ナノチューブやフラーレンなどナノ粒子やナノ物質が人体に対してどのような効用や害があるのかというところはちゃんと評価していかなければいけない。ナノのついた製品の検証、リスクの評価についても、消費者側も一緒に考えて行動しないと危険だろう。しかし、今あるものを否定するような研究はやりにくい。新しいものを作ったりするのは、研究費も取りやすいし、評価されやすい。リスク評価するようなものは公的機関でやったり、会社内でも独立した部門を作り、そこで評価していかないと難しい。さらに生体に対する影響は実際に実験しないといけない。人手と手間、時間とお金がかかる。薬の場合は、アメリカのFDA(食品医薬品局)がリスク情報などを提供しているが、ナノ製品の検証について日本でもそれに近いようなものが必要だろう。
(渡辺敏行さん)
医療分野のリスクについては、今でも医薬では効果を確かめて法律的な問題をクリアするまで十年はかかる。その意味で有機分子の流れと似ているが、ナノ粒子はC-CやC-Nのように身体の中に古来からあるようなケミカルボンディングではないので、身体の中でどう反応するか、身体の中での無機物の影響はまだ良く分からない。イオンなど錯体の影響は分かるが、鉱物の影響は分かっていない。これからこうした研究を進めなければならないだろう。また、表面は分解するかもしれないが、他の部分はそうでないかもしれない。迅速に身体の外に出る技術が必要ではないか。その二点が、蛋白質医学や有機生分子医学と違って考えなければならないところだろう。環境分野では、ナノ粒子が拡散すると本人の意思・判断にかかわらず摂取してしまう危険性がある。それに対して医療分野は、薬剤の副作用と、治療を行わないリスクとを天秤に掛けて、リスクをある程度受け入れるというところが違うところかもしれない。インフォームド・コンセントにより、リスクについてのきちんとした情報を医師側から患者に与える必要がある。リスク各項目にとどまらず、具体的なリスクの大きさとそれを生じる確率について伝えなければならない。
(阿尻雅文さん・梅津光央さん)
目立って大きな被害があったかというと、イギリスの煙突掃除の子供達がカーボンナノチューブやフラーレンを摂取したという問題が一応あることはあるけれど、あれは彼らはナノテクノロジーだと思っていない。人間の歴史上の中ではない。その「ない」ものがずっとなしでいてくれればいいが、その保証はない。ホルモンの攪乱物質があったが、それが人間に対して作用するという確証はなくて、むしろ反証例ばかりが出てきている。たとえばDDS(ドラッグデリバリーシステム)などによってナノ粒子が体内に残留する懸念については、機能とリスクのトレードオフの話である。これは患者本人が考えることが望ましいが、今は研究者が選択している。研究者にはきちんとした説明が必要である。ナノテクの研究や利用の最前線にいる人は何が危険か分かっている。しかし彼らの周囲の人々が巻き込まれるのは問題であろう。リスクを周囲にどう知らせるか。リスク情報の開示によって、周囲の人々の不安をかき立てたり、研究者自身が不利になったりすることは良くないので、それに対する社会構造やコンセプトを作ってもらえればいいと思う。
アメリカでは新規医薬品など、富裕層が率先してお金を払い、リスクを受け入れて利用している。日本ではそうなっておらず、国ごとの倫理観を見て考えなければならない。だがグローバル企業はすでに国際化しており、多民族国家的な考え方ができなければいけなくなっている。
アスベスト自体が中皮種を起こすというのは何十年も前から分かっていたのに、誰も研究していなかったのはおかしなことである。今も患者救済にはお金が出るが、研究には出ない。労働災害を見つけられるような目利きができる人を日本でたくさん育てるべきだが、お金を出す人があまりいない。ナノテクも産業化が進めば労働安全が問題になってくるだろう。安全を脅かす自体が発生した場合、倫理委員会のようなものがいる。
(山本健二さん)
ナノ粒子の検出であるが、今は蛍光物質で調べており、できないことはない。ナノ粒子を体外に排出できないときにどう処理するかについては問題である。技術としてDDSはいい方向である。これも排出の問題がありリスクも伴うのであるが、得られる効果との兼ね合いであろう。病気になったときにどう使うか、という判断をする必要がある。たとえばどういうリスクがあるのかというのは分かっていることがある。どういう治療効果があるのか、リスクも含めて患者や家族にきちんと説明しなければならない。これについてはナノだからということはなく、ごく微小な分子をコントロールするということでは従来の治療の話と変わらない。予測できないリスクがあることも同様である。
(鈴木和男さん)
