日本型サイエンスショップを構想する

上田昌文

1 生活者と科学技術のかかわり

 市民科学研究室は、科学技術にかかわる様々な社会問題の解決のために、市民の問題認識力を高め、必要ならばまだ誰も行っていないような調査や研究を市民自身が発案し実施していく、という活動を続けています。そうした活動に 10年ほど携わってきた経験をふまえて、「市民(生活者)のための科学技術」とみなしえる活動はいかに成立するのかを、サイエンスショップのような活動がなぜ必要でいかに創り出すことができるのかという点を見据えながら、私見を述べてみます。とりわけ、科学技術の様々なリスクにからんで専門家の役割が問い直されている現状をふまえ、一般市民(生活者)から信頼と支援を得るには研究開発がどんな条件を満たしていなければならないかを考えてみます。

  「生活者のための科学技術」というとき、ではいったいその両者はどんなかかわりを持っているのかを、大まかにでもつかむ必要があります。第一は「生活の必要としての科学技術」。意識するにしろしないにしろ、もうそれなくしては生活が成り立たない必須要素となっている技術です(エネルギー関連、食品加工、交通、医療など)。第二は「生活をよりよくする手段としての科学技術」。これがあれば、今より生活が楽で便利になる、今まで満たせなかった欲望を満たせる(あるいは技術そのものがそうした欲望を喚起する)技術です(ユビキタス社会、生殖医療、ナノテクノロジーなど)。もちろん、第一と第二は明確に線引きでないものであり、たとえば携帯電話などは両方の属性を持つでしょう。第三は「生活への脅威としての科学技術」。健康や環境に対する種々のリスク、過度の技術化・人工化がもたらす自然の喪失といった側面です。これには、有害化学物質や放射性物質による汚染、遺伝子組み換え食品など多種多様なリスク(有害性の確定しないグレイゾーンのものも含めて)があります。そして第四が「生活の中の楽しみとしての科学技術」。ノーベル賞を受けた研究がなぜそれに値するのかを一般の人がある程度理解できれば、それに越したことはないでしょうし、そうできればその人の知的世界が広がることでしょう。あるいはパソコンや最新の家電機器を上手に使いこなせれば、それも自身の能力が広がる楽しさを感じることができるはずです。 こうした様々なかかわりをもつ生活者ですが、しかしこれまで科学技術を語る文脈では受動的な位置に留め置かれてきたと言うべきでしょう。すなわち、理科教育の「教えを受ける者」であり、技術の「消費者」「受容者」「ユーザー」であり、科学メディアにおける情報の「読者」「視聴者」です。私がここで注目したいのは、生活者の能動的な位置づけです。現実には市民・生活者が能動的役割を担うケースが様々な局面で増えてきており、そのことはたとえば、まちづくりや地域の環境行政で進められている市民参加[1]、市民が主体となった地元の自然保護活動や環境調査[2]、あるいは NPOを組織して専門知を活用した自然エネルギーや有機農業の活動[3]、さらには商品やサービスやメディアに対する生活者からの評価[4]、などに現れてきています。

2 どんなリテラシーやコミュニケーションが必要か

 また、最近「科学技術リテラシー」や「科学コミュニケーション」がいろいろなところで取り上げられるようになりましたが、そうした面での生活者のかかわりを整理しておくことも重要です。たとえば一つの類型として、

(A) 技術(製品)の使いこなし

(B) 技術(商品・サービス)の選択のための判断

(C) 科学技術が絡んだリスクへの対応

(D) 科学技術研究開発への意思表示   (たとえば軍事研究を抑制する民意)

(E) 科学技術の内容や発展動向への理解   (狭義のリテラシー)

(F) 専門家とのやりとりにおける意思疎通   (たとえば医師・患者関係)

(G) 問題解決のための専門知の活用   (たとえば干潟保護のための専門調査の実施)


