「ナノ」と書いてあればなんでも効くようなイメージになってしまっているので、科学的にその効用を考えるような啓蒙活動が必要であろう。自身の研究についても高校生向けや小学生向けにやさしい化学の講演をしたりする場合がある。
(渡辺敏行さん)
技術の一つ一つについてネガティブインパクトを全部考えていくというのは大切なことかもしれないが、「危険だ、危険だ」と言うだけで、社会に対して負のインパクトを与えてはいけない。フィクションではなく、風が吹けば桶屋が儲かる的な、起こりうることを見る必要がある。こうしたマップ作りでは理系の研究者だけでは難しく、社会工学者などの力が求められるかもしれない。
(阿尻雅文さん・梅津光央さん)
ナノテクの問題に対し、市民はどうやって軸を出していくか。科学者は「〜である」という文化に住んでいて、「良い」とか「悪い」という概念は計量できない。これを倫理と表現するならば、こうしたことは倫理委員会で決めればいいのかなと思う。異なる意見を出すような委員会のバリエーションが増え、ボトムアップで検討していけばよい。また、情報の信憑性の見極めが重要だが、インターネットなどを利用したパブリックディベートを国際的に幅広くおこなえばいいのではないか。
(山本健二さん)
倫理問題をどういう形で議論し取り組んでいくかについては、難しい話である。ただ一つ気になっているのは、この問題に周囲が過剰反応していることである。これに関し、最近では医者の悪い面がクローズアップされてしまっている。マスメディアも加担していると思う。これでは、医者は新しいことに二の足を踏んでしまう。先のテーラーメイド医療なども成り立たなくなるだろう。大学は高度な医療をやることが当然であり、それに躊躇するようであると日本の医療が衰退していくことになる。もう少し良い倫理体系を作らないといけないとは思うが。
(鈴木和男さん)
われわれの取り組みや技術的優位性は、かなり宣伝してきたつもりだが、まだ日本でもあまり知られていない。フラーレンとナノチューブの区別がつかない人も多い。また、フラーレンは特殊な物質でまだまだ高いというイメージが一般的にある。産業界がナノテクを社会に受容してもらおうとするときには、透明性や説明責任が大事だと思う。理解してもらうためにはきちんと説明できなければならない。ただ、説明を聞いてもらうときにはリテラシーが重要である。こちらの説明はわれわれの立場からの説明になってしまい、聞く方が重要でないと思ったらいくら説明しても聞いてもらえないし、ナノテクノロジーが危ないのではないかと最初から思い込んでいる場合にはそもそも聞いてもらえなくなってしまう。そのコミュニケーションの取り方は非常に重要であるが、産業界が慣れていない。優れたサイエンスライターが一定数必要で、社会と産業界の間でうまく情報をやり取りしたり、社会の懸念をすぐに産業界に投げ返したりしてくれるようなことがこれから重要だと思う。
日本でもサイエンスカフェなどの動きがあるが、サイエンスカフェにくるのはリテラシーの高い人であり、普通の人と違うので、それだと足りない気がする。マスに訴える手段を考えなければいけないと思う。われわれはナノ素材だからということでフラーレン事業をやっているわけではなく広い分野で貢献できる新素材であることから実用化を目指しているという状況であるが、ナノという一面は避けて通れない。仮に何か他のことででもナノで事故が起きた場合、横並びで拒否感が起きるのは心配である。危険性が実態以上に懸念として伝えられると問題。担当が熱意を持ってやっていても経営者がリスク回避をすると、われわれとしては死活問題である。自信を持って対応していくという筋道が必要。
ナノテクノロジーでこういう社会になるという具体的なイメージでアウトプットができればいいと思う。経産省も第三期科学技術基本計画でできるだけ具体的な姿を示そうとしており、重要な観点だと思う。遺伝子組み換え作物でコミュニケーションがうまくいかなかったのは、企業側がベネフィット、消費者がリスク、と分けて見なされたことが原因のひとつだと思う。ナノテクはどちらかがということではなく、技術が必ず進んでいく過程でリスクとベネフィットを一緒に考えていかなければならない。そういうリテラシーがあるかないかで議論がずいぶん違ってくる。どういうふうに使いこなすかを議論すべきであって、使うか使わないかという議論は、今後の社会を考えるにあたり実態と整合性がとれない懸念がある。
(村山英樹さん・木下隆代さん)
日本ではナノテクの社会的・倫理的問題にあまり取り組んでこなかったと思う。対してアメリカでは社会を変えるポテンシャルを持った技術であるとしっかり理解していた。あとは成果を結実させる義務、成果を開示する義務、どういうインパクトがあるのかを説明する責任も持っていた。アメリカでもヨーロッパでもしっかりしているフレームがあり、その中で社会的な影響や倫理を議論することができる。日本では細かくて分かりにくい。また、日本では実現した人が偉くて、未来学者のような新しいコンセプトを提示した人をあまり尊敬しない、というのがある。ビジョンを描くのは正直日本人は苦手であると思う。だが、何か目標が見えていてそれを実現する、という時代はもう終わったと思う。ニーズからビジョンなどを出していくべきだろう。
