TALKING SCIENCE: 第7回 フォーマルとインフォーマルのはざまで

岡橋毅
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●日本でも「科学カフェ」ムーブメント!

 先日(4月27日)は、STSNJ1)の主催で「カフェ・シアンティフィーク」についてのシンポジウムが行われました。遠くイギリスにいる私は残念ながら参加できませんでしたが、このシンポジウムをはじめ、毎日新聞の記事(4月18日づけ)にもあったように、文部科学省が「サイエンス・カフェ」を丸の内ビルのカフェで開催したり、武田計測先端知財団が東京都庭園美術館で「カフェ・デ・サイエンス」を開催したり、日本でも科学カフェ・ムーブメントがおきつつあるようです2)。省庁や財団が主催するものだけでなく、気軽にはじめられる試みなので、もっと草の根のかたちでも行われるようになってきたりすると面白くなってくると思うのですが、これからが楽しみです。市民科学研究室のおおもとである、元祖「土曜講座」を越えるものは出てこないかもしれませんが、いろんな場所で、いろんな人によって行われていってほしいなと思っています。個人的には、Café Scientifique(科学カフェ)だけでなくCafé Culturel (文化カフェ)も盛り上がってほしいと思います。文理を問わず、研究者はどんどん外にでていくべきです。前回の連載で、私は対話型イベントについて議論しはじめよう、といった主旨のことを最後のほうに書きましたが、こうして実践が盛り上がってくると、実践ありきの現象を論じていることに矛盾を感じなくもありませんが、少しでも、対話型イベントを運営する方たち、参加する方たちのお役にたてばと願いつつ、今回も対話型イベントについて懲りずに論じてみたいと思います。

●インフォーマルな場

 Café ScientifiqueにしろDana Centreにしろ、対話型イベントに参加して気づくことのひとつは、イベントが「インフォーマル(形式ばらない)3)」な場であるということです。科学者がしゃべるからといって、あるいは科学的な話をするからといって、格式ばったフォーマルなものにせず、なるべく話者である「専門家」と聞き手である「市民」との垣根を低くして、平等な立場で話ができるようにしているようなのです。

 インフォーマルな場であるというのは、例えば、Café Scientifique(以下caféと呼びます)のイベントが、それぞれの地元のカフェやパブを使って行われていることが多いことからもうかがえます。通常はカフェやパブ、レストランとして機能している場を間借りしたり、貸しきって、即席のイベント会場に仕立ててしまい、あとは招いたスピーカーの話を聞いて、質疑応答をするのです。実際に、イベントに参加している人たちとしゃべっているとわかるのですが、イギリスの地方都市はどこもそれほど大きいわけではないので、地元の人たち(とくに普段から街で余暇を楽しんでいるひとたち)は、パブやカフェの場所ぐらいは大体把握しているようなのです。だから、たとえ自分の行き着けのカフェでなくても、自分たちの日常の延長線上でイベントが行われているというのは、十分「インフォーマル」な場であるといえると思います。大学や普段ほとんどいかないような公民館の何号室で科学カフェをしますといっても、内容は変わらなくても、イベントに対するイメージは大きく変わってきてしまうでしょう。これは笑い話としてあるcaféの運営スタッフから聞いた話なのですが、カフェにやってきたある科学者が、会場にいた運営スタッフに、「じゃあ、会場に移動しましょうか?」と聞いてきたことがあるそうです。それほど、当人にとってはカフェにいる運営スタッフや参加者たちの雰囲気がインフォーマルなものであり、そういったところで話をすると想定していなかったことがわかります。ちなみにその後その科学者によるイベントは成功して終わったそうです。

 あえて、インフォーマルな場を演出しようとしているなと思わせるところもあります。例えば、オックスフォードのcaféでは、主催者(地元の科学者と学生たち)がワインやソフトドリンク、おつまみを用意して自由に飲めるようにしています(イベントの途中で寄付は募りますが、基本的に無料です)。ワインを片手に、お酒も手伝って参加者も少しばかり饒舌になっているかもしれません。日本人の感覚だとお酒なんて…と思うかもしれませんが、西洋人(あえてこの表現を使います)は、おしなべてお酒に強いですし、お酒はほんの景気づけといった位置づけであるという違いがあると思います。お昼から老夫婦がカフェでビールを飲んでいるという光景はヨーロッパに来て初めて見ましたし、私も(なぜか背徳的な気分になりつつも)お昼ビールの喜びもはじめて知りました。レスター市のcaféにいったときに気になって数えてみたのですが、2/3以上の人がビールかアルコール飲料を飲んでいました。男性はほとんどビールです。実際にすべて数えたわけではありませんが、どこのcaféでもビールのシェアはかなり高いものだと思います。イギリスでCafé Scientifiqueをはじめた人であるダラスさんと話していたときも、「Café Scientifiqueといっているけれど、コーヒーじゃもりあがらないよ。ビールじゃないとね!(あくまで意訳です)」と自分の持っているグラスを指しながら話してくれました。

 Dana Centreでももちろん、アルコールはオーダーできますし、ビールやワインを片手にしている人が多いです(私のような学生はペットボトルを持ち込んでいたりしますが)。

前にも少しだけ説明しましたが、センター内のイベント会場はカフェそのものです。d.caféという名前で、お昼はカフェとして営業しているようです。しかし、Dana Centreのカフェは、少しインフォーマルさを演出しすぎのような印象もうけます。例えば、すべてのイスが「ピンク」なのです。また、会場の側面のガラスには「科学を話そう」とか「温暖化は大丈夫か?」とか「最新のテクノロジーの影響は?」とかの文字が踊っているのですが、少し行き過ぎたインフォーマルが、私にはよそよそしく感じられます。

