスクについての科学的評価というのは、しかるべき科学者・専門家が集まっているとされる上記の機関が提出したものが権威あるものとされてきた。それらの機関が示した放射線の線量規制の基準は、時代ごとに改定され、一見するとより厳しいものに見直されてきたように見えるが、全面的に見直されることはなかった。ECRRの主要メンバーの1人であるロザリー・バーテルが「ICRPは、冷戦期を通じて核兵器と原子力発電の開発に関係してきたという歴史的な理由から、原子力産業に与するよう偏向しており、低レベル放射線と健康の領域における彼らの結論や勧告はあてにならない」と言うように、現状に対する批判的な見解も存在する(なお、より詳しくは、中川保雄『放射線被曝の歴史』技術と人間、1991年を参照されたい。ICRP、UNSCEAR、BEIRなどを含めて、その初期からICRP1990年勧告までの歴史が核/原子力開発の政治と関連づけて明らかにされている)。

■ICRPをはじめとする国際機関

 放射線の線量規制にかかわる国際機関のなかでも第一にあげられるのは、ICRP(国際放射線防護委員会)であろう。ICRPの勧告は、国際的な科学者・専門家たちによって科学的に決められたもので権威あるものとされ、国連やIAEA(国際原子力機関)などの国際機関の安全基準、そして世界各国の放射線障害防止に関する種々の規制・法令の基礎とされる。現在、日本をはじめ各国が参照しているICRPの基準は、1990年勧告(日本語訳は『国際放射線防護委員会の1990年勧告』日本アイソトープ協会、1991年11月)で出されたもので、それを承けてさまざまな関係する法令などが何年もかけて改正されてきたところである。そしてさらに、ICRPは2005年に新たな勧告を出そうと予定しており、現在審議中である(2005年中にはまとまらず、2006年にずれこむかもしれないと言われているが)。

 ICRPは、1950年の設立(その前身である国際エックス線・ラジウム防護委員会は1928年設立)で、事務局はスウェーデンのストックホルムにある。主委員会と4つの専門委員会(放射線影響、誘導限度、医療放射線防護、委員会勧告の適用)から成り、必要に応じて、タスクグループ、ワーキングパーティ、文通連絡委員が設けられる。委員の任期は4年で、現在の委員は2001年7月〜2005年6月までの任期である。ちなみに、主委員会と4つの専門委員会のいずれにも日本からの委員が参加している。

 委員の専門分野は、放射線医学、放射線防護学、物理学、保健物理学、生物学、遺伝学、生物化学、生物物理学などから専門的均衡を考えて選ばれる。財政はかならずしも潤沢とはいえないようで、WHO(世界保健機関)、IAEA、ISR(国際放射線医学会)、IRPA(国際放射線防護学会)、OECD原子力機関、EU、各国内機関(アルゼンチン、カナダ、日本、スウェーデン、英国、米国)が財政援助をすることによって成り立っているという。

 ECRRが再検討しようとしている放射線リスクの国際的権威としては、先に引用したように、ICRPの他に、UNSCEARとBEIRがあげられている。簡単に説明しよう。

 UNSCEARは、「国連・原子放射線の影響に関する科学委員会」のことで、1955年12月設置された。2003年現在、メンバー国は21カ国である。放射線にかかわる人類と環境へのすべての重要事項を調査し国連総会に報告すること、各国から出された調査・報告を検討・評価して、適宜報告書を作成することが主な役割で、それらはICRPへの基礎資料にもなる。

 BEIRは、全米科学アカデミーの「電離放射線の生物影響に関する委員会」のことで、放射線影響に関する科学的情報を集約して、アメリカ国内での連邦基準の策定に貢献するためのものである。BEIRの前史として、BEAR(原子放射線の生物影響に関する委員会)が1956年にBEAR報告を出しているが、1970年に設置されたBEIRは、これまでBEIR-I報告(1972年)をはじめとして、BEIR-VI報告(1999年)まで報告を出しており、現在BEIR-VII報告を作成中のようである。

