『デンマークのサイエンス・コミュニケーターが話してくれたこと』

岡橋 毅 (北海道大学 科学技術コミュニケーター養成ユニット 特任助手)
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サイエンス・カフェ宣言(@デンマーク) 1

 サイエンスはますます速く進化している。サイエンスは、私たちの身の回りの世界を大きく変えていく可能性を、毎日のように生みだしているように思える。だからこそ、私たちは「どんな研究やテクノロジーを発展させていきたいのか」、そしてそれを「どう利用していくのか」、について議論を続けていくことがとても重要になってきている。

 サイエンス・カフェ・コペンハーゲンの目的は、市民が議論するための場を提供することである。私たちは、科学的問題に関する情報を広く伝え、媒介したいと願うとともに、それらがより広い社会的文脈のなかでどのような影響を持つのかということを議論したいと願っている。そうは言っても、私たちは(すでに)科学への関心がある常連の聴衆に対して教え諭すような講義をすることが効果的なコミュニケーションだとは思っていない。サイエンス・カフェの根底にある考え方は、「知識の伝達や仲介は、多くの市民に届き、かつ相互的な関わりが持てるものであるべきだ」というものである。それは、専門家と市民が同じ場所で顔と顔を見合わせ、偏りのない節度をもった雰囲気のなかで対話することによって達成される。サイエンス・カフェはその始まりから民主的であり、誰でも参加することができる。

 こうした話し合いの枠組みは、党派的なものではなく、領域を超えるものである。サイエンス・カフェのイベントは、インフォーマルで親密な場であるカフェにおいて行われるため、専門家と聴衆の自然な対話を和やかな雰囲気のなかですすめていくことができる。パネラーとして参加する専門家は、自然科学や社会科学、人文科学、アート、そしてカルチャーを代表する人たちで構成される。

 うまくいったサイエンス・カフェでの議論は、科学と社会を結ぶ役割を果たしている。一方で、サイエンス・カフェは、アートやカルチャーといった領域に科学の知識をもたらす。もう一方で、サイエンス・カフェによって、科学的な実践に社会的、文化的、美術的な問題がさらに組み込まれるようになる。

 サイエンス・カフェで話される内容は、民主的なものであり、どんな人にもアクセス可能である。そして、どんなサイエンス・カフェでも参加費は無料である。

ゲルト・バーリン & エマニュエル・シューラー(翻訳 :岡橋)


デンマークのサイエンス・コミュニケーター

 ここに訳出したサイエンス・カフェ宣言を起草した2人のうちの1人、バーリンさんが、この3 月に北海道大学で行われたシンポジウムで講演をされた。バーリンさんは、人間と新しいテクノロジーの関係をテーマにする研究者であり、現在は技術移転に関するデンマーク国内のネットワークのコーディネーターである。また、コペンハーゲンのサイエンス・カフェ2を切り盛りし、テレビやラジオ、新聞を通しても科学的問題についての話題を伝えている、いわばデンマーク随一のサイエンス・コミュニケーターである3。北海道大学での講演では、「デンマークとヨーロッパにおけるサイエンス・コミュニケーション」というタイトルで「公衆の科学的理解」や「サイエンス・コミュニケーション」がヨーロッパで盛んになってきている背景と具体的な活動例をわかりやすく発表してくれた。

