スタッフ( 役員・社員) からのメッセージ
教育労働者、市民科学、寺子屋的学問所
●猪野修治(湘南科学史懇話会・主宰)
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私が市民科学研究室(旧科学と社会を考える土曜講座)を知りかかわるようになったのは1993 年ころであるから、もう12 年ほどになる。この間、主体的に具体的な研究活動にかかわることはなく、あくまでも市民科学研究室の活動に時間の余裕があるとき参加したり、支援したりしつつ、いろいろ学んできたというのが実情である。その理由は、私の公務は都内の私立中学高等学校のフルタイム教育労働者(物理担当)であるからである。その授業のために市民科学研究室が発行する資料や科学に対する考え方を学び活用してきた。したがって市民科学を抽象的に語るのではなくて、私にとっては中高校生相手の授業自体が市民科学であるといえる。さらに、1998 年、もっぱら公務以外の休日を利用して「湘南科学史懇話会」なる市民の寺子屋的学問所を主宰するに及んでいるが、これはこれでかなりの労力と多大な出費を伴っているが、私がやりたいことをある程度はかなえられているのではないかと思っている。したがって、私の内面では、公務の教育労働者(物理担当)の労働と授業、市民科学研究室の活動、そして湘南科学史懇話会の活動はいったいのものである。私の内面の精神はこの三者の活動間を行ったり来たりしながら、精神の安定を図りつつ教員社会と子供たち、一般市民にたいじしてきたことになる。こうした教育労働者の生活にのみに没入することなく、ひろい社会的な活動としての市民科学研究室と湘南科学史懇話会の活動に関わりながらの「公務」の労働と教育に、ある意味では精神的な余裕をもってあたれたのは事実だし、単なる教科書だけの知識の伝達だけの授業ではなかったことは、私自身の長い教育労働者の生活にとっても、私の授業を受けた子供たちにも、「よかったことだ」と思うようにしている。いや、いまさら否定されたところで、どうしようもないからである。私なりに、良かれと思って、学校教育内に「科学と社会」の問題を意識的に導入してきたのである。
具体的にあげよう。私が教育労働者になったのは1971 年である。ベトナム戦争がたけなわの時代であり、世界中で反戦運動が盛り上がっていたときであった。学問や科学のありようが厳しく問われた時代でもあった。当然、戦争と科学・科学者の有様の問題が重大事であった。この問題は今日でも重大な問題である。その後、時代は原子力問題(原子力発電所の事故)、環境問題(温暖化、酸性雨、エネルギー)等々が大きな社会的な問題となり国際的な政治的課題にもなった。これらが物理労働者の私の「授業の副教材」として登場したことは言うまでもない。その副教材の資料は、現代科学技術社会のなかで抑圧され被害を受けている人々が発するメッセージ・刊行物であったし、現在でもその姿勢は変わってはいない。しかし、時代は21 世紀の革命とも言うべき、IT の時代が到来し、その急展開についていくのが精一杯であり、かつてのように、ゆっくりとその社会的意味等々を考える余裕がなくなり、それに追われているというのが現実である。このようなめまぐるしく急展開する科学技術に追い立てられるような生活を強いられる現実を冷静沈着に考察し、市民に提供する仕事は重要である。市民科学研究の意味と存在価値はここにある。市民科学研究室のますますの発展を期待している。2005 年3 月31日、34 年間の教育労働者の生活に終止符を打ったばかりの私は、あらためて市民科学と学問の課題がどこにあるのかという課題に直面しているが、それに参加する多様な人々とともに考え行動し実践して行きたいと思っている。
■「市民科学」を問うこと
●尾内隆之(理事、『市民科学』編集長)
「市民科学」。このことばのもとで何かをなそうとする立場にいながら、やはりあやしいことばのようにも感じられるし、何より「肝心の多くの市民からはあやしまれるだろうなぁ…」という思いもぬぐえない。それはきっと、「市民」ということばが指すものの不定形さと、「科学」にくっついている従来のイメージ(進歩、専門性、etc.)とがそもそも問題になる上に、さらに「その二つが何で合わさることができるの?」という素朴な疑問も浴びせられるだろうと想像するからだ。