 その他、放射線の線量規制に関係する国際機関には、ICRPの姉妹委員会であるICRU(国際放射線単位・測定委員会)をはじめ、WHO、IAEA、ILO(国際労働機関)、国連環境計画(UNEP)、欧州共同委員会、OECD/ NEA(経済協力開発機構原子力機関)、ISO(国際標準化機構)、国際電気標準会議(IEC)、などさまざまある。また、国際的学会として、ISRやIRPAなどがあり、また、アメリカのNCRP(米国放射線防護審議会)、イギリスのNRPB(英国放射線防護庁)などのように各国にはそれぞれ国内機関がある。ちなみに、ICRPの現委員長は、イギリスのNRPB局長も務めるロジャー・クラークであり、ICRPに集う科学者・専門家は、それぞれ各国の対応する機関などの役職も兼ねている場合が多く、独立性という点で注意を要する。

■日本国内機関

 日本国内においては、「放射線障害防止の技術的基準に関する法律」に基づく諮問機関である文部科学省の放射線審議会(1958年〜)がある。関係行政機関(例えば、厚生労働省)の長は、放射線障害の防止に関する技術的基準を定めようとするときは、放射線審議会に諮問しなければならないとされ、放射線審議会は、諮問に対して審議を行い、関係行政機関の長へ意見を述べることができるとされる。現在の会長は佐々木康人氏(放射線医学総合研究所理事長)で、彼はICRP主委員会の委員でもある。

 その他、関係する機関は、原子力安全委員会をはじめ、放医研(放射線医学総合研究所)、放影研(放射線影響研究所)、日本原子力研究所などや、日本保健物理学会(ICRP等対応委員会を設けている)、日本アイソトープ協会など多岐にわたる。

 ICRPの新勧告が出されると、国内機関(放射線審議会など)で検討され、法的規制などに適用されていくわけだが、それらが基づく基準はICRPの勧告でなければならないのだろうか。ECRR2003年勧告のように、ICRPモデルに対する厳しい批判的見解が現に出されているときに、ICRP自体はもちろんのこと、上記のような諸機関も、ECRR勧告など他の見解を審議の俎上にのせることが求められる。

■ECRRの特徴

 ECRRは、科学的に調査・検討を重ねて、放射線リスク評価のモデルを提出しようとするが、その点ではICRPなどと同じ目的をもっている。ただし、いくつかの点でICRPなどと対照的な特徴をもつよう意図されている。

 まず、ICRPなどと各国の放射線審議機関などでは、たがいにメンバーの重なりも大きく、独立性という点で疑問であるが、ECRRは、ICRP、UNSCEAR、欧州委員会、各国のリスク評価機関から独立にリスク評価をおこなう、という特徴をもっている。そして、現実世界の放射線被曝による結果(被害)を説明できるよう、ICRPなどが切り捨ててきたものを含めて、利用可能なすべての科学的証拠を考慮に入れて、新しいリスク評価のモデルを提出しようとする。また、(素朴な意味での)科学的評価をおこなうだけというわけではなく、政策的勧告の基礎を形成する倫理学的分析・哲学的枠組みを提出することも重要な目的のひとつに掲げている。一言でまとめれば、ICRPの科学者たちというのは閉鎖的な科学者共同体を形成していて、その共同体の内部にいない者にとっては重大かつ明白な経験をことごとく否定したり、科学的には興味のないものとして捨ててしまったりする循環的論理によってそのリスク・モデルは保たれているというのだ。そして、ICRPモデルは、功利主義的なコスト・ベネフィット計算を基礎にしている点で批判される。

