・ナノテク(ナノ粒子・ナノチューブ)とは何か?
ナノテクは必然と偶然の科学技術と考えている。科学の世界では、ギリシャの時代の古代原子論から始まり、20世紀の飛躍的な科学技術の発展により、20世紀末には走査型顕微鏡により原子を操作できるようになった。科学技術はマクロの世界からミクロ、ナノの世界に流れにそって展開しているので、ナノテクは必然の方向に向かっているといえる。一方で、生命の起源のなぞは、今は未知であるが、この科学の分野にパラダイムが生まれ、展開し、コントロール次第ではナノテクと結びつく形でうまく発展するかもしれない。その意味で、偶然の科学技術でもある。ナノテクノロジーは学際的な学問であり、様々な分野の人たちがいろいろな形で進めていかなければならない。
・将来像
アメリカのナノテクのオピニオンリーダーであるMihail C. Rocoが言うように、短期的には10年間でナノサイズに特化したナノテク関連の産業も学問も栄えるだろうが、出尽くしてしまうであろう。30年ぐらい後に自己組織化、自己アセンブリなどの分野で目覚しい展開が見られるであろうと推測している。私もこの分野でブレイクスルー、あるいはパラダイムが生まれて全く不連続に新しい展開が生まれるかもしれないと考える。分子と分子を組み合わせて新しい機能を出すというところがナノテクの本質であり、サイズが小さく少量で機能が発現するというのは、環境の面でも悪いことではない。だが、どのように管理していくかというところが問題である。一方、ナノテクのエッセンスの部分はライフサイエンスと一体化し、一歩間違えると大きなリスクを負うことになる危惧は、欧米の識者の共通認識であることも忘れてはなるまい。
・ガバナンス(政府の政策や大学・民間でのマネジメントのあり方)
日本では文科省が中心で研究助成をしているが、科学の成果を社会に還元すべきという流れが科学研究に目標指向型と基盤研究の混在を加速させてきた。科学者は、目標指向型研究の実現が遠い先で予測がつきにくいにもかかわらず、今すぐに実現できるかのように申請し、研究費を稼がなくてはならない時代となった。しかしすべての科学技術は光と影の両者を兼ね備えており、大学の研究はリスクを含めてもっと基礎研究に立ち返る必要がある。また米国のようにいろいろな性格のファンドを作り、多様な科学研究を進めていく必要がある。目標指向型研究に関連していえば、技術の評価には企業の技術研究経験者の声をもっと反映させるべきではないかと思っている。ただ、特に日本の企業は情報を出したがらないので、企業の技術開発の実態は極めて見えにくい。公的資金を使う技術開発には基礎研究とともに商品化コンセプトも念頭に入れた開発システムの構築が必要であるという技術経営の専門家の意見も取り入れる必要があろう。
科学の先端研究は不確実であるが、長い間、人類が蓄積してきた熱力学の法則や質量保存の法則など普遍的な確かな科学知識の蓄積もある。そういう流れをきちっと見た上で、全体を見るということをしないといけない。技術の枝葉だけを見て、不確実だと主張し不安をあおるケースもあり、実は環境によいといわれるある科学技術が見方を変えると、環境を悪化させるケースもある。蓄積された科学のコアの部分に基づく冷静な判断も社会に求められている。
・リスク
欧米ではナノテクノロジーとライフサイエンスの融合によるリスクがしっかり意識されている。日本でナノテクノロジーのリスクといえば、ナノ粒子だけに偏る傾向がある。ナノ粒子は昔からわれわれの生活の一部であり、サイズを小さくしていけば、優れた機能が現れる現象は19世紀以降知られている。とはいえ、科学技術の光と影の観点からいえば、物質を細かく砕いていくと、光とともに新たな影の出現も推測されてきた。人工的に作られる固体や金属のナノ粒子についてはきちんと健康リスクについて検討すべきである。しかし不安定なナノ粒子は環境中あるいは体内で凝集するであろうし、標準的なサイズを特定できるナノ粒子を作ることは難しく、そのリスクの評価は困難を極めるであろうし、コストと時間を必要とする。このような状況の中でリスクの先走った議論だけが一人歩きする可能性もある。WHO(世界保健機関)のDDTに対する認識が変化したように、リスク評価も科学技術の進歩とともに変化するので、メディアはリスクについても両論併記で報道する必要があると思う。様々な議論の中で市民が最終的に判断すべきであるからである。
・社会とのコミュニケーション
アジア人の特質と捉える研究者もあるが、一つのところにワッと流れる風潮をどうしたらいいかと思う。今は少し冷めかけたナノテクもブームであったといえる。ナノテクブームは私たちに多くを語ってくれる。
1)教育の観点からみると科学技術と社会が切っても切れない関係にあることを伝えるために、科学技術社会論や科学技術史を高校、大学できちっと教えていかなければならない。
2)なぜ科学者がもっと市民に語らないのか。語れないのか。たとえば、プラスチックのリサイクルはかえって石油を使ってしまうという可能性を科学者も分かっていると思うが、なぜ語らないのか。科学者は、そうした論文を書いていないし、その分野の人間ではないから発言できないとして避ける。そうした科学者の姿勢をこれからどう考えていくか。科学の世界の仕組みにも関わる問題である。科学コミュニケーション自体は尊い活動であるが、今、これだけですべてが解決できるわけではないことは知っておかねばならない。
3)メディアによる報道の発信の仕方と読者の受け止め方にも問題がある。ナノテクに関する新聞記事を見てみると、メディアを通して語られる科学者の発言がナノテクのイノベーションの可能性の大きなよりどころとなり、社会に大きな影響力をもっていたことが明らかである。場合によっては科学者がメディアを利用し、官を動かしている風潮も見え隠れする。日本でのナノテクブームには企業ばかりでなく、科学者とメディアのコラボレーションが大きかったことを示している。
(2007年8月25日インタビュー)
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