もちろんこれ読んでくださる読者、会員の皆さんは、このことばを程度の差はあれ受け入れている(受け入れてくれる)はずであり、その意味では、こうした迂遠な自問をお目にかけることは失礼かもしれない。しかし、NPO 法人としての再出発にあたって私個人は、この問いをどこまでも問い続けたいと思う。それは、今はまだ「市民科学」にまったく縁がないけれども今後「市民科学」に出会い、共に歩いてくれるかもしれない「未知の友人」「潜在的隣人」のために、つねにその答えを磨いておく責務があると考えるからだ。
最大の問題は、さしあたり「市民」だろう。「市民って誰?」という疑問は「市民○○」と言い表されるすべての場面で(特に批判的な人々から)突きつけられて、いわゆる「市民派」の人たちもそれに応じようと知恵を絞ってきた。でも最近の日本社会では、その答えを探そうとしても抽象的に空回りするだけだから、この問いは脇に置いておこう、それより肝心なのは実践だ…、みたいなところで落ち着いているように見える。確かに、ことばの意味をめぐって論争しても虚しい「空中戦」に過ぎないだろう。でも「市民○○」に関わる一人ひとりのうちでは、必須の問いだ。ましてや「科学」と結びつくとなればなおさらである。
「市民」とは、実体をあらわすことばではなく思考のためのツール(したがって便宜的なことば)であって、そこで私の思いとしては、あらゆる既得権益から自由なスタンスの取り方を(頭の中だけでもよいから)知っている人を「市民」と呼びたい。したがって「市民科学」とは専門家や利害関係者とは違う姿勢を取る(=疑う)ことをつねに意識する科学のことだろう。その場合重要なことは、市民自身の利益をも客観的に見る強さもそなえていなければならない。そして「市民科学」の存在意義とは「引き延ばし」にあると思う。問題を流さないこと、易きに流れないこと、気付かずに流されないこと。速度の社会において、それはあまりに重要な一つの意図であり、その意図を時折りでも持てる人は、だれもが市民科学者だと思う。
でも、「市民科学とは○○である」と手を変え品を替え語って見せても、そのこと自体にさほど意味はないと私は思う(あるとすれば語り手の「自己満足」が9割か)。そんな「空中戦」をやっている暇も余裕もなく、大切なのは「市民科学に何ができるか」を身をもって示すことだろう。「市民科学とは何か」は当面、内なる問いでよいと私は思う。その上で、「市民科学とは何か」を語る以前の問い、つまり「市民とは、科学とは、市民科学(のあやしさ)とは…」という問いを、密やかに、ひるまずに問い続けていきたい。
■私にとって市民科学とは
●加納誠(東京理科大学助教授)
たった今、大渋滞をぬって物理学会から研究室に戻りました。お約束のこの原稿を仕上げてから帰宅することにします。其の頃には渋滞も解消していることでしょう。ところで今回の物理学会環境物理分野は、今までにも増して多くの参加者が来られ、その後の研究会では小林一朗さんも参加されて、夜中の2時まで熱心な討議が続き、寝不足にもめげず翌朝の基調講演もして頂きました。
この様に私にとって、市民科学研究室の皆様の視点と物理学者としての視点は必要不可欠のものとして捉えています。そして、今までは不幸にもその両者が、自分達とは無関係あるいは遠い存在として相互認識し交流も無かったことに、今日の環境問題、更には教育・社会問題の一因があったとも思っています。説明にやや飛躍があると思いますが、この点については、是非、皆様に環境物理分野での講演や勉強会に参加頂いて、少しでも納得して頂き解決の糸口を共に探りたいと考えています。
一例として上田さんが書評された、福岡伸一著『もう牛を食べても安心か』に問われていることは、正に環境物理でグローバルに、加えて市民の眼から実体験も交えて真剣に考えていかねばならないことと思います。やや専門になりますが、そこに書かれている「動的平衡」は、環境物理で云う「入れ子構造」の「開放的な熱の扱い」に通ずると思い至りました。何も難しいことを言おうとしている訳ではなく、物理の専門家も「赤ちゃんの離乳のタイミングを前倒しにする事が、食物アレルギーやアトピーの引き金になり得るのではないか」と云った問題にも、思いがけず深く関わりあっていることに気付くべきであると思うのです。
■「市民科学」との出会い
●河野弘毅(理事、宇宙開発再考プロジェクト・リーダー)