■ECRRのメンバー構成とその特徴

 ICRPなどの科学者・専門家は、多様な専門分野から成るというものの、放射性物質を使用している機関に所属する者で占められ、それ以外の者を排除している。それに対して、ECRRでは、公衆衛生、労働衛生、疫学などの専門家をも含むべきとし、さらに、リスク社会学者、法律家、政治家、NGOメンバーなど自然科学者でない者もメンバーや協力者に含まれている(ECRR報告書巻末のリストを参照)。
 2003年勧告の報告書編者を見ると、代表はクリス・バスビー(英)、共編者は、ロザリー・バーテル(カナダ)、インゲ・シュミッツェ=フォイエルハーケ(独・ECRR科学委員会委員長)、モリー・スコット・ケイトー(英)、アレクセイ・ヤーブロコフ(ロシア)である。

 編者代表のバスビーと共編者のスコット・ケイトーは、ともに後に紹介する環境NGOグリーン・オーディット(Green Audit)の創設者であり、ECRR2003年勧告の報告書もグリーン・オーディットから出版されている。ここでは、バスビーおよびグリーン・オーディットについて、簡単に紹介しておこう。

 ECRRの科学委員会事務局長を務め、2003年勧告報告書の編者代表でもあるクリス・バスビー(Chris C. Busby, 1945〜)は、もともと物理化学を専門とする科学者で、1969年ロンドン大学卒(化学でBSc)、クイーン・メアリー・カレッジで物理化学、とくにNMR分光法を研究した後、ケント大学から博士号(物理化学でPhD)を取得した。チェルノブイリ原発事故をきっかけに、低線量放射線被曝の健康影響について関心をもつようになり、1992年から緑の党の地方委員会(ウェールズ)メンバーとなり、同年、環境NGOグリーン・オーディットを創設している。2003年には、リバプール大学医学部(人体解剖学・細胞生物学)フェロー。低線量放射線被曝の問題については、ウェールズを中心にセラフィールドなどのがんや子どもの白血病などの疫学調査をおこない、またセカンド・イベント理論(瀬川報告)を提唱している。Wings of Deathという著書があり、British Medical Journalやグリーン・オーディットのOccasional Paperなどに論文を多数発表している。

 バスビーが主な活動の拠点としているグリーン・オーディットは、1992年にバスビー、パトリック・アダムズ(95年農民になって脱退)、ECRRメンバーでもあるモリー・スコット・ケイトー(環境経済学)らによって創設された。

 ECRRの中心的メンバーの1人のロザリー・バーテル(Rosalie Bertell, 1929〜)についても一言だけ。カナダの環境疫学者で、1986年ライト・ライブリフッド賞受賞など国際的に活躍している。著書『放射能毒性事典』(技術と人間、1987年)、論文「低線量被曝の危険性」、「乳がんと乳房X線撮影(マンモグラフィ)」(ともに『技術と人間1989年12月号、1994年10月号』)などが日本語で読める。

放射線の単位
●放射能の強さ
 (単位時間あたりの崩壊数、放射性物質(放射能)の量)
ベクレル[Bq]、(旧単位はキュリー [Ci]) 
        1Ci = 3.7×1010Bq
1Bq=1秒間に1個の放射性壊変がおこる放射性物質の量。
●照射線量
 クーロン毎キログラム[C/kg](旧単位はレントゲン[R])
X線またはγ線がその場所にどれだけの強さでやってきているかを示す放射線量。人体にどれだけ当たっているかというような時の目安になる。
0℃、1気圧の空気で、1R = 2.58×10-4 C/kgの電離を発生させる。
●吸収線量
 グレイ[Gy](旧単位はラド[rad])1rad = 0.01Gy
・放射線が物質に照射され、相互作用を行った時、そのエネルギーがどれだけ物質に吸収されたかを示す値。1グレイは、1キログラム当たり1ジュールのエネルギーを吸収した時の線量 1Gy = 1J/kg
・1W の電力を1秒間使用したときのエネルギーが1J。これは 0.24 カロリー。
 1J = 1W・s = 0.24 カロリー
・1Gy の放射線は、1 kg あたり 0.24カロリーのエネルギー吸収になる。人体の大部分が水のため、水を例にとると、1Gyの放射線で0.00024℃温度が上がる。このように、放射線のエネルギーを熱に換算してしまうととても小さなエネルギーだが、1Gy の放射線量はイオン化や励起などの放射線特有の作用をするため人体にとっては無視できない影響を与える。
●等価線量/実効線量
 等価線量=吸収線量×放射線荷重係数
 シーベルト[Sv](旧単位はレム[rem])
         1Sv = 100rem = 1J/kg  1Sv = 1,000mSv
・実効線量とは、それぞれの組織が受けた線量に組織荷重係数を掛けて総和したもの。(組織荷重係数:生殖腺は0.20、肺や胃は0.12、肝臓は0.05、皮膚は0.01など臓器・組織の感受性を表した数値でその総和は「1」。)
・人体が放射線を浴びたとき、Gy(グレイ)で表した放射線の吸収量が同じでも、放射線の種類や放射線を浴びた臓器によって生物学的な影響が違う。このような生物学的な効果の違いを考慮に入れて実効的に定められた単位が Sv (シーベルト)。1シーベルトとはX線の1グレイによってもたらされるのと同じ程度の損傷を人体に引き起こす放射線の量。
・放射線の強さは、毎時何ミリシーベルトというように表す。例えば、毎時10mSvの放射線がある場所に30分間いた場合、浴びた放射線の量は5mSvとなる。