 このエッセーでは、その講演の内容の一部と後日に行ったE メールと電話でのやり取りで得た話を交えながら、バーリンさんの活動の根底ある実践哲学を紹介する。

民主的であること

 上記のサイエンス・カフェ宣言で特徴的なところのひとつが、「サイエンス・カフェは民主的であるからして、誰でも参加でき、無料であるべきだ」という主張が二度も繰り返されているところである。意地悪い言い方をすれば、「そこまで参加費無料にこだわらなくても......」と思えるが、この繰り返しはバーリンさんの考えるサイエンス・カフェやサイエンス・コミュニケーションの根底に「民主的であること」が大きな意味を持っていることの表れだと考えられる。あるいは、デンマークという国に根付く「平等」の思想の表れであると言えるかもしれない 4。もちろん、バーリンさんが講演で言っていたように、ヨーロッパのサイエンス・コミュニケーションの流れとして、「公衆の科学的理解」に関する考え方が、従来のように、能動的な科学者が受動的な市民にたいして科学の知識を「注入」するという一方公的なモデルから、「対話・参加型」を重視し、「利便性」や「リスク」、「信頼」や「価値」、「教育」といった要素も考えるべきだという考えに変わってきているというのも大きな追い風になっているだろう。 また、コペンハーゲンのサイエンス・カフェでは、いつでも自然科学分野以外を専門とする社会学者、アーティスト、文化評論家、などの専門家に同席してもらい、科学が「より広い社会的文脈でどのようなインパクトを持つのか」という視点を常に取り入れていこうとしているところも、「民主的であること」につながっていると思う。科学者がわかりやすい言葉で広く市民に対して科学について語ることが「民主的」でないとは言わないが、科学が私たち自身にどのように関わっているのか、私たちの街やコミュニティにとってどんな意味を持っているのか、あるいは私たちの子供たちにどのような影響を持つ可能性があるのか、という視点を織り込むことによって、「私たち」の問題として科学について考えられるのであれば、その方がより「民主的」であるといえるだろう。 ここで重要になるのが、異なる意見をどうまとめていくのかという問題である。

聴くこと

 数々のサイエンス・カフェの司会を務めているバーリンさんが、場を仕切るときに最も重要だと繰り返し強調していたのは、話を「聴くこと」であった。カフェの進行も参加者の声をもとに、方向性を決めていくようにしているらしい。彼によると、自分から質問してしまう司会は良くないという。札幌でいくつかのサイエンス・カフェの運営に関わった私の経験から考えると、参加者の意見を聴いて、それをもとに話をすすめるのはとても勇気のいることである。それこそ参加者をしっかりと信用していないとできないことだ。

 もちろん、司会が「聴く」ことに徹するだけではなく、話題提供をする専門家(科学者だけでなく、社会学者や哲学者、アーティストや文化評論家もふくめて)にも、いくつか心得てもらう必要がある。バーリンさんのあげた注意点のひとつは、話が「微に入り細にわたる」ことを避けることである。参加者である市民は科学者ではないのだから、細かな話しは必要ではなく、彼らが関わりを持てるような大まかな今後の展望や概略をまず伝えるようにするべきだという。そして、もうひとつが「市民」と真剣に向き合うことである。それは、例えば科学的には誇張しすぎている内容を含む映画を観て、市民が不安を感じているという発言をしたときに、彼らを鼻で笑うことなく、「その映画のどこが誇張であって、本当の問題はどこなのか」ということについて丁寧に応えていくことである。また、市民から意見や質問を積極的に促すことも大切である。

 しかし、バーリンさんは、市民の不安の多くが誤った情報や思い込みに基づいていることも指摘していた。そうした思い込みを解きほぐし、テクノロジーに関する現実的な予測に基づいて議論できるようにすることが重要であるといっている。また、テクノロジーに関する現実的な議論のためのアドヴァイスとして「なるほど」と思ったのが、あるテクノロジーの 50年後を議論するのではなく、5年後を議論するようにするべきだというものである。近い未来を設定することによって、科学者が実際に考えていることを知り、より現実的な議論ができるはずだ。

 もうひとつ、バーリンさんはどんな意見も「聴く」ために「広い心(open mind)」をであることに幾度か触れていた。しかし、広い心でいるのは素晴らしいに違いないが、どこまで寛容であるべきかという線引きはとても難しい。ともかく、聴くことに努めてみよう。