数年前、自分の小さな会社の経営に失敗した僕は、どうしてもすぐに復職する気持ちになれずに、それまでの仕事オンリーの生き方とは正反対にフラフラとあちこちのいろいろな集まりに顔を出す日々をおくっていた。定期購読していた某NPO の会報で電磁波リスクをテーマに数名のパネリストが話をする集まりがあるという広報を見かけて、それほど深い関心があったわけでもなかったがフラフラと神保町の会場へと出向いたのだった。集まりが始まってしばらくすると、自分は東京タワーの周辺地域の電磁波を仲間と一緒に歩き回って調べてきた、と述べるどこかのNPO の男性がプレゼンを始めた。その男性はとても早口だったが発言内容は明快で、プレゼンで使われた手法は科学的実証性を意識した正統的なも
のだった。市民運動家のなかにもこんな人がいるのか、とちょっとびっくりしたことを今でもよく覚えている。
僕は工学部の出身でそれまでいわゆる市民運動にはほとんど関心がなく、唯一参加したことがある運動的な集会は、自宅の隣町のど真ん中に火力発電所を建設したいというある会社が計画に反対する周辺住民に対して開いた環境アセスメント報告会だった。昔風に言えば公民館のような施設の座敷に百名くらいの地元住民を集めてその企業の担当者が専門家に委託した環境アセスメントの結果を報告するという内容だったが、「火力発電所を住宅地のど真ん中に建設しても住環境への悪影響は問題ないレベルである」という会社の主張に対して住民側が怒ってしまい、後半は罵声も飛ぶようなやや騒然とした会合であったように記憶している。
質疑応答の時間に発言を求めて立ち上がったオバサンが「専門的なことはよく分からないけどうちの隣に火力発電所なんかできるのはとても不安だ!」と感情的なトーンで訴えた。同じような発言が住民側からいくつもあがるのを聞きながら、「隣町の出来事」ということでやや傍観者モードの僕は、確かに会社側のアセスメントはウソくさい、それに対して反発する気持ちもよく分かる、だけど、「よく分からないけど許せない!」と反発するだけでは議論としてはかみ合わないだろうなあ、と感じていた。
ちなみにその火力発電所建設計画は結局会社側が計画を断念して終結したのだが、事態の推移を見守っていた僕の中にはふたつのわだかまりが残った。第一のわだかまりは、住宅地のど真ん中に火力発電所を建設するという計画に対して周辺住民の合意も得ないままいわば安易にゴーサインを出して混乱を引き起こした張本人である行政(地方自治体)が、いざ問題が大きくなってみると火消しは会社に押し付けたあげくにマスコミにたたかれるとあっさり前言を翻した無責任ぶりに対してであり、第二のわだかまりはあの集会の夜に会社側の専門家の説明と住民側の反発感情がすれちがっていて議論がまるでかみ合わなかった「むなしさ」に対してであった。今回はたまたまそんな困った事態が起きた場所は僕の自宅とはちょっと離れた隣町だった。だが、そういう事態は誰の身にも降りかかり得るのであって、もしかしたら明日、自分の家族や自分自身が行政の無責任な対応のツケをまわされるのかもしれない(=明日は我が身だ)ということ、明日は我が身であるとするならば、自分としてはこういう問題に対してどういう心構えでどう対応すればよいのか、そんな「問題のカタチ」をなんとなく宿題として心の中に抱え込んだ。
やたら早口でまくしたてるNPO の男性と出会ったのはそんなときだった。おおそうか、住民の立場にたって運動している人の中にも、こんなふうに、感情的になるのを避けながらも「庶民の痛み」はよく理解し、実証的に議論できるところは実証的に議論でき、結果として普通の人たちが安心して眠れるようになるような解決策を大変だけどさぐっていこうとする人間が実際に存在する、という事実にちいさな希望を感じた。当日配布されたリーフレットによると、その早口の男性は「ドヨウコウザのウエダ」という人らしかった。それが僕の「市民科学」との出会いだった。
■私が市民科学研究室に期待すること
●上村光弘(WEB 局)
私にとって、「市民科学」の持つイメージは、「科学的営為の諸問題に対する、市井の非専門家による検証と行動」である。ところが、専門家、非専門家を問わず、「問題点の検証と行動」をバックアップする制度はあるだろうか。日本には無いといってもかまわないだろう。
科学技術をネタにしたビジネス上の利害関係者に比べ、問題点に気づいた人々の声は小さくなりがちである。このような声を救い上げる制度。さらには、関係者へのアカウンタビリティの義務化や、セカンドオピニオンのような制度を考え提案するのも、市民科学研究室の役割のひとつとして考えらないだろうか。原子力や電磁波、BSE、遺伝子組み替え食品など、科学が関わる安全性の問題は多岐にわたっている。これらの問題は、直接に市民生活に関係してくるトピックである。しかしながら大きな声で聞こえてくるのは、ビジネス上の利害関係者の声である。当然ながら、そういった関係者は生活がかかっているがゆえに必死だからだ。
