土曜講座125回研究発表
2001年2月24日
科学技術コンセンサス会議を考える 全記録
講師:鏑木孝昭(科学技術の市民参加を考える会事務局長)
版はこちら
科学技術が私たちの生活を大きく左右しているにもかかわらず、科学技術をめぐる意思決定に一般の市民がかかわることはほとんどない、と言っていいでしょう。科学技術は専門性が高いので、それをどう使うかの判断は専門家に委ねるべきである−−しかしこの考え方に基いて審議会などでなされる政策決定は、市民が納得できないこともしばしばですし、またその政策が実行されたために実際にいろいろな危害を生まれしまうことも少なくありません。科学技術に関して民主主義がうまく機能していない−−何かそんな気持ちを抱く人は数多いはずです。では非専門家である市民が、科学技術に関する意思決定にどう関わることができるのか。この難しい問題に対していくつかのアプローチがあると思えますが、その中でも有力なものの1つが、「科学技術コンセンサス会議」の手法でしょう。
以下の記録には、その手法の背景、運用方法、意義、日本での実施にあたっての留意点などがわかりやすくまとめられていますので、多くの人にコンセンサス会議を知るための手引きとして役立てていただけるのではないかと思います。さらに詳しく知りたい方のために参考文献として、次の2点を挙げておきます。(上田)
●小林傳司「コンセンサス会議という実験」『科学』第69巻3号(3月号)1999年
●鏑木孝昭「市民参加による政策決定の可能性コンセンサス会議とフューチャーサーチ」『リサイクル文化』第64号2001年
私の本職は科学技術に非常に関連している石川島播磨重工業であるが、コンセンサス会議と会社は全然関係ない。第二回の日本でのコンセンサス会議のテーマがインターネットであり参加を要請されたことがきっかけである。インターネットというのは人が非常に繋がり易い。自然エネルギー法案のしかけ人の飯田哲也さんたちと、市民参加がないと環境問題は全然解決しないという考えを持っている人を集めてメーリングリストを作った。そこへ東京電機大学の若松先生が入っていらっしゃったのである。もともと朝日の社説や日経の社説でコンセンサス会議は非常に面白いと思っていたので喜んで参加した。今日は少し広い文脈で話を出来ればと思う。コンセンサス会議以外のテクノロジー・アセスメント=TAの問題や、その他の社会参加のシステム・手法や、手法以外の実際的にどうやって政策に生かすかなど色々な話を広くできればと思う。
まず肩書きから言うと「科学技術の市民参加を考える会」は若松氏が代表だが、この会は日本で実験的にコンセンサス会議を行ったメンバーを中心にたちあげた。二回実験をやったので、次は実社会適用と言うことでNPOを作ることにした。若松先生が代表となり私が運営委員と事務局長をしている。
■科学技術への市民参加
まず最初に科学技術の市民参加の全般についていうと、原発にしろ環境ホルモンにしろテクノロジーの社会的なアクセプタンス即ち受容に関しては1960年代から欧米を中心に問題認識を持って色々な試みがされている。日本は60年代から70年代にかけてTAをやろうと科学技術庁が中心で動いたが制度としてのTAの導入には失敗し、制度もなければ組織もない。アメリカやヨーロッパ中心に環境とか色々な問題があり、60年代には『沈黙の春』等の時代だから、アセスメントをきちんとやらねばいけないということでやってきた。その時にどうしても市民が参加する必要がある。何故かと言うと民主主義の社会ではどのような課題であっても基本的に市民が参加すべきだからである。影響を受けるのもまた市民である。参加には色々なやりかたがあるが、その前に、アカウンタビリティ=説明責任が、物事を進めていく側の企業・行政・議会等全てにあることを強調したい。分かろうが分かるまいが説明しなければいけない、そういう説明責任があるはずなのだ。出来るだけ分かるようにすべきだが、分からないとしても説明する努力をすることが必須なのである。市民参加の方法は多様な方法があり、その一つを概略説明したとしても十ページくらいになってしまうくらい色々な手法がある。それに関して逐一研究をする必要はあまり感じない。市民参加の手法の数は、極端に言えば各コーデイネータやコンサルタントの数だけあると言ってもよいくらいだからである。強調しておきたいのは、ある共通認識を持たないとこういう手法は広まらないということである。それは、「間接民主主義は限界がきている」という認識である。最近、住民で討議をすれば原発反対なのに地方議会でやると原発賛成になるということがよくある。間接民主主義は実はかなり制度疲労をおこしているのではないか。しかしそういっても民主主義以上に人間がまともに動けるものはないのだということも共通認識ではないか。今でも立憲君主制がよいと言う人はいる。賢人政治がいいと言う人もいるが基本的には民主主義だ。間接民主主義が制度疲労しているとすればそれを補完する直接民主主義に近い様式をいろんな形で取り込んでくる必要がある。その中で特にコンセンサス会議やフューチャー・サーチなど幾つかの手法が重要になってくる。しかし、手法だけでは何も進まない。例えば省庁がパブリックコメントを求めている時、それに対して参加するとか、議員を一人掴まえてきて議会にたいして陳情するなど色々な手法が直接民主主義にはある。その中で特に効果があろうかと思っているからこのコンセンサス会議を私はしているのであるが、その他の陳情や座りこみ・ストライキなどいろんな手法があることを含めてその文脈の中の一つとしてコンセンサス会議があると捉えないとうまくいかないのである。逆に言えば手法だけを研究している人には全然興味はなく、議論だけしてもなにも面白いことはないと経験的によく知っている。