リスクに関しては、2001年弊社設立の検討過程でフラーレンの安全性についてもその当時分かっていることをできる限り調査した。そこで特徴的だったのは、安全性については日本が一番検討が進んでいたということ。また、2004年夏以降開始された、ナノテクノロジーの標準化に関するいろいろな議論に当初から参加させてもらっている。そこでまず感じたのはナノ粒子の毒性懸念に対する問題を真剣に考えなければならないということ。ナノ粒子は表面積が大きいので普通は凝集しやすい。これを分散させるのには高度の技術がいる。その調整法や実際に分散させたもののキャラクタリゼーションが大変重要であり、透明性がある形でいろいろな評価方法を確立し、議論していかないといけない。これは時間がかかる作業だがきちんとやらない限りは社会からの理解は得られないだろう。長期戦になるだろうという意識はある。しかし、フラーレンは基本的には純粋な炭素なので、筋がいいと思う。処理の方法も、たとえば埋め立てするにしてもCFRPからフラーレンが溶出することはほとんどないことを確認した。万が一溶出したときでも、今年1月に発表された論文ではフラーレンが土壌細菌には影響ないことが示された。また、フラーレンは薄い濃度だが実は自然界に広く存在していることも報告されている。
(村山英樹さん・木下隆代さん)
基本的にはナノテクは予知できない。だからどういうリスクがあるのかも正直に言えば分からない。だがアメリカの国家ナノテクノロジー戦略(NNI: National Nanotechnology Initiative)では、分からないところでどうするか、という議論を真剣にやっている。未来技術のインパクト、社会的な影響評価をしている。なかなか日本ではそういう議論は聞かない。
(亀井信一さん)
前々から言われているのはナノ材料の環境や人体への影響である。日本の企業の多くはコンプライアンスや品質へのこだわりがあるので、影響がよく分からないまま市場に出すことについてはあんまり心配しなくていいのではないか。ただ「こういう影響がある可能性があるよ」という情報は企業から積極的に提供すべきであるし、われわれマスコミも正しく報道していかないといけないと思う。一方でもちろん、ナノ材料を使うこともメリットも伝えていかなければならない。
(甕秀樹さん)
DDSの制ガン剤は、普通に薬を大量に投与するよりは副作用が低減されている。特にわれわれが使うコンポーネントは基本的に有害にならないものを使っている。ポリエチレングリコールはもちろん無害であるし、疎水性や親水性に使っているブロックは基本的にアミノ酸を重合したものであり、分解しても単にアミノ酸が出てくるだけである。人に使うので、認可が下りるようなものでなければ話にならない。
安楽死のために薬物を注射することと同じように、DDSなど人に投与するものは毒にも兵器にもなりうる。DDSを利用したドーピングのような問題はどうしても出てくるだろう。人工血液や人工赤血球などを研究している人がいるが、スポーツ選手に使ったらどうなるか、という問題には個人的には関心がある。薬の場合、どうしても治らないから使うのでリスクを引き受けてもらいやすい部分があるが、これからナノ診断デバイスなど健常者が使う技術が出てきたらどうするか。デバイスを使って気分が悪くなったらどうするのか。安全性という面できちんと評価する必要がある。
(岸村顕広さん)
ナノ材料の特徴としては、一回飛び散ってしまうと、かき集めるのが非常に大変。一回固定すると、表面積が大きいのでなかなか取れない。リスク面を見ても、作る段階から固定していった方がいいだろうと最近考えている。今作っている段階では、物質が簡単にはほぐれないので、環境中に漏れ出すということはまずないと思う。しかしそうしたリスク評価は今後、ナノ材料を扱う量が増えてくると重要になる。評価の際には1個1個、グラムあたりの毒性の評価というだけでは不十分である。少量でいい材料もあれば、大量に作らなければいけない材料もある。たとえば一つの製品を作るとき、どれくらいの量が環境中に飛散するのか、飛散したときにどれくらい摂取されてどれくらいの毒性を示すのか、ライフサイクルアセスメントみたいな考え方で、入り口から最後まで見積もった上でリスクを評価しないといけないだろう。
(野田優さん)
欧米ではナノテクノロジーとライフサイエンスの融合によるリスクがしっかり意識されている。日本でナノテクノロジーのリスクといえば、ナノ粒子だけに偏る傾向がある。ナノ粒子は昔からわれわれの生活の一部であり、サイズを小さくしていけば、優れた機能が現れる現象は19世紀以降知られている。とはいえ、科学技術の光と影の観点からいえば、物質を細かく砕いていくと、光とともに新たな影の出現も推測されてきた。人工的に作られる固体や金属のナノ粒子についてはきちんと健康リスクについて検討すべきである。しかし不安定なナノ粒子は環境中あるいは体内で凝集するであろうし、標準的なサイズを特定できるナノ粒子を作ることは難しく、そのリスクの評価は困難を極めるであろうし、コストと時間を必要とする。このような状況の中でリスクの先走った議論だけが一人歩きする可能性もある。WHO(世界保健機関)のDDTに対する認識が変化したように、リスク評価も科学技術の進歩とともに変化するので、メディアはリスクについても両論併記で報道する必要があると思う。様々な議論の中で市民が最終的に判断すべきであるからである。
(五島綾子さん)
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