科学技術の費用対効果についてはどうだろうか? たとえば、原子力は安全性の点もさることながら、費用対効果の点でも疑問があると言われ続けて久しい。にもかかわらず、推進されるのは、やはりビジネス上の利害関係者の声が為政者に届きやすいがゆえではないか。
意識的にか無意識的にか、行政が見落とした「科学的営為に関する諸問題」の検証と行動は、気がついた人々が手弁当でおこなっているのが現状だ。運がよければ、マスコミ等で取り上げられ、政治問題に発展することもある。しかしながら、小さな声として無視されているのがほとんどであろう。
また、問題を提起する側は、生活がかかっていることはほとんど無い。時間とともに問題への積極的な関わりは難しくなってくる。よほど強い動機や興味がなければ、それこそ費用対効果の点で追求し続けるのは困難だ。
ムーブメントとして、手弁当だけで関わってゆくのは、最初勢いがよくてもいずれ限界がくる。問題を感じた側が、問題を隠蔽してでも推進したい側と対等に渡り合ってゆくためには、制度的なバックアップ、金銭的なバックアップが欠かせない。情報公開制度等が整備されてきたが、まだまだ不十分だ。なんでも行政にまかせるという制度にも限界が見えてきた。民間活用という視点からも、気がついた人々が動きやすくなるよう、有効な方法を模索する時期にきていると感じる。それこそが、将来を見据えた暮らしやすい社会を作り上げる上での重要な基盤となるはずだ。
市民科学研究室は、これまで、科学をめぐるさまざまな社会問題や現象を個別に取り上げ、検証してきた。しかし、「市民科学研究室って、どんなことをやっているの?」と聞かれて、いつも返答に苦労しているのは、私だけではないだろう。個別の問題を扱う団体は他にもあるからだ。
もちろん、このような具体的な問題をとりあげることも大切である。しかし、一方で、すべての現象を貫く視点や制度を提示することも必要だ。市井の非専門家も参加可能な形で、科学をめぐる諸問題を検証できるような制度をつくるよう、各方面に働きかけるのも重要な活動ではないかと思うのである。それこそ、市民科学研究室でしかなし得ない役割になるだろう。
■私にとって市民科学とは
●徳宮峻(出版局)
市民科学研究室の機関誌「どよう便り」は、かつて「科学と社会を考える」と銘打たれていたと記憶します。改めて申し上げるまでもなく、科学であれ社会であれ、あるいは他のどのような分類を用いた区分けであれ、分類されるものはそれ単独で機能することなどありません。ちょうど網の目の一ヶ所をつまむとその周囲も一緒に引っ張られるように、科学をつまめば社会(やその他もろもろ)が、そして社会をつまめば科学(やその他もろもろ)が一緒に引っ張り上げられることになります。ですがそれも、意識の持ちよう、視点の据えようで、つまんでいる箇所ばかりに目がいき、ともに持ち上がっている他のものたちが見えなくなったりする。そういうことはしばしば起こります。
昨今では特に、「人文・社会」と呼ばれる諸学が人々の視界から遠のいていると聞きます。それらは私たちが日々暮し、考え、営んでいる生活の最前面から退き、暮しの遠近法の中で過小に扱われてゆくようなのです。犯罪が起これば、かつては社会的要因と個人的責任の比重について議論されたものですが、今日ではそんな論争はナンセンスとなり、ただただセキュリティのみがクローズアップされる。テクノロジーによる管理が最前面にでんと居座ってその向こうが見えないほどです。福祉予算の削減や年金問題など、私たちは徐々に、ときに我知らず、あるいはときに意識的に、功利的なものと引き替え
に「社会」という概念を手放してゆくかのようです。
一方「科学」は、功利的なものごとと実に親和性がある。新しい発見・発明は即イノベーションへと転用され、莫大な利を生み、一度勢いづけばその邁進を止めるのはとても困難になります。そこへもってきて、「社会」という概念が雲散霧消してしまったとあっては、科学やテクノロジーに対してなされるべき点検と反省の拠り所を、どこに求めればいいのでしょうか。社会が遠景へと退くにしたがって、科学は無批判に思いのままに振る舞い、そして、無批判に行われることは、何であれ暴力的です。そういう状況の中で、「科学と社会を考える」という場合の「と」の意味を考えると、それは単なる修辞的な並列の意味を超えて、網目をしっかりと浮き上がらせ、あたう限りその縫い目と縫い目の間に走る力線を認識していくための、相互連関を表す「と」でなくてはならないはずです。自然な、まっとうな批判の言葉が生まれてく