といったことが考えられると思います。 このような類型がなぜ重要かと言いますと、個別の問題を全体状況の中でうまく位置づけてこそ有効な解決策を描き出せるからです。市民科学研究室が取り組んでいる事例で言えば、「中学生にケータイを持たせるべきか」「不妊治療の際に転院を繰り返す患者が多いのは何ゆえか」「私たちは遺伝子組み換え大豆をどれくらい食べているのか」「オール電化住宅は本当に経済的か」「ナノテク化粧品は安全か」「X線検査はどの程度必要か」といった個別の問題を探るのに、たとえば(A)から(G)のような“かかわりの枠組み”を参照して他の問題との関連をとらえ、そこから解決のヒントを見出していくことがある程度できるのです。

 ちなみに、理科教育に一言ふれておきますと、私たちが探っている今述べたような問題に対して、現行の理科教育はほとんど無力なのではないかと感じています。マイクロ波の人体影響の問題を含めて携帯電話のリスクを授業で扱うことはあるでしょうか。性教育の一部として妊娠を取り上げても、不妊治療の現状を知る機会はあるでしょうか(高齢出産が増え、カップルの 10組に 1組は不妊であるとの事態を迎えているのですが)。遺伝子組み換え食品について子どもたちが系統だって学ぶ機会はあるでしょうか。「オール電化」の問題を扱えば、原子力発電による夜間電力の利用の是非に行き着かざるを得ないのですが、エネルギー教育はどこまでこの問題に踏み込めるでしょうか。......といったように、あまり期待できないのではないかと思います。

 上記のような問題は、生活に深くかかわるものであるにもかかわらず、適切に判断するための情報を見つけにくかったり、専門家の見解も分かれていたりするものがほとんどです。また、そもそも実態の調査そのものが欠落していることもあります。さらには、ある程度情報が得られても、どこから行動を起こしていけばよいのかが見定め難い場合もしばしばです。

 私は、単純なアプローチでは解決を見出せない、科学技術にかかわる社会問題に対しては、生活者の能動的な役割を重視しつつ、大きく言うと次のような 3つの観点からの複層的なアプローチで臨むことが肝要だろうと考えています。

 第一は、環境やまちづくりの分野などで目立ちますが、政策形成・決定過程への市民参加の手法の成功事例を、科学技術分野にうまく応用することです。コンセンサス会議など参加型テクノロジーアセスメントの手法も、それ自体の使える・使えないを論じるよりも、他の市民参加手法の具体的な成功事例に引き比べて位置づけていくとよいのではないかと思います。

 第二は、専門知への接近と利用、専門家との生産的な対話を市民に可能にする方法をいろいろと考案し試してみることです。大学の図書館を市民に開放すること、最近各地で行われるようになった「科学カフェ」、新聞やTVなどが専門家への取材を重ねながら創る良質の記事やドキュメンタリー番組など、いろいろなものが含まれますが、たとえばそうした取り組みとインターネットを用いての意見交換の場を連動させてみるなど、開拓できることはたくさんあるように思います。

 第三は、既存の科学技術のあり方や科学知の再編にかかわることであり、リンカーンの名句「人民の人民による人民のための政府」にならえば、今の科学技術を「人民の人民による人民のための科学技術」(science&technology of the people by the people for the people)へいくらかでもシフトさせるためにあらゆる試みをなすこと、です。「市民科学」という概念も主としてこのアプローチにかかわってきますし、「人民のための」という言葉を言い換えるなら、「市民から信頼と支援を得る」ということになろうかと思います。

3  信頼と支援を得る研究の条件

 では、市民から信頼と支援を得られる研究開発とは何なのか、どんな条件を満たすことが必要なのかを考えてみましょう。現代の科学者や技術者は、フリーランスの発明家などを除いて、大半は組織に所属する雇われ人です。その点を考えて、帰属する組織体(大学や企業など)やコミュニティ(学会など)と、科学者・技術者個人の問題を一応分けてみます。 集団としてみたときの最大の要件は、研究の目的と展開方法と成果の生かされ方が社会的に合意できる「基本的理念」を損なわない、ということでしょう。もちろん明文化された「基本理念」が公的文書に謳われているわけではありませんが、たとえば科学技術基本法の狙うところもまた、次の 3点を前提にせざるをえないはずです。その 3点とは、

(1) 持続可能性   (自然環境、将来世代、「南」への負荷の軽減)

(2) 健康と暮らしやすさ   (健康リスクの軽減、安心と安全の確保)

(3) 社会的公正(基本的人権の保障、紛争・戦争の回避、南北間不公正の是正)