■デンマークに生まれたコンセンサス会議
ではコンセンサス会議の説明に入るが、まず何度も言うようにテクノロジーが高度化して、社会に入り込んだ場合に非常に予想がつかないことがある。それに対してどうしても評価ということが必要で、1986年にデンマークで試みが始まっている。その手法はCDC即ちコンセンサス・デベロップメント・カンファレンス(consensus Development Conference)を手本として行われた。CDCの手法で一番使われたのは医療である。医療の分野である研究を進めようとした時、こんな事ができるかも知れないが、こんな副作用があるかも知れないという場合、研究者がその期待可能性やリスクをできるかぎりオープンにして評価してもらう。CDCの場合には評価する人は医者である。最先端の研究者ではない普通の医者、開業医であるとか病院の医者、専門の異なる大学教授のような、専門家ではあるが最先端の研究はしていない人、すなわち最先端の次に見なければいけない人が評価するのが基本になっている。面白いのはデンマークでは市民を評価者として選んだことだ。米国にも陪審員制度があって市民が入る制度がある。デンマークではDBT(Danish Board of Technology)という組織がこれを開発をした。最初は議会の下の機関であったが今は独立している。どのような対象に対してやってきたかというと遺伝子操作、ヒトゲノム、大気汚染、電子身分証明書、環境と食糧、化学汚染とかいうものだ。日本はTAの導入に失敗しているが、欧米ではTAを担当する組織がある。DBTのようにものすごくしっかりした組織の場合もあるし、そこまでの組織でない場合もあるが、大体議会の下にあったり行政の下にある組織がやっている。DBTも法律によってできている。
■方法としてのコンセンサス会議
ではコンセンサス会議はどういうものかのを言葉で説明をする。これから社会で用いられようとする技術、遺伝子操作などについて評価するのに、例えばNPOの代表ばかりを集めるのも一つのやりかたではあるが、それでは市民の視点がなかなか出てこない。あるいは有識者を集めるとか地域の代表を集めるなど、一般的に人格者と言われる人を集めるとこれは間接民主主義と同じ道を必ず辿る。そこで多様な属性の市民に課題が問われなければならない。多様な市民が自由に議論できる人数ということで、15人とか18人、少ないと12人の場合もある。まず市民が様々な専門家から知識提供あるいは意見表明を受ける。ここでポイントになるのは知識だけでなく、原発賛成、原発反対のような意見表明も受ける。原発反対の人はそれを信じているが、それは事実ではなく意見である。コンセンサス会議では意見の専門家もいて専門家として扱われる。知識提供と意見表明を受け、討論をしてコンセンサスを作り提言する。この18人くらいの市民は議会代表でも何でもない。だからこそこれを広く公表する。多様な属性の市民が集まって議論してどのようにこの問題を理解して、どういう議論をして、どういう提言をするに到ったかというプロセスをできる限り公開する。結論だけではあまり意味がない。できるだけプロセスも公開する。マスコミはもちろんであるが、デンマークでは主な企業にも送られるし、議員にも国家の行政機関にも全部送られる。つまり社会の指導的立場にある人達はこの市民の結論をきちんと受け止めなければならない。そのうえで行動することが求められれば、コンセンサスは社会に影響を与えていくのである。
■コンセンサス会議の担い手
それで、どんなアクター(担い手)が会議に登場するかを説明する。まず運営主体だが、例えば農林水産省が会議をしたいとする。遺伝子組み替え技術を推進しようとしているがその技術にかなり不安がある、その不安を払拭するためにはどうしたらよいかという思いがある。そう農水産省がそれを推進したいから市民をそのようにもっていこうじゃないか、と言う風に考えて会議を運営したらコンセンサス会議はおしまいだ。主催者はある政治的意図がある場合もあるが、運営側は基本的にオープンでなければならないし透明で公平でなければならない。つまり主催者と運営側は立場が異なる。主催者は政治家であったり行政だったりするわけだから政治的意図があってもしようがないが、会議を運営する側はそうならないように最大限の努力をしなければならない。去年日本の行政機関は二回コンセンサス会議をしたが、片方は運営の透明性にほぼ成功したが、片方は失敗したと言っていいと思う。後で説明するが非常に難しい問題がおきた。次に市民パネルが十何人か選ばれる。また専門家パネルが選ばれるが、知識の専門家だけでなく意見の専門家も専門家として扱う。ある特定の課題について強い意見をもっている市民は市民パネルに入れない。貴方はこういう意見を持っていてそこから一歩も出る気はありませんねと判断されたら市民パネルからオミットされる。途中で除名されることもある。だから運営主体は公立性が求められる。ファシリテイターという会議全体を見る人がいるわけだが、イギリスの例だとこの人を監査する人が三人くらいいて、かつ市民側が指名した監査人もいるということまでやったことがある。公平性・透明性を図るのに最大限の努力をしているのである。
