渡部麻衣子
■はじめに
日本型 SSを構想するにあたって必要なことは二つある。一つにはその枠組みの構築、つまりハード面についての構想である。この点については、春日氏が、ヨーロッパ各国の例とインドの例を紹介し、構想に必要な情報を提供して下さった。二つ目は、その内容の構築、つまりソフト面の検討である。これは、SSにおいて市民参加型の科学技術が形骸化しないために是非とも必要なことのように思われる。そこでここでは、市民参加型の科学技術の内容を検討するためのヒントを提供してみたい。言い換えれば、市民が参加する科学知および科学技術の構築とは、果たしてどのようなものを指すのかということを確認することがここでの目的である。そのために、少し視点を変えて、福祉機器開発の現場に注目してみることにする。
福祉機器とは、障害者の生活の必要を補完することを目的とする器具を指す。たとえば「移動」という生活の必要を補完するための福祉機器には簡単なものでは〈杖〉が、高度なものでは〈電動車いす〉が含まれる。おそらくこうした福祉機器開発における一番の課題は、健常者にとっては未知の事柄の多い障害者の生活における需要をいかにして知るかということであろう。この課題のために、福祉機器の開発においては障害者=「障害を持つ生活者」の視点が重要な意味を持っており、視点を取り入れるための工夫が多くなされてきた分野であることが予想される。この点から、SSにおける市民参加型の科学知・科学技術の構築のあり方を考える上で、福祉機器の開発に注目する意義があると言える。
そこで、これから福祉機器開発について、開発にあたって潜在的利用者の声がいかに取り入れられたかという点に注目しつつ研究を進めることを予定している。今回の発表では、その手がかりとしての実例を二つ紹介した。どちらの例においても、利用者の視点を知るためには段階を追った試行錯誤が必要であること、そして利用者の視点と開発者とをつなぐ媒介役が重要であることが示唆されている。ここでは誌面の関係上、そのうちの一つ「意思伝達装置」について紹介する。同時に、発表には含めることができなかったが、福祉機器開発は「生活者に視点にたった科学技術」の難しさ、あるいは問題点を検討する上でも有意義である。というのも、高度な福祉機器であればあるほど、その利用者となる障害者を実験用の「モルモット」にしてしまう危険があるからだ。この点は発表に加えることができなかったのだが、重要な点のように思われるので最後に触れることにする。
■意思伝達装置の例
「コミュニケーション」は人の生活の根幹を支える重要な機能である。WHOが 2001年 5月に採択した『国際生活機能・障害・健康分類』は、コミュニケーションを重要な生活機能三つのうちの一つに定めている。他の二つは〈移動〉と〈情報獲得〉である。自らが盲であり聾でもある東大先端科学技術研究所の福島智氏は、同僚の伊福部達氏にコミュニケーションについて「食欲と同じで毎日とっていないとつらくなり、『酸欠』に似た状態になる」と述べたという 1。それくらい人はコミュニケーションを必要としている。私たちが、言語、手話、ボディーランゲージ、筆談など実に様々な手段を用いて他者とのコミュニケーションを図ろうとつとめるのはそのためである。このコミュニケーションの手段を全て奪う疾患、それが筋萎縮性側索硬化症(ALS)である。これは、運動神経がおかされて筋肉が萎縮していく進行性の神経難病である。10万人に 2〜6人の発症割合の稀少難病で、現在のところ原因も治療法もわかっていない。平均発症年齢は 59歳といわれており、平成 16年度のこの疾患の難病登録患者数は 7,007人である。この疾患は、病状が進むにしたがって、手や足をはじめ体の自由がきかなくなり、話すことも食べることも、呼吸することさえも困難になる。しかし、感覚、自律神経と頭脳はほとんど障害されることはない 2。したがって、意思を持ちながらそれを伝える手段を失うのである。
ここに紹介する〈意思伝達装置〉は、この ALS患者のために、人の生活にとって欠かせないコミュニケーションの手段を補完することを目的として作られた福祉機器である。
この福祉機器の開発に日立が着手したのは 1992年のことである。日立の社員が ALSに罹ったことがきっかけであったという 3。この点は、この技術の開発における開発者側と潜在的利用者との間の距離の近さを示すという意味で重要である。福祉機器の開発者がまず行うことは、利用者のニーズを把握することである。そのために日立の開発者は、1994年から北里大学病院東病院の協力を得て、ALS患者のコミュニケーションに関する調査研究を行った。ALS患者は、支援機器が開発される前から、残された身体的機能を駆使してコミュニケーションをとっていた。調査研究では、この〈経験知〉を製品開発につなげるための〈専門知〉へと読み替える作業が行われたものと考えられる。(福祉機器の開発において、利用者の〈経験知〉を〈専門知〉へと読み替えることの重要性は、Winance (2006)による、筋萎縮症患者への車椅子への適応の研究においても触れられている 4)。そして 1997年、製品の第一号を発表する。それは『伝の心』と名づけられた。眉の上げ下げなど、身体のわずかな動きをセンサーで読み取り、パソコンに文書を打ち込むことでコミュニケーションを可能にする。 開発された後に実際にそれが役に立つものであるか、欠けているところはないかを再検討し、さらなる改良を加えるということは、どのような製品においてもなされている。