です。「基本的」という意味は、今現在あるいは今後どのような研究開発がなされるにしろ、この 3点のいずれかを損なう可能性のある研究開発は支持されるべきではないとみなせるからです。 科学者・技術者個人について言うと、単に専門家としてこれまでの枠組みに応じた仕事を行うだけでなく、彼または彼女自身もまた一人の「生活者」である点をどう自覚し、組織の中に埋没してしまうのではない形で政治的主体性をどう発揮するかがポイントになってくると思います。それをいくらか具体的に述べると、本来なら、所属する組織やコミュニティが市民・生活者のニーズや懸念に耳を傾け、必要なら対話し、具体的に対応できる何らかの回路を持っているべきなのですが、それが現状では適わないとき、個人として何らかの形で対応していく、ということです。それは、“顔の見える研究者”として、たとえば市民・生活者の懸念に立脚する報道や批判に対して、(所属組織とは独立した)個人の責任において自身の見解を表明できる、ということを意味するでしょうし、それには、自身が取り組んでいる研究の意義について「生活をどのようにより良くすることにつながっているか」という観点から自らの言葉で語ることも含まれるでしょう。あるいは、科学技術政策や研究行政の是非に対する見解を表明でき、それらの意思形成に影響を及ぼすべく何らかの試みをなすことも意味すると思われます。

 ただ、今理念として述べたことがらを具体的な局面に応じて実行できるようにするためには、既存の政策決定システムや諸々の団体の取り組みを見渡し、何が有効に機能しているか、していないか、あるいは何が欠落しているのかを探る必要があります。ここでは、専門家である科学者・技術者がいかなる形で、社会問題解決のために専門知を活用し得るのかという点について、極めてラフにですが、現状を描いてみたいと思います。

4 社会問題解決のための専門知の活用

 まず原則的なことを言うと、問題解決のためには次の4つの位相の活動がどこかでリンクしなければならないと私は考えています。私がこの後で言及する個々の取り組みも、この 4つの位相のすべてをカバーしているものはむしろ少なく、だからこそ他の取り組みと連動させていくことが必要なのです。この類型はそのための視点を提供するものです。

・フィールド:問題発生の現場の当事者としてあるいはそれに深くかかわる代理者として、問題状況を他に知らしめ、解決の必要性を感知させる。

・リサーチ:調査・研究を通じて問題の理解や解決に寄与すると考えられる情報提供や分析や提言を行う。

・キャンペーン: 問題に対する社会的認知を高め、必要な人的・物的・金銭的支援を喚起し、実現する。

・ポリティックス: 問題解決に必要な政策的対応(現行の法律や制度の活用、行政セクターによる種々の施策の実行)を考案し、行政側の実施者と効果的に交渉することで実現を図る。

 古典的とも言える例からふれましょう。1970年代は公害問題が激化し、科学の「体制化」が指摘され、科学者の社会的責任が鋭く問われ始めた時期だと思えますが、その頃に、市民の立場に立って専門家としての固有の科学技術領域で批判活動を組織的に展開する人々が現れました。その代表例は東大自主講座(1970〜)の宇井純氏、原子力資料情報室(1975〜)の高木仁三郎氏、市民エネルギー研究所(1978〜)の松岡信夫氏、そして現在の「ピースデポ」(1997〜)につながる国際的な活動を展開してきた梅林宏道氏でしょう。遺伝子組み換え食品、ダム開発、干潟保護、様々な化学物質問題・環境汚染、薬害など、多発する科学技術がらみの問題にかかわって、主に大学人として専門知を活用し、市民運動をサポートしてきた(あるいは市民運動を立ち上げた)人々は、決して少なくありません。ただ、ここで提起したいのは、そうした個別の取り組みで得られたノウハウや経験知を横断的にとらえ、生活者の参加や支援、市民と専門家との協力の進め方といった観点から整理してみることが今重要なのではないか、という点です。
 