デンマークでは国民に番号が付いているから、コンセンサス会議に参加するかしないかを、1500人無作為抽出してドーンと案内状を送る。そうすると大体150人くらいが「出る」と返答する。その中から年齢や性別等からなるだけバラバラになるように配慮して15人くらい選ぶ。日本の場合はまだ背番号制は反対があり、そこまでできないので、募集をして来た人から選抜してやる。理想はデンマーク方式だと思う。自分から来る気がある人、すなわち積極的な人だけを集めても一般市民の意見にならないという声もあるが、現実には本当に興味も何も無い人を集めても何も出来ないであろう。
次に、努力・圧力というものに触れたい。コンセンサス会議の場合は必ずしも合意がなければならないということはない。少数意見はどうしても出る。短い期間の間に合意が得られるように最大限圧力をかけた結果がこれであるということが重要である。たとえば専門家パネルが説明しても市民が十分に判断する知識がつくということはあり得ない。各々の理解度はみんな違う。違う中で最大限努力して出したのがこれですというプロセスが非常に重要なのである。満点がないからこそやるわけであるから、それを広く公開していろんな各社会・各層に理解していただいて、とりわけ指導的立場の方には理解していただくことが重要である。
■コンセンサス会議の課題
さて、課題としてまず「運営主体の正当性」がある。必ず主催者の他に運営委会をつくる。運営委員会は透明な運営をしなければならない。であるから運営委員を選ぶ時には、例えば原発なら推進派と反対派は必ずいれる。運営委員会の委員長は特定の利益に関係のない人間でなければならない。例えば、原発では石川島播磨の人間が運営委員長になることはあり得ない。
市民パネルをどう選ぶかも大きな課題であり、やはり年齢・職業・性別といったものがなるべくバラけるようするわけである。「最大限にバラけたか?」という検証は事実上不可能なので、どう選んだかということを運営委員会がオープンにしておくことは最低限必要である。例えば農水省のコンセンサス会議では、まず農業従事者は必ず1人入れる。残りは全国を4つくらいのブロックに分け、年代も四つくらいに分けて、あと性別でわけた。職業では分けなかったが、400人あまりの応募者を4×2×2で16のブロックに分けた。ブロックによって人数はまちまちである。10人のブロックもあれば、30人のブロックもある。60歳以上男性などはもっとも大きなブロックになる。80人くらいから一人を選んだ。20歳代の男性になると一人もいないブロックもある。その人数の異なるブロックから1人ずつ選び18人を選んだ。繰り返しになるが、運営委員会として方針を決めて、その方針を公開し、意見をもらって、抽選はできれば証人がいるところでやる……といった徹底的に公開性・透明性を確保して選抜することが必要なのである。
そうやって選んだからといって、市民パネルは議会のような代表性を持っているわけではない。しかし、当事者性はある。科学技術がなんらかの形で社会に入り込んできて影響を与え始めると、それを一番受けるのは一般市民である。科学者とかえらい人はむしろ受けない方になってしまう。一般市民から出てくる人たちは、当事者性という意味で物事を言う権利もあるし義務もあると考える。代表性はなくてもよい。当事者性は十分にあって、この中からあるロジックで公平に透明に選ばれた人たちが議論して、それでとりあえず十分だと考えるわけである。
したがって、この市民パネルの結論をどう採用するかというのはそれぞれに任せるわけである。議会人・行政人に任せるわけであるが、例えばデンマークのように定着しているところでは、こういう真摯な意見を無視するような人は選挙で選ばれない。日本では成熟度がまだ低いかなと思う。
ここで少し政治の成熟度の話をしたい。デンマークのお隣スウェーデンの例で話す。デンマークも似たような状況のはずである。日本の場合は密室のなんとか審議会をやっているが、スウェーデンの場合ある政策案が出たら、それを全セクターに出す。NGO、女性、労働者のセクターとかに必ず意見を求める。かつ、隣国にも出す。スウェーデンの場合、デンマークとかオランダあたりにも出す。EUにも出す。そこで意見を求めてから最終的に決める。
もうひとつは日本と違って、スウェーデンの場合、お願いするのは全部中央の内閣である。つまり環境庁とか通産省として意見を聞くことは基本的にない。全部政府の責任として聞いている。そういう風な成熟がやはりある。
■世界への広がり
この会議は80年代、86、87年に始まったが、90年ごろからオランダにも出てきている。オランダ、ノルウェー、イギリス、フランス、スイス、オーストリア、アフリカ、ニュージーランド、オーストラリア、日本、韓国。テーマとしては最初は遺伝子操作でやるのが多い。やはり社会的合意が難しいのだろう。今、13か14ケ国で使っている。
