はじめに
のっけから長い英語で恐縮ですが、Community Based Participatory Researchという研究手法について紹介したいと思います。略してCBPRと言い、日本語では「地域参画型調査法」と呼ばれたりします(以下ここではCBPRと表記します)。CBPRとは、簡単に言うと、地域の人たちが現在持っている問題を解決するための研究に、生活者が参加して、専門家と協力して行う調査のことです。主には公衆衛生、看護学、社会福祉などの分野で注目されています。
この調査方法が注目されているのには、二つの理由があります。まず一つ目は、この手法を使った地域的問題についての研究において、実際に有効な結果が得られていること。二つ目は、地域の問題に関係する研究なのに、専門家だけが知識を得て、その地域に暮らす人々に何の利益も還元しないということは、調査対象を「搾取」していることに等しいのではないかという問題意識が、専門家の間に生じていることです。つまり、CBPRとは、地域の問題についての研究に、地域の人たちが参加することで、研究者もより良い研究結果を得られ、地域の人たちにも直接その結果が還元されるという、いわば研究者と地域の人々との「Win-Win関係」を目指す手法なのです。これぞまさに、市民科学研究室が目指す『調査研究』の方法ではないでしょうか。そこで、ここでは、この調査方法の概要と、これを使って行われた調査の例を紹介し、その可能性を示したいと思います。
CBPRの概要
アメリカの公衆衛生学におけるCBPRの第一人者、イズラエル等(Israel et al. 2005)によれば、CBPRとは、「たとえば地域のメンバー、組織の代表、そして研究者が平等に、全ての研究の段階に参加し、これら全ての協力者たちが専門分野に貢献し、そこでの決定と結果を共有する、という参加協力型の調査方法」です(Israel et al. 前掲)。後で紹介するような、CBPRを用いた研究の成功により、アメリカの国家保険局NIHがこの手法に注目しはじめたことで、この手法への注目度は、近年ぐんと高くなりました。最近では、米医学研究所(Institute of Medicine)が、レポートの中で、『市民の健康を守るのは誰か? 21世紀の公衆衛生の専門家を育てるWho will Keep the Public Healthy? Educating the Public Health Professionals for the 21st Century』(Gebbie, Rosenstock, & Hernandez, 2003)の中で、全ての公衆衛生の専門家が学ばなければならない8つの事項の一つとして、CBPRをあげています。
CBPRには、以下に示す9つの指標があります。
1. 地域を地理的な概念としてだけではなくて、「アイデンティティ」として見なす。地域は、家族でもいいし、趣味のサークルでもいいし、またもちろん、ご近所でもよい。人々がそこに「帰属意識」つまり自分の「アイデンティティ」を見出していれば、それが地コミュニティ域である。逆に言うと、アイデンティティを見出せない場合、ご近所であっても「地域」にはならない。CBPRは、アイデンティティの場としての「地域」と共に研究をする手法である。
2. CBPRは、地域に属する人々の持つ技術、人とのつながりや、そこにある組織を、問題への取り組みのために活用する。
3. CBPRは研究の全ての段階で、平等な協力関係を目指す。可能な限り全ての参加者が、調査研究プロセスの全ての段階での意思決定に参加し、それを共有する。また、各プロセスのコントロールも可能な限り全ての参加者で行う。研究者と参加者との間には、色々な意味での力の差があるが、オープンな話し合い、情報と資源の共有、意思決定力のサポートを通し、差を埋める努力しなくてはならない。それにはまず、相互に尊重し、信頼しあう関係を作ることが重要。
4. 参加者は、それぞれの知識、技術などを共有して、互いに学びあう。それによって、様々な視点と経験を研究に盛り込むことが可能になる。
5. 知識の生産と、その知識を参加者に還元することとのバランスをうまくとることを目指す。
6. CBPRは、地域の視点から、問題を多角的に捉えることを目指す。そのために、その地域で個々人が持つ状況に注目し、その状況の文脈(家庭やサークルなど)、さらにはもっと大きな文脈(地域や社会)にまで視点を広げる。例えば公衆衛生の例では、地域の健康問題は、医療、社会、経済、文化、環境といった様々な要素から成り立っていることがわかる。こうした問題に取り組むには、領域を超えた研究者と地域との協力が必要であることは、言うまでもない。
7. CBPRは研究の全てのプロセス、つまり問題の発見から定義、研究計画、データの収集と分析、解釈、そして結果の普及から、政策提言等の運動に至るまでを、参加を通して行い、そのためのシステムを発展させていく。