 「生活者と専門家」を共通軸としてとらえることで、現在主に NPOによって担われている組織的な対抗的・批判的研究活動に、他の活動(たとえば、憂慮する学者らが自主的に形成した運動組織、日本学術会議、行政に属しながらその立場を生かしつつ協働する個人、批判的な視点を持つジャーナリスト、民間のシンクタンク)との相互補強的な役割を明確にできるかもしれませんし、また、生活者自身がコミュニティを築いて変革を進める活動(たとえば、生活共同組合運動、分散型エネルギー推進の地域活動、食や住の分野での地域自立型の活動)との連携を強化できるかもしれません。

 また一方で、「生活者と専門家」のとらえ方や「専門知の活用」を多角的に検討することで、政府が組織した専門調査委員会や諮問委員会や審議会のあり方の問題点を明確にしたり、サイエンスショップやCBR(コミュニティ・ベースド・リサーチ)など地域に立脚した大学の「科学相談所」的活動など、まだ日本では制度化されていないタイプの活動をどう立ち上げていくかを探ったりできるでしょう。あるいは欧米諸国で制度化されているが日本にはないものとして、議会に専属するテクノロジーアセスメント(TA)のための専門組織(「技術評価局」のようなもの)がありますが、コンセンサス会議のような政策形成に参照しうる様々な「専門家・非専門家の開かれた対話型パネル」などとあわせて、望ましい制度設計・創出をすることにもつながるでしょう。

5 市民科学研究室の活動にみる「生活者と専門知」

 市民科学研究室の具体的な活動に即して、生活者と専門知のかかわり、専門家と素人とのかかわりをみてみましょう。 月に 1度の誰でもが参加できる「市民科学講座」を続けてもう 14年になりますが、これは講師としてお呼びする方々とネットワークを築くきっかけになるだけでなく、市民科学研究室自身が行っている調査研究の成果を公表する場でもあります。最近 3年間のテーマを本稿末尾の表に掲げましたが、約半数は独自の研究発表であることがわかるでしょう。 次に、市民科学研究室の「プロジェクト」(個別テーマでの調査研究、以下 PJと略記)を説明します。現在7つあって、それぞれが 3人〜 10人のチームを作り、毎月 1回か 2回の勉強会を重ねながら研究を進めています。
 
・「科学館PJ」は、全国にある科学館を大人がもっと活用できる場にするために、科学館の現状を調べ、魅力あるプログラムを開発して提案することを目指しています。2004〜 2005年にかけて約 180の科学館を対象に行った「扱いテーマ」アンケート調査では、“生活にかかわる科学”(たとえば食、医療、住まい、防災など)が手薄であることがはっきり示されました[5]。
 
・「ナノテクリスクPJ」は今、ナノ化粧品の安全性に関する情報を収集し評価しようとしています。最近の報道にもあるように、「グリーンピース」や「地球の友」を含む 8つの環境団体が連名で、ナノサイズの二酸化チタンと酸化亜鉛を含む日焼け止めの生産・販売中止を求めています[6]。リスクは不確定ではあるものの、適切な予防的な対応を促すべく、私たちは必要な情報を市民に提供していこうとしています。 

・「低線量被曝PJ」もリスクに関する専門文献の読み解きを主に活動しています。『ECRR』報告書(欧州放射線リスク委員会 2003年勧告)や『BEIRVII』報告書(米国科学アカデミー報告 2005年)などを要約し翻訳しながら[7]、専門家の間でも意見が分かれている低線量放射線リスクの評価を、ICRP(国際放射線防護委員会)のガイドラインの検討を含めて、市民がどのように受け止め対処していくべきなのかを考察しています。
 
・「食の総合科学PJ」は、専門領域に分断された知見をつないで生活者に必要な情報として加工することを、身近な食材を題材に行っています。栄養学、料理法、食材の由来、農業生産、流通などを総合的にとらえて、今知っておくべき事実をまとめているのですが、現在までに「砂糖」「油」「牛乳」「大豆」「米」を雑誌の連載で扱いました[8]。それと同時に、調理技術の習得(食の自己管理)と科学の学びを統合した、現行の理科教育の代替案となるプログラムを開発し、「子ども料理科学教室」として出前授業などを行っています[9]。 

・「宇宙開発再考PJ」は、膨大な予算が投入されるにもかかわらずその使い道や成果の妥当性はほとんど問われないこの領域で、開かれた政策形成をいかにして実現できるかを探り、市民のニーズにあった適正規模の宇宙開発を促すことが目的です。最近注目されてきた「手作り衛星」作りの活動 [10]を追いつつ、民意反映型の研究開発の可能性を検討しています。