日本もやっと中央官庁が採用した。韓国かアメリカのどちらかが民間団体であったが、あとは大体行政か議会が採用している。ただし、制度として定着しているデンマークのような国はまだ少ない。たとえばデンマークにはDBTがある。DBTはいろんな手法で市民参加をやっている。シナリオワークショップ、コンセンサス会議、フューチャーサーチ、あとはヴォーティング・コンファレンスとかある。そのなかでいろんなことを見ながら、これはこの手法がよい、これはこの手法がよいというふうにやっているのはデンマークとオランダである。それ以外は、そうきちっとやっているわけではない。日本と同じである。これこれこういう政策課題、遺伝子操作とかヒトゲノムとかがあって、そのために使おうというレベルである。
ちなみにわれわれの「科学技術への市民参加を考える市民の会」というのは、こういう社会参加の手法を制度として定着させることが目標である。コンセンサス会議を開くだけではなくて、それを市民参加の道具・しくみとして政策意思決定制度の中に入れ込んでゆくことが目的である。であるから政治家との付き合いもあるし、党に対して説得することもある。
■日本におけるコンセンサス会議の試み
日本では、98年と99年に1回ずつ実験的試みをした。実験的とはどういうことかというと、コンセンサス会議というのは基本的には主催者がいるものである。農水省であったり、DBTであったり、アメリカならばNIHであったり。しかし、主催者なしであった。自分たちの研究という形でやった。東京電機大学を中心として2回行なった。しかも、第1回目はコンセンサス会議と言えるかどうか微妙なレベルであった。あるステップを踏んやるわけだが、時間の関係で重要なステップを省略していた。私の目から見ると第2回目が第1回目だったと理解している。
第2回の仕組みをもう少し。有志である「科学技術への市民参加研究会」というものがあり、5〜6人の有志が主催者となってやった。インターネットで99年5月から7月にかけて市民会議をやり、9月4日に成果をシンポジウムで発表した。
仕組みは基本的に4セクションある。一番最初の会議、第1回準備会合で基礎知識・問題背景を学ぶということで、基本的なプレゼンテーションをおこなう。例えば原発で言えば、原発の科学的専門家によるリスク評価があり、賛成派がいて反対派がいて全部で3人くらい。骨格というかおおまかなプレゼンテーションを3人くらいでおこなう。それは全体像がわかる人間だけのほうが望ましい。市民パネルは質問をして理解を深めるわけである。
そして2日目、第2回準備会合では、98年にやった時にはこれがなかったのだが、「鍵となる質問」というのを作る。専門家がいろんなプレゼンテーションをやったときに、市民としてより問題や背景を理解して議論をするためになにを聞けばいいのか、ということを自分たちで決める。これは一番最後にコンセンサスをやるときの練習にもなるし、非常に重要なポイントである。
この鍵となる質問がつまらない質問だと、3日目の本会議が1日目と同じものになってしまう。だから、鍵となる質問というのは問題を深くえぐるところまで仕上げないといけないし、仕上げないと面白いコンセンサスは出てこない。半日かけてやる。市民パネルの議論では、ファシリテーターという最初から最後まで面倒を見る人を一人決める。ただし、ファシリテーターは一番最初に必ず言わなければならないことがある。「私がいらなければ追い出して結構です」ということを必ず言う。本当に追い出されたことがある。イギリスで。市民だけで議論ができればファシリテーターはいらないのである。
本会議の話をする。第1回準備会合では専門家でもなるべく大まかな話ができる人を呼んでくるわけだが、本会議では、「鍵となる質問」に答えられる人が必要であり、運営委員会がピックアップする。
2番目は最低10人必要であろう。なぜかというと、多様な視点を市民側に提供する必要があるからである。2人で大丈夫だと思っても、2人だけでしゃべらせると市民はどうしてもどちらかに寄ってしまう。むしろバラエティーに富んで10人にしゃべらせる。そのときにはほとんど専門的知識がない意見だけの専門家、例えば農水の場合だったら、農家の人が来て素朴に話をするということもある。農業という専門のなかで遺伝子をこういうふうに見ていて、こんな意見があって、皆こんなふうに思っていると言うこともありえる。準備会合でしゃべった人も来てもらってもよいが、そのときも役割を決めて、なるべく市民が多様な意見を聞くことができるように設定をする。それで、入れ替わり立ち代り10人が説明をして、その後で「鍵となる質問」に対して答えていただいたのかという評価(確認)をする。大丈夫となったら第1日目が終わる。
二回目の時は24日と31日はばらばらにやったが、12のプレゼンを受けて、市民側が質問にきちんと答えて貰ったかのレヴューまですると半日では終わらない。我々が考えているのは泊りだ。夜のセッションで本当に答えて貰ったかを確認して、一番最後に専門家と酒でも飲みながら確認するまでやって第一日を終わり、翌日の朝から三時まで市民パネラーだけでコンセンサスをつくるという形が望ましいと考えている。この時ファシリテーターは同席する。専門家もいてもかまわないのだが意見を言ってはならない。こういう仕組みで最終的に文章にまためる。