対話だけではなく

 ここまで、デンマークのサイエンス・コミュニケーションの達人であるバーリンさんの実践哲学を紹介してきたが、彼は何もサイエンス・カフェだけをやっているわけではない。例えば、彼が関わった“Future Body(未来の身体)”というプロジェクトのなかのプログラムは、新聞や雑誌、インターネットを複合的に利用した、一種のマルチ・メディア型サイエンス・コミュニケーション活動だ。“Future Body”は、コペンハーゲンのエクスペリメンタリウムという科学館に新世紀を記念して企画された予算規模が数百万ドルになる大規模の展示が土台となっている。バーリンさんが担当していたのは、主に新聞記事やチャットルーム、インターネット・サイトでの本や記事の説明である。このプログラムは、デンマークの著名な科学者が一般の人の質問に答える機会を設けるのが目的であった。

 2000年の1年間、2週間ごとに著名な科学者による論争をよぶような記事を発行部数の多い全国紙に載せた。全ての記事は、読み手がその話題について考えられるようなもので、記事がでた次の日にインターネット上でのチャットルームで議論ができるようにした。インターネット上でのチャットは、匿名であったのも手伝って、とても盛り上がった。同時に、チャットが混乱しないように議論を整理したり、悪質な参加者には退場してもらったりするモデレーターがいつも場を管理していた。また、より深い知識を得ながら議論をしたい人のために、長い説明記事や学術文献へもインターネットから読めるようにした。このように、博物館での展示と新聞記事とインターネットを結ぶことで、博物館に通う人たち、新聞を読む人たち、インターネットを見る人たち、という異なる層の人たちに情報を届け、かつ議論してもらうことを可能にした。

 2001年に、このプログラムは終了したのだが、その後、バーリンさんは新聞に掲載された記事のなかから 9つの記事を選んで編集しなおし、“Homo Sapiens 2.0(ホモサピエンス 2.0)”というアンソロジーを編んだ。これはとてもよく売れた。さらに、デンマークでよく知られた研究者が沢山でてくるので、全国で放送されるラジオやテレビによく取り上げられたそうだ。また、新聞に載せていた記事も新聞社とデンマーク倫理委員会の経済的サポートによって再編集され、新しく“Future Body”という名前の特別新聞に生まれ変わり、3万部が刷られ、無料でデンマークのすべての高校に配られた。また、科学省に電話すれば、誰でも何部でも無料でその特別新聞を送ってもらうことができるようにした。このようにして、最初に書かれた記事が何度も、違う媒体を通して使われることによって大きなインパクトを持つことができた。 サイエンス・カフェと “Future Body”は、異なるプロジェクトであるが、それぞれの仕事にむかうバーリンさんの姿勢はほとんどブレがない。できるだけ多くの人に、科学技術に関わる面白い議論をしてほしい、という強い思いが伝わってくる。そして、いつでも市民の声を聴こうとしている。しかし、バーリンさんが指摘していたように、デンマークでうまくいっていることが、他の文化でうまくいくとは限らない。日本なら日本という文化に即したコミュニケーションがあるかもしれない。そういえば、インタビューの最後にバーリンさんは日本のサイエンス・コミュニケーション事情について、いくつもの質問をしてきた。しまいには、どちらがインタビューをしているのかわからなくなるほどだった。彼は、どこまでも「聴く人」である 5。

1:ここに訳出されている「サイエンス・カフェ宣言」は、ゲルト・バーリンとエマニュエル・シューラー著のブックレットである"The Science Cafe" 冒頭のp.13-p.14にあるScience Cafe Manifestoである。ここに翻訳することについては、バーリンさん本人に快諾していただいた。
2: サイエンス・カフェ・コペンハーゲンのホームページ:http://www.
videnskabscafeen.dk/default.htm
3:バーリンさんのホームページ:http://www.gertballing.dk/index.english.html
4:村上龍の主宰するメールマガジンで高田ケラー有子さんが書かれていた「平らな国デマーク「: 幸福度」世界一の国から」がNHK 生活人新書となって刊行されていますが、ここにはデンマークの民主的なるものの事例がいくつもでてきます。
5: 鷲田清一は「『聴く』ことの力−臨床哲学試論」で「聴く」ことについての細かく深い議論をしている。

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