 
ECRRメカニズム 
                   
瀬川嘉之

■放射線による健康影響の研究

 私たちは日々何らかの放射線をあび、またあびることによるリスクをかかえつつ生活していながら、それが自分のからだにどんな影響をおよぼしているか、知らないことがあまりにも多い。科学的にもすべてが明らかになっているわけではなく、細胞や個体レベルでの影響の証拠をととのえた上で、いかなるメカニズムで影響をおよぼすのかを解明し、影響の大きさを明確にする科学研究が積み重ねられている。しかし、放射線の線量が低くなるほど、そうした研究は困難をきわめ、すべてを明らかにするのは不可能になり、何らかの不確実性が入りこんでくる。したがって、放射線影響のメカニズムについてさまざまな仮定や仮説を設けた上で証拠となる実験や疫学のデータを集め、徐々にメカニズムや影響の大きさを明らかにしていくしかない。そうした研究を進行させつつ、現在は、社会的に放射線の利用や潜在的な危険性が高まる中で、何らかのモデルに基づくリスク評価によって、ICRPなどが防護の基準を設けている。ECRRは、リスク評価についてICRPとは異なる新たなモデルを提案すると同時に、その前提となる生体への放射線影響のメカニズムの理論を提出している。

■局所不均一被曝に関する論争

 そこで大きく問題にしているのは、放射性物質が体内に入って臓器の一部に局所的、不均一に放射線を出している場合の影響のメカニズムである。このような被曝については、30年ほど前からいくつかの問題提起がなされてきた。タンブリンとコクランによる1974年の論文から端を発したホットパーティクル論争では、体内のある場所にとどまってアルファ線を出しつづけるプルトニウムの不溶性粒子が周囲の細胞を極端に高く被曝させ、その発がんにつながるリスクは当時のICRP評価の10万倍以上とされた。プルトニウム不溶性粒子の線量評価は、喫煙者の気管支における繊毛損傷を重く見たゴフマンの1981年『人間と放射線』では喫煙者でICRP評価の30倍、非喫煙者でも1.5倍としている。そもそも線量評価で使われるシーベルトという単位は放射線が生体の組織にあたえるエネルギーをkgあたりで平均化しているので、プルトニウムのアルファ線のようにμg単位の領域にすべてのエネルギーを与えるとなるとそれだけで何万倍もの被曝をさせることになってしまう。これに対しICRPは「大線量は細胞の再生能力の喪失あるいは細胞死を引き起こす」ので、発がんにつながるリスクとしては考慮する必要がないとしている。