(亀井信一さん)
企業から一般向けに情報をどう発信していくかについては、マスコミ的な観点からは、有効な情報開示は積極的にお手伝いしないといけないと思っている。正しい情報という点で、化粧品や食品で本当にナノテクを使っているかどうかというのは、われわれは今の段階では検証しようがない。われわれも目利きができるわけではないが、怪しげな技術や製品はあまり報道しないようにしている。もちろん正しい情報は、プラス面もマイナス面も含めて伝えるわけだが、同時に夢も与えなければならないと思う。企業のものづくりに子供たちが興味もってくれるようにしないと、と思っている。若い人たちの間で理科離れが進み、工学部系に人気がない、というのは日本の将来を考えると非常に問題である。
(甕秀樹さん)
CNBIでは広報活動としてニュースレターを発行しており、自分も編集に携わっている。一般の人には難しいかもしれないが、少しでも研究に携わっている人、異分野の人でも大学院生レベルであれば面白く読めるだろうものを作っている。
ナノテクについて、煽動的なデータばかりハイライトされて嫌なイメージがつくというのは、それが障害となって進歩が妨げられ全体としては利益にならない。マスコミも好意的に分かろうとする人もいるがそうでない人もいる。そういう人たちが歩み寄れればいいのではないか。科学についての市民講座や一般向けの成果報告会のようなものには年配者の参加が多いが、本当はもっと若者にも来て欲しい。だが彼らは忙しく、平日昼には来るわけがない。休日でもよほどのことがないと来ない。サイエンスカフェのように草の根活動で関心を広げていかなければならないと思う。
社会的影響が研究者の間で話題になるとすれば、自分たちの研究のアウトプットに関したところまでだろう。しかしこういうシナリオマップがあると、思いがけず今までにないような特別な機能を持った材料を作ってしまった場合に「こういうことに使える」と早い段階で分かるかもしれず、無駄なくシーズをつみ取る役に立つように思う。
(岸村顕広さん)
マスコミなどが社会に対してどう技術を通訳するかという問題がある。「ナノテク」という言葉が一時期ブームになったが、それが一人歩きしている。良いイメージの付いた名前をつけると商品は売れるのは確かだ。科学者や技術者に訊けば「科学的根拠がない」と答えるだろうが、だからといって「これは嘘だ」と言って回るわけにもいかない。そこは科学技術と一般の人をどうつなぐかという難しさである。われわれも作った知識を使ってもらおうという必要性は認識している。だが専門家もどんどんタコツボ化して、自分のことは自分の周辺の用語では言えるが、ちょっと遠い人には伝わらない。そこを一生懸命勉強して伝わるところまでしようとすると、研究している暇がなくなる。そこはいい仕組みを作らないといけない。
日本には長期的なビジョンを持つ人、50年後の未来が描ける人が少ない。クリントンの演説で「国会図書館の情報量を角砂糖一個に」というのがあったが、分かりやすく原理的にはそうであるが、ナノテクがそうだと思われると困る。そういう面があってもいいが、それがすべてではない。アメリカでは大きいことを言って、それに騙されてみようという雰囲気、失敗しても許される雰囲気がある。いいか悪いかは別にして、日本はカルチャーとして地道な部分があり、将来の大きなイメージを持つことは苦手なのではないか。
(野田優さん)
アジア人の特質と捉える研究者もあるが、一つのところにワッと流れる風潮をどうしたらいいかと思う。今は少し冷めかけたナノテクもブームであったといえる。ナノテクブームは私たちに多くを語ってくれる。
1)教育の観点からみると科学技術と社会が切っても切れない関係にあることを伝えるために、科学技術社会論や科学技術史を高校、大学できちっと教えていかなければならない。
2)なぜ科学者がもっと市民に語らないのか。語れないのか。たとえば、プラスチックのリサイクルはかえって石油を使ってしまうという可能性を科学者も分かっていると思うが、なぜ語らないのか。科学者は、そうした論文を書いていないし、その分野の人間ではないから発言できないとして避ける。そうした科学者の姿勢をこれからどう考えていくか。科学の世界の仕組みにも関わる問題である。科学コミュニケーション自体は尊い活動であるが、今、これだけですべてが解決できるわけではないことは知っておかねばならない。
3)メディアによる報道の発信の仕方と読者の受け止め方にも問題がある。ナノテクに関する新聞記事を見てみると、メディアを通して語られる科学者の発言がナノテクのイノベーションの可能性の大きなよりどころとなり、社会に大きな影響力をもっていたことが明らかである。場合によっては科学者がメディアを利用し、官を動かしている風潮も見え隠れする。日本でのナノテクブームには企業ばかりでなく、科学者とメディアのコラボレーションが大きかったことを示している。
(五島綾子さん)
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