るのはそこからしかないと思うのです。
そうして生まれた言葉は、ですがそのままでは批判として成り立ちません。新たな場所に新たな光を当てる言葉は、往々にして孤立した言葉、内に閉じた言葉になりがちで、なかなか理解されず、広く流通することがない。当然のことながら、人に伝わらない批判は批判たりえないのです。そこで今度は改めて、別の課題が立ち現れる。しっかりと伝わるための、浸透力を持った言葉をどう作り上げ発信してゆくかという課題です。言葉はあまりに身近なので、発信者側はついつい、発すれば通じるという感触を得てしまいがちですが、実は私たちの身の回りの言葉は幾層にも層をなし幾重にも囲いで囲まれ、同じ日本語なら日本語にしたところで、ある仕方で流し出された言葉がそのまま淀みに浮かぶばかりで誰も受け取れない、などということは、どなたも日常茶飯に感じられていると思います。層と囲いを超えてスムーズに浸透してゆくために、言葉はただ流し出すだけではなく、相手のところに送り届けるという意識のもとに作り上げられなくてはならないはずです。
この度NPO 法人として新たにスタートを切る市民科学研究室には、ご覧のように「市民」という言葉が冠されていますが、そこには、今上に挙げました「網目(暮しの中の相互連関)」と「浸透力(障壁を超えて広く伝わっていく言葉)」という二点を実践していく、という意味が込められているはずです。その二点を欠いたならば、「市民」など名乗りようがないのですから。「科学と社会を考える土曜講座」と『どよう便り』は、「市民科学研究室」と『市民科学』へと連続しているのですし、それこそがこのNPO 法人のアルファでありオメガなのです。
■私にとって市民科学とは何か
●藤田康元(理事、ナノテクリスクプロジェクト・リーダー)
いきなりだが、技術決定論という見方がある。これは主に二つの要素からなる考えである。第一に、技術はその本質的・必然的な発展経路に沿って自律的に進化する。第二に、技術は社会に(大きな)変化を与えるが社会が技術のあり方を(本質的に)変えることはない。
技術をこのように見なす見方が技術決定論である。1970 年代以降の科学技術論研究の大きな課題はこの技術決定論の学問的批判にあったといえる。つまり、科学研究や技術の研究開発といった活動は経験に根ざし合理性を重んじる実践であると同時に、徹頭徹尾社会的実践でもあるということが、様々な事例でもって示されてきた。
この流れに棹差した研究者の一人として、イギリスはエディンバラ大学のドナルド・マッケンジー教授がいる。彼は優生思想と統計学の関係、冷戦期のミサイル誘導システムのデザイン、コンピューターの信頼性といった事柄についての歴史的な科学技術社会学を推進してきた一線の研究者である。彼はそれらの事例を通じて、数式や理論といった科学的知識や技術システムのデザインは、科学や技術固有の合理性(だけ)で決定されるわけではなく、政治・経済という次元も含む社会的要因とともに形成されることを示してきた。
昨夏パリの学会で、私はかねてから尊敬していたマッケンジー教授の短い講演を聞くことができた。それは「SCOT 生誕20 年」と題するセッション中のことであった。SCOT(スコット)というのはSocial Construction ofTechnology の略で、上のような意味で技術は社会的に構築されると見る技術社会学のアプローチの呼び名である。技術の社会構築主義(または社会構成主義)などとも呼ばれる。社会構築主義は科学や技術の活動を単なる政治的交渉に矮小化したとして1990 年代にアメリカを中心に科学者からの大きな批判の声が起こったが、私自身はそれに影響を受け積極的な意義を見出してきた。マッケンジー教授自身は自らのアプローチの呼び名としてはSCOT ではなく、技術の社会的形成(Social Shapingof Technology)を好んで使うが、広い意味でSCOT 陣営の一員といえる。その彼が、SCOT あるいは技術の社会的形成アプローチの核心は、概略次のようなものだと述べた。つまり、科学・技術の政治的次元を明るみに出すこと。それはすなわち、科学技術の発達の今とは異なる選択肢・可能性を示すこと。それはすなわち、科学技術を民主化してゆくこと、と。