これは科学技術の評価の段階に位置し、現在市民科学研究室が行っている研究の要である。福祉機器においてはそれが生活に不可欠の機能を補完するという目的を持っているために、利用する生活者の視点に立って機能を改良することの重要度が、その他の科学技術よりも高いと考えられる。 『伝の心』もまた、利用者の要望を反映させ、機能を追加していった。1999年には「伝の心」を使って操作できる身の回りの機器を増やし、本を読むために「ページめくり機」や家庭用ゲーム機器の操作も追加した。2000年には、インターネット操作機能を追加し、メールの送受信やホームページの閲覧も可能にした。2002年にはワープロソフト等の一般アプリケーションの利用を可能に、また 2003年には音声読上げガイドを強化した。さらに 2005年には、利用者の要望により、DVD再生機能を標準装備するなど、機能の追加、改良を行っている 5。中には生活に欠かせないものであるかどうか多少の疑問の残るものもあるが、これもまた、利用する「生活者」からの要望であり、人の生活の幅、面白さを表しているようにも思う。 この一例から一般化することは決してできないが、仮説として、「科学技術を必要とする市民」と「市民の声を必要とする開発者」が協同で一つの科学技術を生み出す過程を以下のように並べてみることができる。
・開発者は市民/生活者のニーズを知る。
・ニーズのもととなる〈経験知〉を〈専門知〉に置きかえる。
・開発する。
・科学技術を市民/生活者が成果を評価する。→・へ
・改良する。
意思伝達装置『伝の心』の開発において特に興味深い点の一つは、おそらく、潜在的な利用者が開発者にとって身近な存在であったために、・の前に、一般には知られていない利用者のニーズを開発者が「想像」できたということにあるように思う。また、この科学技術においてもう一つ興味深いのは、それ自身が〈コミュニケーション〉のための利用者の身体的機能を補完したことで、開発者が利用者の声を聞くことが可能になったという点だろう。これは二つの点は、それぞれ異なる角度から、SSの可能性を示唆する。 前者は、SSが媒介することで、科学者と市民との距離を日常的に縮めておくことの意義を示す。また後者は、専門家の活動の場である大学が、市民 /生活者が科学者と〈コミュニケーション〉するための機能を補完する SSというシステムを提供することによって、専門家が「市民 /生活者」の声を聞くことが可能になるという構図と相似をなす。 これらからも、SSを「生活者の視点にたった科学技術」の場とする上で、福祉機器開発の現場を見ていくことが有意義であることがわかるのではないだろうか。
1:伊福部達、『福祉工学の挑戦』、中公新書、2005、pp159
2:宮嶋裕明、「ALSという病気の概略」『ALS協会ホームページ』[http://www.acce/products/body/denno_o/index.html](06/05/29)alsjapan.org/contents/whatis/index.html](06/05/29)
3:日立『情報のアクセシビリティサイト』[http://www.hitachi.co.jp/Prod/comp/
■ 今後の展開
最後に、今後さらに考察を深めるべき点に触れておきたい。その開発のために、専門家と生活者を共に必要とする福祉機器開発は、専門家と生活者との関係のバランスをとることの難しさも示すものでもあるようだ。というのも、ニーズを持つ障害者が、そのニーズゆえに開発者のモルモットになる危険性があるからだ。しかし、また、高度な福祉機器の開発にとっては、障害者が自発的に「実験台」となってくれることも必要であると伊福部氏は言う。SSにおいて、生活者が果たす役割を考える上でも、この点は重要であるように思う。たとえば未熟な専門家である学生が調査研究を担う時、生活者はある程度その犠牲となることを覚悟しなくてはいけない、というようなことがないだろうか ? 今後は、福祉機器開発を通して、専門家と生活者との関係の難しさにも迫りながら、SSのソフト面の構築を目指したい。
4:Winance, Myriam, "Trying Out the Wheelchair: the Mutual Shaping of Peopleand Devices through Adjustment", Science, Technology & Human Values 31(1), 2006: 52-72.
5:「身体障害者向け意志伝達装置「伝の心」改良版を発売」『ふくしちゃんねる』 2005/4/22、[http://www.fukushi.com/news/2005/04/050422-a.html](06/05/29)
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