・「生命操作PJ」は、生命操作技術に対する市民の意見・意思を様々な角度から拾い出し、問題提起と議論の場を作ろうとしています。信頼度の高いウェブコミュニティをとおして 220名の不妊治療体験者を対象にした詳細なアンケートを行い、解析しました[11]。現在は、生命倫理問題の焦点の一つ「着床前受精卵診断」について調べています。
 
・「電磁波PJ」は、グレイゾーンにあると言われる電磁波リスクを市民の立場から正確に把握し、適正な予防原則的対応を国や企業に促すことが目的です。そのためには、自ら実測したデータと人体影響に関する最新情報をつき合わせて検討することが欠かせません。これまで、東京タワーの放送電波(新聞報道、学術論文、学会発表)、図書館盗難防止装置(新聞報道、報告書)、携帯電話基地局(助成金による研究報告書)、IHクッキングヒーター(報告書)、など対象に調査を行い(家庭内における 24時間連続計測も含む)、WHO(世界保健機構)の国際ワークショップなどにも参加し発表してきました。現在は携帯電話電磁波のリスクをめぐって盛んに発表されるようになってきた最新研究をレビューし、リスク評価のための適正な枠組みを考案しようとしています[12]。 

 こうした調査研究は、集まった素人たちの素朴な疑問に端を発するとはいえ、必要ならば専門家のサポートを受けながら(あるいは専門家と連携を組みながら)、調査や分析に欠かせない専門知識を要領よく習得していくことが必須となります。他の専門 NPOと連携して、そこに蓄積されたネットワークやノウハウを生かすことも重要です。私たちの活動は、たとえ越え難い専門性の壁があるように見える科学技術分野の問題であっても、生活者が自身の生活に即した視点から研究テーマを選び、研究方法を編み出し、調査を進め、その成果を社会に還元していく、という一連の営みが可能であることを示しているのではないかと思います。

6 大学に期待すること

 市民・生活者の能動性を尊重し、研究開発の向かうべきところを、現在の科学技術がもたらしている様々な問題をみすえながら、ともに描き出していく.これが、端的に言うと、これからの時代において信頼を得る研究者の姿勢だと言えるでしょう。私たちのような NPOは、市民と科学者・技術者をつなぐ媒介役になり、両者の協働の場を提供しているとも言えるかもしれません。この役割は今後ますます各所で求められるようになるでしょう。しかし翻って考えるなら、研究者の集積点でありその養成機関でもある大学自体が、本来そうした役目を担うのに最も好適であるはずなのです。

 私たちの活動に即してみても、今後大学と連携して行っていきたいことがたくさんあります。先に述べた市民自身がなす調査研究では、参加メンバーに理系の基礎素養があるかないかが大きくものを言う場合があります。それを短期集中で習得できるようなプログラムや講座を大学と共同で開発したい。あるいは、卒業研究や修士論文に取り組む学生さんと共同で私どもの調査研究をすすめたい。さらには、欧米のサイエンスショップにみるような大学を拠点とした地域対話型の試みを始めてみたい……。 NPOと大学との協働の可能性を探る上で知っておいていただきたいのは、たとえば私たち市民科学研究室の例でみるように、具体的な活動をとおして科学コミュニケーションのための様々なスキルやノウハウを学ぶことができるだろう、という点です。 

 「市民科学講座」で発表を担当することによって、STS的リテラシー、専門家との対話の進め方、発表技術の習得が期待できるでしょう。「プロジェクト」にかかわって調査研究を進めることは、まさに素人による専門知の実践的活用のためのトレーニングです。その過程で行うインタビュー取材では、専門家と市民をつなぐ媒介者として役割を自覚することになるでしょうし、アンケート調査や環境計測や論文執筆といった作業は、大学での作業と何ら変わりません。科学実験教室の運営や科学館へのプログラム提供では、「生活」を軸にすえたオルタナティブな科学教育のプログラム開発を体験できるでしょう。ワークショップをとおして、知識の多寡に依存しない議論の手法を身につけることになります。マスコミや雑誌からの取材は、科学技術ジャーナリズムとの具体的接点ですし、ウェブサイトでの広報や相談窓口も市民の様々な意見や意向をつぶさに知る機会になります。行政や企業への申し入れや交渉が、政治経済のシステムや力学に実地にふれることになるのは言うまでもないでしょう。