■ECRRによる被曝メカニズムの説明

 ECRR報告書でC.バスビーらが提案しているのは、上記のようなタイプの被曝について、放射線による遺伝子損傷や細胞への影響のメカニズムを考慮すると、少なくとも図1のように損害の大きさをICRPの荷重よりは大きく見積もらなければならないというものである。たとえば、骨に入ってDNAに結合しやすいストロンチウム90の場合、ベータ線を出してイットリウム90に崩壊したのち再びベータ崩壊をするので、細胞分裂の誘発につづき修復不可能な細胞の損傷をもたらすであろうとする「セカンド・イベント論」によって、300倍の荷重を提案している。

 また、細胞死を持ち出すICRPを、ある意味では逆手にとって、敏感な細胞はたしかに細胞死するかもしれない、しかし、敏感な細胞はより低い線量では発がんにつながる突然変異をおこして生き残り、敏感な細胞が細胞死する線量より高い線量になってくると、今度はそれほど敏感でない細胞が突然変異をおこして発がんのリスクを高めるであろうという2相の線量−応答モデル(図2)を提唱し、これによってたとえばホルミシス効果に見える現象も説明できるとしている。リスク評価のさいには、歴史的に存在する被ばくデータを処理するため、ICRPの線形しきい値なしモデルに従い、この「2相応答」モデルは採用していないが、線形しきい値なしに乗らないデータも排除するべきではないとしている。

■終わりに

 ECRRも今後はここで提起しているメカニズムやモデルについて、実験や疫学に基づく証拠を整えていく必要があるだろう。放射線のリスクに関心をもつ一般市民としても、ICRPやECRR、さらに国内外のさまざまセクターが提起するメカニズムやモデルと実験や疫学のデータ、その意味するところを学びながら、知らずにがんになっているかもしれない、その原因のひとつについての理解を深めていきたいものである。

ECRR報告書
̶その論理の構造を読み解く

                    上田昌文

■ECRRによるICRPモデル批判の要点

 ECRR報告書のねらいは、ICRPの被曝リスクモデルの限界や不合理性を明確にし、とりわけICRPがこれまで不当に扱ってきた「内部被曝」に着目して、そのリスクを適切に組み込んだ新たなリスクモデルを提出することである。

 ECRRの批判は主にICRPが採用している次の2つのモデルに向けられている。一つは、放射線被曝と疾病発症との関係における「線形しきい値なしモデル」であり、もう一つは被曝した線量を組織全体に均一化させて扱う「被曝の平均化モデル」である。

 前者は、ヒロシマ原爆被爆者の寿命調査データ(高線量被曝による急性障害が主)から得られた結論を低線量領域へと外挿する考え方であり、このモデルに固執すると「被曝線量と発症との間に直線的対応関係(相関)が失われている場合は、因果関係なし」という判定を下すことになる。現に、ICRPがこのモデルに応じた被曝の線量限度iを設けているが、現実に放射線被曝と病気の発症との相関を示唆するいくつもの疫学調査の結果が、ICRPの基準に照らすと「被曝レベルが低すぎるので、病気の原因は放射線被曝ではありえない」ということになる。チェルノブイリ事故による周辺地域での種々の疾患の多発や、セラフィールド核施設・再処理工場周辺における小児白血病の多発も「原因は放射能汚染ではありえない」となってしまうのだ。ICRPの線量限度によるこうした判断が、疫学データとあまりに乖離していること̶̶そのもとを糾すと、ICRPのモデル自体に欠陥があるからだ、とECRRはみなすのである。低線量領域では単純な線形の外挿とはまったく食い違ってくる「2相応答」(瀬川原稿参照)が見られる可能性もあるという点にもECRRは注目している。

 後者については、取り込んだ放射性物質による被曝を考える際に、放射線の線量があたかも組織全体に均一に行き渡るとして平均化してしまうことは、現実に起こっていることを正しく反映していないという批判は常々あった。ホットパーティクル(瀬川原稿参照)が体内に取り込まれてその周辺の組織に局所的に高線量の被曝をもたらすことや、セカンドイベント(瀬川原稿参照)が関係したハイリスクを無視することになる。そこを考慮して新たなモデルを作ろうというのである。