SCOT は技術の合理性を無視したと非難された一方で、それが扱う事例や抉り出したとする社会的次元があまりに瑣末で、重大な科学技術の社会問題の解決への貢献がないという批判もこれまであった。その批判はかなりの研究について当たっている部分があると思う。しかしマッケンジー教授は、自らのアプローチを科学技術の民主化という実践的な射程を有したものとして積極的に位置づけたのであった。事実、自覚的にであろう、彼自身が選んできたテーマは社会的に重要なものばかりだ。単純かもしれないが私はこの講演を聞いて感動してしまったのであった。
しかし、である。やはりマッケンジー教授の仕事はかなりアカデミックである。論文の多くは専門雑誌に掲載され、本のほとんどは大学出版会から出ている。また、科学技術に関するよりよい選択肢を広く社会的に提言するということも少ないのではないか。基本的にはアカデミックな研究者として生きて行きたいと思っている私がなぜ市民科学研究室に参加しているのか、その理由はこの点と関わると思う。
科学技術の民主化とは、社会の意思決定に一部の科学技術論研究者が影響を与えるようになることではもちろんない。理想的には社会のすべての成員が科学技術に関わる意思決定に関与できるようになることだろう。そのためには、科学技術の素人である人々が、関与できるだけの力を自ら身につけてゆかねばならない。このような市民のエンパワーメントの実践として、私は市民科学の活動に大きな意義を感じ参加しているのだ。
ここでこのように言うと、すべての市民に科学技術に関心を持てというのは無理だ、市民の中から新たな専門家を生むだけでその他の人々を取り残すことになるからよくないという声が聞こえてきそうである。もちろん、すべての人が市民科学の担い手になるのは非現実的である。関心を持たない多くの人がどう科学技術に関与できるのか、それはそれで大きな問題であるとは思う。しかし、今のところ個人としての私はそれを主題的に考える余裕はない(市民科学研究室の他の仲間はいろいろ考え実践していることと思う)。
まずは、少しでも関心を持つ人々ともに主体的に専門性を身につけてゆくこと、故・高木仁三郎氏が述べ実践もした「専門的批判の組織化」を私なりに具現化してゆくこと。実際に自分が出来ていることを考えると忸怩たる思いはあるが、この課題に向けて今後もがんばりたいと思う。市民科学とは何かを概念的に言うのではなく、私にとっての実践的意味を言うのであればこういうことになる。
■わたしの考える市民科学
●古田ゆかり(理事、科学館プロジェクト・リーダー)
民主主義にはコストがかかる。
これはわたし自身の実感だし、おそらく多くの人が認める真実だと思う。特定の分野について価値観が一致し、同じ考え方に基づくトレーニングを受け、一定程度の知識とスキルを持った人たちとともにすすめるプロジェクトとは、なんと楽なことか。互いにいちいち細かい説明はいらないし、近い世界にいるものだから目指すビジョンも、切り捨てるべき部分の価値判断も非常に似ている。決定はすみやかで利害も共有できる。だからこそ、為政者は密室を好むし、組織は「トップダウン」という形式をとる。
なんたって早い。合意形成は不要だ。そこにあるのは、「すでに決定したこと」と「命令」である。たとえば、「会社的」「組織的」やり方になれている人が町内会の夏祭りの話し合いに出席すると、「文化」の違いに愕然とするものだ。そして「なんて効率の悪いやり方だ」と感じるにちがいない。
会社の会議では儲けるための目標が一致しているし、構成員の経験も似ている。自ずと対処法も似てくるが、町内会ではまず、なんのために行うのか? といった大前提から共有する作業が必要になる。また、酒屋さん、お菓子屋さん、米屋さん、大工さん、民間企業に勤める人、医師や公務員。価値観はさまざま。それぞれのバックボーンが違い、価値観の共有によって集まった集団でもないのだから当然のことなのだが、もし仮にこんな席で「効率が悪いから」といきなりリーダーをかって出てトップダウン方式を実行しようものなら、参加者のひんしゅくを買いその場で話し合いは空中分解するだろう。町内会やPTA や多セクターが参画するプロジェクトはまさに、用語の使い方、話し合いの進め方、人の名前の呼び方、組織の名前、ビジョン、ひとつひとつ確認していかなければならない。それらのことに手をかけず互いに違和感が残ると、最初は小さな行き違いがのちに膨大な不良債権となってプロジェクト自体を壊滅させる可能性を持っている。対象人数が多ければ多いほど、合意形成の手間は指数関数的に増大する。