8. CBPRでは、研究結果を参加者に利用しやすい形で還元すると共に、参加者はそれをさらに社会に広く普及させることに取り組む。
9. CBPRは、長期的で持続可能な研究プロセスに取り組む。参加者は、ある時点で参加の必要を感じなくなるかもしれないが、研究プロセスが続く限り、必要を感じた時に、また戻ってきて、参加することができる。
では実際にどのような取り組みがなされているのか、次にアメリカでの成功例を一つご紹介します。
CBPRの例
これは、アメリカのGreenpoint/Williamsburgという地域における、CBPRを使った研究の例です。この研究は、そもそも連邦政府の食物汚染の健康へのリスクに関する調査が発端となってはじまりました。面白いのは、はじめから政府がCBPRを使って調査をしようとしていたわけではなかったことです。しかし、調査に関する説明会において、政府の当初の計画から、その地域に特有の食生活への視点が欠けているということが指摘されました。政府が調査の際に使用しようとしていたのは、『アメリカ人の平均的食生活指標』なるものでしたが、多様な文化を持つアメリカの「平均的食生活」とはどのようなものなのでしょうか。
現に、貧しい移民の多いその地域で、住民が川の魚を釣って食料としているという点は、指標に含まれていませんでした。この点を指摘したのは、地域で活動してきた環境正義団体Watchperson Project(WP)です。この団体はさらに、政府の担当者を住民が魚を釣っている場所に連れて行って実態を見せました。そこであらためて事実を目の当たりにした担当者等は、調査項目に川魚を含めることの必要を認識すると共に、この事実を指摘したWPに調査を委託することにしました。WPは10週間にわたり、住民に、釣っている魚の種類と量、家庭での魚の消費についてインタビューを行うという手法で、調査を行いました。メキシコからの移民がほとんどですから、スペイン語も使ったインタビューです。魚の名前が分からない場合は、実際に魚を持ち帰って調べました。このデータと、消費されていることがわかった魚の汚染状況に関する科学的データをもとに、その地域の住民の健康へのリスクが算出されました。
政府は、この調査の意義を認め、汚染された魚の継続的な消費によって、地域住民の健康が危険にさらされていると結論しました。政府の調査はここで終了ですが、調査を行ったWPは、地域住民にとって重大なこの結論を、すぐに住民に知らせる活動に入りました。英語とスペイン語の資料を作り、他の団体とメディアと協力して映像資料も作成しました。さらに、Fish-in-dayという、魚を食べることの危険性を知らせるイベントも開催しています。それだけでなく魚に代わる代替食物の栽培を指導もする試みもはじめました。こうして、調査結果はそれを必要としている地域住民に還元されているのです。
以上の例から一つ言えるのは、CBPRのプロセスにおいては、WPのような「媒介団体」が非常に重要な役割を果たすということでしょう。
日本での取り組み
最近日本でも、CBPRという手法が徐々に注目を浴び始めています。今年1月7日には聖路加看護大学で、公衆衛生学の分野におけるCBPRの可能性についての日本ではじめてのシンポジウム『CBPR〜患者・家族・市民と共に造る研究』が開かれました。これは、21世紀COEプログラム「市民主導型の健康生成をめざす看護形成拠点」(文科省補助金、平成15年度)の一環として行われたものです。アメリカからは医療人類学者ノエル・クリスマンNoel Christman教授が、公衆衛生学の重要性と、そこでのCBPRの意義、また多民族社会アメリカにおける健康教育の取り組みについて発表しました。日本からは、聖路加看護大学の研究者等が、日本の医療におけるCBPRの可能性についての発表を行いました。患者団体などの「地域」の視点を医療の専門領域に反映させる「媒介」として、保健士、助産士、看護士の役割が、今後ますます重要になっていくように思います。聖路加看護大学におけるCBPR的な活動の成果の一つとしては、ウェブサイト「看護ネット」がありますので、ご覧ください
(http://www.kango-net.jp/)。
今後の課題
以上、今後の発展が期待されるCBPRですが、おそらく日本において、特に東京において難しいのは、「地域」という概念でしょう。多様な文化を持つといわれるアメリカですが、「人種」や「民族」あるいは「移民」といった分類によって、それが正しいかどうかは別として、「地域」を比較的簡単に明らかにすることができます。しかし、東京において「地域」というとき、それは一体誰を指すのでしょうか。今後、市民科学研究室がCBPRを使って研究を進める時には、この「地域とは誰を指すのか」という点を明確にする必要があるように思います。■
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