■ECRRモデルの特徴

 ECRRモデルは次のような特徴を持つ。

(1)100 mSvよりも高い外部被曝の場合においては、現行のICRPモデルによる防護基準を採用する。

(2)ICRPモデルにおける「吸収線量→等価線量→実効線量」のステップ(西尾原稿参照)を踏襲しながら、2つの新たな荷重係数(生物物理学的損傷係数、内部同位体生化学的損害係数)ii を導入して、実効線量を計算しなおす。新たな荷重係数を決めるにあたっては、従来考慮されてこなかった新しい人工同位体(プルトニウムなど)やホットパーティクルの被曝形態も考慮する。

(3)最新の遺伝学やがん研究によれば、発がんのメカニズムはヒット理論iiiにみられるような「細胞内のDNAの損傷が発がんをもたらす」という単純なものではないことがわかってきている。それをふまえた被曝リスクモデルを作る。

(4)低線量内部被曝型の「被曝と疾患の関連」を示す疫学データを詳細にふまえ、リスク評価の基礎にすえる。(ICRPの論理の逆転ともいえる、疫学重視の考え方)たとえば、チェルノブイリ事故後の小児白血病の発症では、ミニサテライトDNAivの突然変異などを考慮に入れると、ECRRが見積もる放射線のリスクはICRPの100倍から1000倍にも跳ね上がる。

(5)致死がんのリスク係数としてICRPが採用するのは0.05/Sv(「集団の線量として1Svを浴びると100人のうち5人ががんで死亡する」だが、ECRRはICRPが用いる「線量・線量率効果係数」vを合理的でないとして退けるため、致死がんのリスク係数はICRPの2倍、すなわち0.1/Svとしている。


i ICRPでは、放射線作業に従事する作業者の線量限度を、目の水晶体を除く、すべての組織の確定的影響は500 mSv/年、目の水晶体組織の線量限度は150 mSv/年としている。また、原子力関係の職業人は、全身に対して、定められた5年間の平均が20 mSv以下(但し年間50 mSv以下)、一般人は年間1 mSv以下と勧告している。
ii ECRRは、右の(1)と(2)の新たな係数を導入して放射線の内部被曝量を計量している。詳細の説明は、じつは報告書自体でもなされておらず、準拠している原著論文にあたるほかはない。この2つの係数を、具体的にたとえば核実験降下物(フォールアウト)で見られる放射線核種に適用した場合が(3)である。
iii DNA2本鎖の切断をがんの原因とする考え方で、線形しきい値なしモデルと対応している。しかし、がんが多段階的に発生するなら、全ての段階に放射線が作用する可能性があり、急性被曝と慢性被曝とを区別する必要もある。また、従来発がんはDNAに生じた突然変異が直接の原因であると考えられていたが、1990年代半ば以降の研究の成果によって、不完全なDNA複製や損傷を受けた際の修復のミスによって生じた遺伝子の不安定性(ゲノム不安定性)が、細胞分裂を経て蓄積され、その結果引き起こされた遺伝子変化が発がんの原因である可能性が明らかになってきた。
iv DNAの中には、5〜30塩基対の反復単位が数十個繰り返して500塩基対から20,000塩基対の配列となっている領域があり、ミニサテライトと呼ばれている。多くの場合、染色体の末端領域に存在し、生殖細胞のこのような領域では、反復数の減少、増加などの突然変異が高頻度(蛋白質をコードする遺伝子のDNA配列中に起る突然変異の頻度に比べて数百倍から数千倍)で生じる場合がある。
v 発がんなどの確率的影響(西尾原稿参照)についてみる場合、線量と健康影響の発生頻度(リスク)との関係は、一般に線量の増加とともに発生頻度が増大する。人についてはヒロシマ原爆被爆者のデータを用いることから、高線量データをもとに低線量領域に外挿することになる。その際に、ICRPは外挿した低線量の効果を高線量より抑えるため「線量・線量率効果係数」(DDREF)を導入し、2分の1にすることを採用している。

(どよう便り 第85号 2005年3月)

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