●フォーマルかインフォーマルか

 ここまで、対話型イベントがインフォーマルなものであるということを述べてきました。しかし、インフォーマルといっても、何をしてもいいわけでもないですし、何をきいてもいいというわけではありません。たとえ、どんなにバカな質問(silly question)をしてもよい、といわれるインフォーマルな場でも、暗黙のルールや駆け引きがあるのです。例えば、日常生活における対人コミュニケーションの研究で有名な社会学者のゴフマンは、人が相対したときの駆け引きの一つを「face work」と名づけました4)。簡単にまとめてしまうと、人間は、面と向かった状況では相手の面目を汚すようなことをあえてしようとはしませんし、そうしているからこそ自分の面目も保たれる、つまりお互いに一種の「協力関係」にある、それを「face-work」とよんでいます。人が集まる場に合わせて、思ってもいないことを言っていたり、まったく賛成していないのにうなずいていたりしたことはありませんか?(わたしはあります)いかにインフォーマルな場になろうと人が集まるスペースには一定のルールが働いている、つまりフォーマルなところも保たれているといえると思います。

 オーストラリアの社会学者Misztal(ミツタル)は、『インフォーマリティ:社会理論と現代の行い』という本で、まさにインフォーマルとフォーマルということを論じています5)。例えば、この本のなかでミツタルは、豊富な事例や理論を挙げつつ(イノーベーション、東欧社会の変化、ヴァーチャル・コミュニティについて等)、インフォーマルなコミュニケーション(面と向かったface-to-faceコミュニケーションなど)が、不確定さやあいまいさやリスクが存在する場において、多次元的で強固な信頼関係を築くために重要な役割を持っていると主張します。彼女の主張の柱の一つは、良好な人間関係なり組織なり社会なりを築いていくためには、インフォーマリティだけではなくて、その逆のフォーマリティとのうまいバランスが必要になってきているのではないだろうかということです。つまり、インフォーマルすぎてくだけすぎてもだめで、フォーマルすぎて格式ばりすぎてもだめで、その間のバランスをうまくとっていかなければならなくなってきているというのです。世の中は、フォーマルすぎるものにもインフォーマルすぎるものにも、「リアル」を感じられなくなっているのです6)。

●科学カフェは理想的?

 この文章のはじめのほうで、対話イベントがいかにインフォーマルかということを述べましたが、イベントをインフォーマルにするという努力は、逆に「科学」というテーマや「科学者」や「専門家」という人たちがいかにフォーマルなものとして社会一般に捉えられているかということの裏返しでもあるといえます。例えば、「スポーツ・カフェ」や「ミュージック・カフェ」を科学カフェと同じようにして開催しても、科学カフェくらい多様な老若男女が集まるイベントになるとは思えません。スポーツも音楽も普段から、雑誌やテレビで大量の情報が流されていますし、いわれなくても人々は様々な場所で音楽やスポーツをネタに語り合っているはずです。しかし、科学をテーマとした対話型イベントでは、普段あまり耳にすることのない(その意味ではフォーマルな)専門家による話を、インフォーマルな形で提供しているからこそ、そこにおもしろさが生まれてくるのだと思います。

 こうしてみてくると、Café ScientifiqueやDana Centreなどの対話型イベントは、フォーマルな「科学」とインフォーマルな「カフェ」をくっつけてしまうことで微妙なバランスをうまく作り出すことに成功しているとみることができます。私はこの対話型イベントの成功は、単に対話イベントがうまくいっているということだけに収まらない可能性があると考えています。というのも、フォーマルなものの存在が市民の間で薄れていっているのは、なにも科学だけでなく、社会、あるいは国家といったものの存在感が薄くなってきていることにも通じていると思うからです。科学館(サイエンス・センター)の生みの親といわれるフランク・オッペンハイマー氏は、子どもたちが「物理的な世界への興味を失うときには、社会的・政治的な世界への興味も失う」と言い、自らの設立した科学館のExploratoriumの一番の目的は「人々が自らのまわりの世界を理解できると信じさせる」ことだと言っていました7)。科学カフェは、オッペンハイマー氏が言うほどに大仰にならなくとも(インフォーマルの良さ!)、科学と社会と私たちの生活が、フォーマルとインフォーマルのバランスをとりながら関わりあっているということを示しているといえます。フォーマルとインフォーマルのバランスを辛抱強くとっていくこと。これは、科学カフェだけでなく、市民科学、そして市民社会を考えることにもつながってきそうです。

注:
1) STS Network Japanの略。STSNJは、科学技術社会論に関する問題に関心のある人たちの集まり。定期的にシンポジウムや夏の学校などを開催している。http://stsnj.org/nj/index2.html
2) 毎日新聞2005年4月18日「科学カフェ:研究者との語らいの場文科省が開催」http://www.mainichi-msn.co.jp/kagaku/science/news/20050418k0000e040032
000c.html
3) Informal「非公式の;形式ばらない,うちとけた;くだけた」など(リーダーズ英和辞典)。
4) Goffman, Erving. 1967. Interaction Ritual: Essays on face-to-face behavior.
5) Misztal, Barbara A. 2000. Informality: Social Theory and Contemporary Practice. London: Routledge.
6) Boyle, David. 2004. Authenticity: Brands, Fakes, Spin and the Lust for Real Life. London: Harper Perennial.
7) Barry, Andrew. 2001. The Political Machines: Governing a technological society. New York: Athlone Press. のp.136で引用されている。 

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