農水の場合は市民がまとめたが、第2回の実験であるインターネットのときは事務局が最終的にまとめた。まとめを事務局が作って、一回くらい修正は入る。文章化は難しく時間が必要である。
■NPO設立と行政機関での初の実施
仕組みの話はとりあえず終わった。二回の実験のあと、99年の11月にNPOを作った。研究者集団の社会的実験は終わり、後は社会適用だということである。今会員が40人くらいのグループでやっている。会費は約3千円である。NPO法にのっとったものではなく、広い意味のNPOだ。NPO法人格をとる条件はもっているが、とってもメリットはあまりない。幸いなことに去年初めて行政機関が実施をした。農作物の遺伝子組み替えということで農水省がやった。ヒトゲノム研究ということで科学技術庁がやった。成功・失敗の評価は色々ある。コンセンサス会議がちゃんと出来たかと言えば、農水省のは間違いなく合格点だ。科技術庁は公開性とか公平性で色々問題が残った。具体的にいうと、スポンサーが科学技術庁で、三井情報開発という会社が受け、そこが非常に透明性のない運営をした。三井情報開発は運営委員会の他に企画運営委員会があって若松が長をしていたが、こちらのメンバーから入っていた石川とともに二人とも企画運営委員会を辞任した。科学技術庁の問題か三井情報開発の問題かは今のところ評価していない。遺伝子組み替えの方の運営は、農林水産先端技術還元研究センターという遺伝子組み替えを振興する役目を持つところであったにもかかわらず、かなり透明性をもってやってくれた。科学技術庁の方は我々から見て顔の見える人がいなかった。主催者側に本当にやりたいと思う人がいなかったように思える。農水省の方は本当に悩んでいる人がいて、その人が一生懸命に走って予算をとった。そういう形でないとなかなか物事がうまくいかない。
科技庁の問題点をさらに言えば、議論の時間が短かった。我々の紹介で議論をひっぱったファシリテーターも非常にしんどいと言っていた。議論のうえドキュメント化するまでを3、4時間でやらされたそうだ。率直に言って、出来るはずがない。合意の文章化まで4時間でやれというとんでもないスケジュールに対して企画運営委員会がものを言えなかったようだ。私は企画運営委員ではなかったので断言はできないが、非常にやりづらかったと聞いている。基本は透明性を得るためには運営委員会が決定権を一番持っていなければならないが、科技庁の場合は事務局の三井情報開発が持っていた。あくまでこれは実験だとよく言っていた。実験ではある程度あっちの方とかこっちの方へ持っていくことがあっても良いのだろうと思っていたのであろう。農水省は多分今年もやれると思う。
一点だけ補足すると、農水のほうもみんなが賛成というわけでなく、人体の話ではなく環境への影響となってくると所管省庁が違う。でてきたらどうするんだ? という議論があったようだ。でも関係者同志で何とかしましょうと話し合って進めてきたとのこと。そういうことを担当者同志が話し合っていれば耳に入ってくるが、科学技術庁の方では話が入ってこなかったと言うことは、真摯に話し合っていなかったのかもしれない。
■コンセンサス会議の使い方
コンセンサス会議は、正解のない問題を議論するのに向いている。たいていの社会的問題は関係者や意見を持っている人が集まってとことんやればだいたいできるものが多い。まじめにやれば円卓会議でたいていはできる。今は結論が出ていない問題というのは利害関係ゆえに出てないだけであり、そういう問題はフューチャー・サーチは得意だ。フューチャー・サーチは関連するセクターから同人数の人間を出してもらって、議論するという枠組みをもっている。理想的には8人を8セクターから。例えばデンマークでやった交通会議では自動車メーカー、役所、環境NGO、車に乗る市民、車に乗らない市民というセクターにわけて6人ずつ集めた。最終的になんらかの合意をして、行動を求める。コンセンサス会議とちがって行動計画を作る。利害関係のある人間はみんな集まるんだから、行動計画をつくるのがミソ。「必ずやりましょう」というわけである。しくみはこうだ。一番最初に、その問題に関連して過去どうだったか共有する。過去こんな話があった。こういう問題もあったね…と。その次に、現状分析する。今はこんなひどい。我々は、袋小路に入っているじゃないか、と。ずうーと落ち込んでいくわけである。面白いのは、この現状分析したところから解決の処方箋を求める議論をスタートしない。それは不可能である。そこで、じゃあ我々は20年後にどうなっていたいのかということを話し合い、共通点を見出して共有する。それは楽しい作業だ。それに向かって、いまどうするかというと、できないこともいっぱいあるわけだが、できることもかなりあるはずだ。立場が違ってもなにかあるのだ。原発賛成・反対は絶対交わらないということはおいておいて、今はこれとこれはやらなきゃいけないね、われわれのスタンスを確認するためにもコミュニケーションはこういうことしておかなきゃいけないし、研究はこれはやっておかないと結論は出ませんね、という言う話があるわけだ。そういう行動計画を苦心して作っていく。これがフューチャー・サーチだ。利害関係がはっきりしているものに向いている。