 信頼と支援は一夜にして得られるものではありません。社会に開かれた研究者は、開かれた教育・研究環境によって作られます。公益性を何よりも重んじるサイエンスショップのような活動は、大学の側からすれば直接の社会貢献になり得るものであり、研究と教育を既存の枠から解き放っていく一つの方向でしょう。科学技術が関連した社会問題にコミットし、独自の調査研究能力あるいは何らかの研究志向を持つ NPOが増えるにしたがって、サイエンスショップ的な“大学の活用”を求める声は大きくなると思われます。

 「科学コミュニケーション」の重要性が曲がりなりにも認知されるようになってきた今、その声に具体的に応えていくことは科学コミュニケーションの最優先事項の一つだと、私は思います。

【注】
[1] たとえば、佐藤徹ほか著『新説 市民参加 その理論と実際』公人社 2005年。

[2] たとえば、ATT流域研究所編『市民環境科学の実践 東京・野川の水系運動』けやき出版 2003年。

[3] たとえば、佐藤由美著『自然エネルギーが地域を変える まちづくりの新しい風』学芸出版社 2003年、ジュールス・プレディ著・吉田太郎訳『百姓仕事で世界は変わる 持続可能な農業とコモンズ再生』築地書館 2006年。

[4] たとえば商品テストについては、牧尚史 +上田昌文「商品テストの現状 〜 米国、英国、ドイツと日本を比較して」『市民科学』第 13号 2006年 7月を参照。

[5] 市民科学研究室・科学館プロジェクト『全国科学館扱いテーマ調査報告書』2005年。

[6] Environmental Groups Want Nanotech Sunscreens Pulled from Market(May 17, 2006), http://www.enn.com/today.html?id=10474.

[7] ECRRについては市民科学研究室発行『どよう便り』第85号 2005年 3月を参照。BEIRVIIの要約を訳出したものは7月 1日より市民科学研究室ホームページに掲載している。 http://www.csij.org/.

[8] いるふぁ発行『つぶつぶ』2004年第 1号〜連載中(現在第 7号)。

[9] 『日経Kids+』2006年 1月号、読売新聞 2006年 2月 28日朝刊社会面「教育ルネサンス」参照。詳しい実験メニューは『市民科学研』に連載中。

[10] 川島レイ著『キューブサット物語 〜超小型手作り衛星、宇宙へ』エクスナレッジ 2005年。

[11] 妊娠出産子育て支援のウェブコミュニティ babycomのサイトでその結果を公開している。「不妊に関するアンケート 中間報告」 http://www.babycom.gr.jp/pre/funinn/an.html.

[12] たとえば、エコログ研究所著・市民科学研究室訳編『携帯通信と健康』2005年。


[付記 ]物理学会では上田の発表に対して直後に以下の質疑応答がなされた。

質問「市民に受け入れられる科学の条件を言われたが、極端な話たとえば、湯川先生の中間子論というのは市民に受け入れられるだろうか。」

上田「個人的な判断だが、科学研究が真理を追求することによって、長い目で見たときに社会の知、ひいては社会全体を豊かにする、という面がある。それは否定すべきではない。ノーベル賞を受けるような研究は、国としても、国力とか産業振興とは別の意味で追求されているし、そうあるべきだと思う。その一方でバランスの問題がある。たとえば、加速器の建設にお金がかかりすぎる、といった問題は常に生じうる。現在の社会が抱えている問題を解決するのに科学を使えることが見えているのに、その方向の努力が少なすぎて既存の真理追求型の科学ばかりが振興されるということがあれば、それは好ましくない。 日本が生き延びることを考えるなら、どう考えても農業の自立が重要だ。日本で持続型のどういう農業があり得るか、というのは科学研究の格好の問題で、世界に対して発信できる財産になると思う。そういうところに出される予算が少なくて、たとえば素粒子研究に出される予算が膨大である、といった事態があれば、それは是正すべきだと思う。」

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