・ナノテク(ナノ粒子・ナノチューブ)とは何か?
ナノテクは共通基盤技術であるから非常に広く、それぞれ既存の分野に対して適用されている。カーボンナノチューブは16年前に発見されて以来、物理分野を中心に膨大な研究開発がされてきた。一方で、カーボンファイバー(炭素繊維)の歴史は100年ある。どこからナノチューブで、どこからファイバーと言うのかは様々で、ナノチューブは再発見だと言う人もいる。今は、原子から上がってきたナノチューブ研究と、バルクから下がってきたファイバー研究がちょうど出会っている時期だと思う。また、「ナノチューブ」は種々のユニークな物性を持つため多様な応用が期待されるが、多様な構造も取る。「ナノチューブ」という言葉が一つしか付いていないのが良くないが、ある種のポリマーだと思えばいい。CとHでできていればポリマーで、Hが入ってなければナノチューブぐらいのつもりでいた方がいいと思う。
・ナノテクに関する取り組み
私がやっているのは材料ナノテクの分野で、ナノスケールの技術、ナノ材料を「使う」より「作る」ところに力を入れている。今はナノチューブを上手く作るところに力を入れている。作るだけでは応用につながらないので、必要とされるような形を持ったものにしようとして研究を始めている。私が対象にしているのは単層カーボンナノチューブと呼ばれるものである。単層を作るとき、触媒を高温で小さいサイズに保持することが難しい。これは今、研究用の試料としては作れるが、実用にしようとすると量が作れない。モノが少なく安全性の問題も何も検証しようがなかったが、2〜3年前からそうした研究が始まりだした。カーボンナノチューブの合成には、触媒をリアクターの中に噴霧する方法と、うちの研究室で行っている基板の上に生やす方法がある。作り方によって性状が全然違い、チューブ一本一本はだいたい同じでも、全体としてはかなり違う。ナノ材料を使うときには人が使えるぐらいの大面積に実装する必要がある。一方で、たとえば透明電極を作る場合には、ナノチューブをたくさん塗ると透明でなくなってしまうこともあり、実は量はそれほどいらない。ナノチューブを作ってから塗る方がいいのか、基板の上に生やす方がいいのか、用途によって合成法が大きく変わる。
・将来像
カーボンナノチューブができたときに何に使えるか。シリコンに代わる、応答性が速く高密度の半導体が考えられるが、実用化は数十年先かもしれない。身近で安い使い方はプラスチックに混ぜて強度を上げること。自動車や飛行機のボディを軽くしてエネルギー効率を上げられるかもしれない。また、燃料電池やリチウム電池、キャパシタの電極としても研究されている。ディスプレイの透明電極材料として今はITO(Indium Tin Oxide)を使っているが、そのインジウムが不足している。ITO代替としてナノチューブが使えるのではないか。潜在的に大きなマーケットである太陽電池の透明電極として、他にフレキシブルな電子部品や、銅配線の代わりとしても考えられる。一つ重要な点としては、こうしたモノを炭素という一つの元素の形を変えるだけでまかなえるかもしれないこと。これがナノテクのポテンシャルだと思っている。マクロな視点、サステナビリティという点では重要である。稀少元素を使うと資源が枯渇するという問題もあり、せっかく自然界が長年かけて濃縮してきたものが混ざり拡散する。混ざってしまうとリサイクルがうまく回らなくなる。サステナビリティとして再生可能エネルギーが重要であるが、太陽電池かバイオマスが有望ではないか。ナノチューブの医療・バイオ的な応用も盛んに研究されている。
エンハンスメント(治療目的を超えて人体を医学的に能力増強すること)の考え方については、倫理上の問題や、地球規模で資源やエネルギーが足りない状況もあり、個人的には興味がない。それよりも、世界全体がある程度のレベルの生活を送れるような技術に興味がある。
・ガバナンス(政府の政策や大学・民間でのマネジメントのあり方)
ナノチューブの標準化の動きも去年ぐらいから始まったと言われている。ナノ物質は扱い方次第で大きく変わるので、考えようがあると思う。ナノテクの研究開発体制については、大型の予算をつけて誘導するというのも必要であるが、的確なロードマップを作れるかが重要。もしそれがきちんとできないのであれば、自由な研究に任せた方がいい。現状と将来を予測できる体制が必要。議論してコンセンサスを形成していける場がある中で研究開発が誘導されるのであれば良いが、上から決定が降ってくることが本当に正しいかというのはちょっと分からない。
・リスク
ナノ材料の特徴としては、一回飛び散ってしまうと、かき集めるのが非常に大変。一回固定すると、表面積が大きいのでなかなか取れない。リスク面を見ても、作る段階から固定していった方がいいだろうと最近考えている。今作っている段階では、物質が簡単にはほぐれないので、環境中に漏れ出すということはまずないと思う。しかしそうしたリスク評価は今後、ナノ材料を扱う量が増えてくると重要になる。評価の際には1個1個、グラムあたりの毒性の評価というだけでは不十分である。少量でいい材料もあれば、大量に作らなければいけない材料もある。たとえば一つの製品を作るとき、どれくらいの量が環境中に飛散するのか、飛散したときにどれくらい摂取されてどれくらいの毒性を示すのか、ライフサイクルアセスメントみたいな考え方で、入り口から最後まで見積もった上でリスクを評価しないといけないだろう。
・社会とのコミュニケーション
マスコミなどが社会に対してどう技術を通訳するかという問題がある。「ナノテク」という言葉が一時期ブームになったが、それが一人歩きしている。良いイメージの付いた名前をつけると商品は売れるのは確かだ。科学者や技術者に訊けば「科学的根拠がない」と答えるだろうが、だからといって「これは嘘だ」と言って回るわけにもいかない。そこは科学技術と一般の人をどうつなぐかという難しさである。われわれも作った知識を使ってもらおうという必要性は認識している。だが専門家もどんどんタコツボ化して、自分のことは自分の周辺の用語では言えるが、ちょっと遠い人には伝わらない。そこを一生懸命勉強して伝わるところまでしようとすると、研究している暇がなくなる。そこはいい仕組みを作らないといけない。
日本には長期的なビジョンを持つ人、50年後の未来が描ける人が少ない。クリントンの演説で「国会図書館の情報量を角砂糖一個に」というのがあったが、分かりやすく原理的にはそうであるが、ナノテクがそうだと思われると困る。そういう面があってもいいが、それがすべてではない。アメリカでは大きいことを言って、それに騙されてみようという雰囲気、失敗しても許される雰囲気がある。いいか悪いかは別にして、日本はカルチャーとして地道な部分があり、将来の大きなイメージを持つことは苦手なのではないか。
(2007年8月10日インタビュー)
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