さきほど現状分析したところから20年後という話があったが、これはバックキャスティングという手法だ。フューチャー・サーチだけではなくていろいろなことに使われている。現状をもとに決めようとするからどうしても動けない。そうではなく、先を見て、どういう理想像があるかを見て、そこから引っぱってきて、現時点での手段を考える。シナリオ・ワークショップもバックキャスティングを使う。例えば東京の未来を考えたときに、人口がいま1000万いる。人口を少なくしたいという意見もあれば、東京は人口集中がエネルギーだから集中型でいきたいね、という意見もある。住むところは便利でテクノロジーがあるのがいい、と利便性を大事にする人もいるし、住むところだからゆったりしたいね、というゆったり性を大事にしたい人もいる。こういう軸を作って、利便性が高く人口が少ないとこういうシナリオになる、集中と利便性だとこういうシナリオになる、というシナリオをあらかじめ専門家が書く。集中vs人口少、利便性vsゆったり性という軸があるので4つのシナリオになる。4つのシナリオを批判・評価しつつ将来ビジョンを議論するのがシナリオ・ワークショップである。実はこれがいま一番使われている。使いやすいのである。コンセンサス会議やフューチャー・サーチに比べると手軽にできる。今ヨーロッパでは一番流行っている。
円卓会議というのは皆で一生懸命やればだいたい見えてくるし、コンセンサスを得るための手法もいろいろあるし、地方議会、陳情、パブリックコメント、いろいろなことがある。だから、コンセンサス会議もどういう意図でどういうふうに使いたいかというのをきっちりと認識しないと絶対に使い方を間違える。割り切っていえば、手法としてはコンセンサス会議とフューチャー・サーチとシナリオ・ワークショップがあればあとはいらないと思う。もっと新しいヴォーティング・コンファレンスとか科学的ワークショップとかもできているが。しかも日本ではこういうことをやってゆこうという気運がないので、あまりばらばらとやるのではなく、いくつかの手法を何度も何度もいろんな角度でやって経験を積むのが重要だと思う。
■様々なバックグラウンドが必要
最後に、私のバックグラウンドを話しておく。神奈川情報ボランティアメーリングリストというのがあってこれは地域社会のQOL(Quality of Life)を高めるために緩やかにつながろうというメーリングリスト。こういう動きはいろんなところに出ている。陳情するだけが能じゃない。ある程度地域の人とゆるやかに集まっていろんな議論をしようという基礎的なところをきちっとやらないとこういう手法もいきてこない。神奈川で100人ぐらいがメーリングリストに入っていて、気長にいろんな話をしている。これがひとつ。あと、ボランティア関係も。ボランティアといってもインターネットを使って社会的な活動をするという意味でのボランティアの本を書いている。あと、ナチュラルステップというスウェーデンの環境の手法を日本で紹介するという活動をしていてこれも本を書いた。『北欧スタイル快適エコ生活のすすめ』。あと情報公開も重要なので民主党と組んでやってる。今言ったのは宣伝という意味ではなくて、こういうレベルのバックグラウンドの中で使わないと手法というのはうまく使えないんですよというのが言いたかった。
■質疑応答
日本の現状における戦略、可能性
【質問・意見】
北欧みたいに科学技術に限らずいろんなところで市民参加というのが風土として根付いていて、日常的にそういうことが行われているときに科学技術についてのコンセンサス会議というのは成り立つと思うが、日本のようにあらゆる政策が密室で決まっていて、省庁の審議会で実質的な議論が行われて議会がそれをしゃんしゃんで決めるている状況で、こういうことをやるとまさに科技庁が審議会のかわりというかアリバイとして使う。その日本の社会で市民参加というのを考えるときに、どういう戦略とか道筋をとったら良いのか。
鏑木●農水の方は、基本的に行政の中の人間がどうしてもこういうことをやらないと駄目だという意識をものすごく持っていた。世界的に見ると、食糧も土壌も淡水も今世紀の半ばに決定的に不足し、枯渇するという問題があり、その中の有効な手法として遺伝子組み換えがあって、万能でないけれども、どうしても取りくまなきゃいけないという強い問題意識を持っている人がいた。だけど理解が得られていない。そういうときに、なんとかしなきゃいけないていうのがあって、その人は確信的に進めようと思っているけどそれはちょっとおいておいて、民意を得るためにこういう手法は必要だと思っていて実施した。今の日本社会ではそういう人が中央官庁にいて初めて成り立つのだろう。それは構わない。一本釣で何人かにやれやれと私は言っている。そういうレベルで実績を積み重ねることが重要。
【質問・意見】
どのテーマを選ぶか、それについて誰が提起してコンセンサス会議に持っていくのかという初期段階について。携帯電話についてNTTがやるかといえばやらないだろう。社会の側に市民のレベルで考えたいという潜在的欲求と、技術を進める企業や国が接近してくればできる気運も出てくるだろうが、それがあまりにも離れていたり市民が問題の所在について知らなさすぎる場合誰が仕掛けていくのか?
【質問・意見】
NPOのポリティカル・アクションのツールとしてやれないのか。例えば、電磁波の問題に取り組んでいる土曜講座のメンバーが政策に反映させるために主催者となってコンセンサス会議をやる。
鏑木●その問題の認識を市民に定着させるのはNPOの役割だが、NPOがコンセンサス会議の主催者になるのは難しいだろう。ひとつは金と時間の問題。もうひとつはNPOが認知されていないため、説得する力を持てないだろう。
議会との関係
【質問・意見】
コンセンサス会議とか市民参加の考え方は、わくわくするし、社会の意志決定に手が届くような感じで、美しい話だな意味があることだとは思いながらも、議会との関係をどういうふうに整理したらいいのかというのがずっとある。議会政治がまっとうに機能していればこういう手法は必要ないのか?議員がまっとうな市民感覚を持って良心と勉強に基づいて議会に参加できるのであれば、その議員に市民は働きかければそれでいいという道筋が制度上あるわけだから。それとも、議会がまっとうでないから、こういう手法をとりましょうというものなのか?
鏑木●まず、議会が真面目にやっていないというのと、真面目にやっても能力的にこれ以上無理だというレベルを区別しなければならない。スウェーデンやデンマークでは日本の何倍も議会人は市民の代表だ。それでも議会人レベルでは判断ができない問題がある。それでコンセンサス会議やフューチャー・サーチが出てきている。まっとうなところから出てきている。だから必ず必要だと思う。市民感覚だけでは考えられない問題もある。
政策・意志決定への効果
【質問・意見】
コンセンサス会議の決定は権威化して、社会の意志決定に結びつくのか?
鏑木●やってすぐできることはやっている。デンマークでは食品に放射能照射しないというのはすぐやっ
た。利害関係がでてくるものは、市民コンセンサスが出来ても政策にすぐには結びつかない。市民の結論が出てすぐできるような問題はコンセンサス会議に向いてない。すぐに政策に反映することはそう多くはない。
【質問・意見】
コンセンサス会議は、抽出された市民が一定の合意見解をもち、それを社会に位置付けようというというシステムだというところに意味があると思う。出た結論を直接政策に反映できなくても、あなたは市民の合意を無視するのかと迫るものとして意味がある。
コンセンサス会議運営上の諸問題
【質問・意見】
テーマは必ず新しい技術にたいしてか?既存のものは?
鏑木●既存もそうだし、デンマークでは例えば遺伝子操作研究の会議を一回だけやって止めたことがある。それをもう一回やって産業の問題とかで復活させたことがある。つまり新しいからではなく今トピックになり課題となっているものは古いものでもやる。
【質問・意見】
市民パネルの選定方法について。特定の意見を強く持つ人は市民全体から無作為抽出で選んだらある確率で出てくる人かもしれない。その人を排除してしまうというのは、あくまでも議事運営の為に必要だからするのか?
鏑木●その人は専門家の方にまわってもらう。コンセンサス会議はどちらかと言うと結論が難しい問題の会議である。結論が決まっている事に対してやるのならこのような構成をとらない。例えばオゾン層がフロンで破壊されているというように原因が分かっているような問題であれば、業界団体が集まったり科学者が集まってそれぞれセクター単位のせめぎ合いをやればよい。これは結論が分からないことをやろうとしているから、結論を持ってる人ではまずい。だからその人は明確に最初にオミットする。
【質問・意見】
鍵となる質問として具体的には何が出されたか?
鏑木●遺伝子の方では、例えば「遺伝子組み替えと品種改良の違いはなにか」、「遺伝子組み替え農作物を長期間にわたって、食品としてもしくは飼料を経由して摂取し続けることによって、摂取した人間および後世代にわたる人体への影響はないのか」、「遺伝子組み替えの農作物によって被害を被ったときに誰が責任を負うべきなのか」、「家畜の餌、藁など遺伝子組み替え農作物を輸入せずに自給することができるのか」などだ。
【質問・意見】
専門家とのセッションが終わって二日目の提言をまとめる段階で、もっと聞きたいとの意見が出てきたときに、近くにいる専門家がいたら聞くのもルール違反なのか。
鏑木●そこは市民次第だが5分だけ話を聞かせてくれと言って、良いよとなったら話をきく。ただ現実の問題としてはそのようなことは無いように思える。コンセンサスを得るので手いっぱいになる。
【質問・意見】
本会議の一日目と二日目で一週間も空けると、当初思っていた意見と違うものが成熟してしまうのでは。
鏑木●それはある。一週間ゆっくり考えたいとの意見もあるし、一週間あけたらいろんな考えが頭にうかんでしまって議論しづらくなるとの意見もあった。デンマークの場合、準備会合を一泊二日でやって本会議をやる。三泊四日でシンポジウムまで含めた本会議をするやり方もある。三泊四日というのは日本では殆ど不可能だ。それはケースバイケースで運営委員会が考えればいいことである。
【質問・意見】
専門家に誰も答えられそうにない質問が出てくることもあるか?
鏑木●専門家は分からなければ私はこう思うという答えをすれば良い。専門家の意見が割れていればそれを市民側も考える。答のレベルが低ければそんなレベルかということも分かるからそれでよい。
【質問・意見】
有限の時間という話があったが、ある程度、議論を尽くすというのが大事なのか、制約しているというところに重みがあるのか。
鏑木●両方だ。日程は経験的にこのくらいあればいいと設定しているだけ。何百時間とっても絶対満足しない。疲れて議論したくなくなるまでやればよい。
【質問・意見】
主催者には議論したいポイントがあると思うが、それを議論の流れにのせることはやっていいことなのか。それはタイトルの設定に関わるが、タイトルは広くとるべきなのか、恣意性が入ったものもありなのか?インターネットによる教育への影響とかにしては駄目なのか?
鏑木●主催者がそれを議論したいのであればすればよい。自分たちで決められないから恣意性をはずすのである。真面目に考えていれば、心配いらない。
【質問・意見】
デンマークの場合は、参加した場合に制度的なバックアップがあるのか。
鏑木●休業保障があると聞いている。出勤扱いになるとか。
【質問・意見】
プロセスは公開することの重要性と同時にプロセスを分析することに意味があるのではないか。その分のフォローはしているか。
鏑木●今回はプロセスの公開度が低かった。我々としては参加した方々にもう一回集まってもらいどういうプロセスだったかを聞いて、主催者による評価ではなく外部評価も入れ、それを公開したい。だがまだそこまでい緒っていない。
【質問・意見】
国民の知る権利を持たせていく方向と国民がそれを使っていく方向がある。後者でいえば、自分は本当t何が知りたくって、知ったことをどう伝えてゆくか、それを自分が主体的に参加意識を持ってやっていくことが全体に広がっていかないとなんともいかないのでは。
鏑木●私はそこは意見が違う。ヨーロッパの人たちは環境について一生懸命やっているといっても、環境の知識なんかなく興味もないということも多い。細かい知識についてはNPOが担っている。意識を持っている人はNPOを作って下さいと私は言っている。
■市民パネル経験者の声(会場から)
私はコンセンサス会議とは何かを知りたくてゲノム問題の方の市民パネルに出たが、私が言ったたことに対しての何の回答もなかった。出た周りの人たちは非常に純粋で、私たちにできることは何かと非常に熱心だったが、最後になってこれってただの実験だったのね、騙されたわね、と云っていた。皆馬鹿にされた感じ。悪いイメージがある。
日本人の血液をコンピューターにかけて癌の遺伝性等の研究を進めるために科技庁は文句を言われないように形だけ作りたかったのであろう。ホームページでパブリックコメントを集めるような短い期間でちょっと意見を集めて形だけを作ったという印象だった。彼らは生命倫理の問題を真剣に考えていないと思う。
科技庁のコンセンサス会議の際、私は市民パネルとして確信犯的に専門家を素人っぽい質問で困らせようとした。専門家パネルの先生は「私は素人はこんなに知らないのかと初めて知った」と真摯に答えてくれたのはよかった。専門家を教育する場としての意味があるでは。
その他
【質問・意見】
専門家でも全体像がわかるのだろうか?専門家は全体像が分からないから専門家というのでは?(爆笑)
鏑木●それは正しい意見だが……。比較的だ。やはりある程度全体像を示す必要があり適任者もいる。遺伝子治療だったら何冊も本を書いたらいいというのではないが……評判というものがある。偉い先生だけど、市民とコミュニケーションできないというのを大体みんな知っている。やはり人脈のある人が運営委員にいないと成り立たないところがある。業界の土地勘のある人が一人いないと難しい。
【質問・意見】
今までに、個々のイッシューではなく科学技術そのものについてのコンセンサス会議みたいのはあったのか?そういうところをやりたいと思っている。個人的に。
鏑木●ないだろう。コンセンサス会議はある科学技術の社会側のアクセプタンスを考えるのに向いている。 そのものを論じる手法とは違うんじゃないのか。それならシナリオワークショップの方が近いのでは。
【質問・意見】
コンセンサスができたものに対して違う政策をする場合は、それに対するアカウンタビリティは果たされるのか?
鏑木●果たされることが多いと思う。逆に、欧米の企業で、デンマークだと、コンセンサス会議の結論をわが社はこのように捉えてこのような施策を打ったということがアニュアルレポートに書かれたりする。
【質問・意見】
コンセンサス会議は市民向けの啓蒙ではなく、専門家の教育の場だ。専門家の間で異なる視点を学びあうこともある。主催者側のスタッフであるの専門家も眼を開かれることがある。
【質問・意見】
コンセンサス会議そのものには啓蒙的意味がないとしても日本でやる場合、啓蒙的効果があると思う。