トップダウンは合理的な場合もあるが、特定の価値観だけで突き進むことの危険さは、環境、人権、福祉、教育など現在わたしたちをおおっている問題を見ても明らかだ。なんの権威もない個人の希望やちょっとした疑問と不安、将来に対するビジョンは、ほんとうはとても大切なことだったのだと、環境問題の広がりの歴史を見るにつけ思う。
そして今度は科学の番だ。科学もまさに、トップダウンの構造から解き放すときなのだ。その思いが、わたしと市民科学研究室の前身「科学と社会を考える土曜講座」との出会いを作った。科学の民主主義は、まだまだ生まれたばかり。科学に関しても「あなたに決定の権利があるのですよ」「あなた自身の科学の使い方を選んでね」とまず、伝えるところからはじめなければならない。そして個人の価値観、世界観をいかした科学の使い方へと育てていかなければ。お金だけではない膨大なコストを支払う価値が、ここにはあると思う。
■市民科学研究室の新たな出発に寄せる言葉
●森元之(出版局、「水と土」プロジェクト・リーダー)
未来の話をしたいと思う。
その前に少しだけこれまでの話をする。
市民科学研究室とその前身である「科学と社会を考える土曜講座」の初期からかかわり、現在も引き続きかかわっている身としては、今回のNPO 法人化はこれまでの10 年以上の活動の帰結であり、あらたなるスタート地点として感慨深いものがある。
私が上田昌文氏とであったのは、私がまだ地方の大学を出て東京の小さな出版社につとめ始め、人脈も友人もなく地理も東京の地理もよくわからず、初めての大都会暮らし、徒手空拳で編集者としてスタートした時期と重なっている。
市民科学研究室がやろうとしていたこと、あるいは模索しているテーマと、自分の個人的な関心がかさなっていたこと、またそれが仕事にとも関連していたこと、さらには参加者に意欲があればそれを信頼して活動を任せてくれる雰囲気があったことなどが、私が長くかかわってきた大きな理由だ。NPO 法人化したことで、多少は事務的な縛りが出てくるとは思うが、しかし基本的なスタンスがこれまでの雰囲気を保っていけるなら、やる気と興味と能力のある人々の参加を促す素地はできている
と感じている。
さて、本題の未来の話に入ろう。
社会人として、職業人として、サラリーマンとしてあるいは生活者としての今までの私の人生の中で、市民科学研究室の存在は大きな比重を占めている。同時に、市民科学研究室以外での職業体験や人脈、読書や情報から学んだことも多々ある。そうした中の一つがメンターという存在だ。
メンターというのは、師匠とか尊敬できる先輩という意味だそうで、ビジネスの世界では1980 年代からアメリカで言われ始めた考え方らしく、最近は日本でも注目されている。特に独立したり、起業したりするばあいにはメンターの存在というのは非常に大きい。
成功した人の多くが、人生の転機で大きな影響を与えられる人物にあい、その言葉や行動から学んだり、船出を決意したりしている事例が多々ある。
私は今後市民科学研究室が組織としても、また属する一人一人が別の誰かにとって、あるいは別の組織からメンター的存在として尊敬されることが一つの今後の活動目標になるのではないかと、考えている。
もちろん通常「私をあなたの弟子にしてください」ということはあっても「私をあなたの師匠にしてくれ」という師匠の押し売りはできないから、自分が誰かのメンターになりたいと思うような倣岸不遜な態度で活動をすることはできない。あくまでも自分たちが地道に行う活動が誰かに評価され、その人たちから目標的存在と認識されることが前提だ。
しかし、それはそれとして万が一、誰かからあるいは別の組織から市民科学研究室をメンターと認識されたときには、精神的な面でもあるいは実務的な能力としても他の人々に提供できうるノウハウを自分たちで身に着けておくことが必要だろう。そしてその一番の要点は、常に自分たちが新しいことに挑戦し続けることだろう。新しいことに挑戦し続けることですでに得てしまった能力や、解決済みの課題・その処理方法などのノウハウを惜しげもなく他者に提供できるだろう。なぜならかつて得たノウハウはすでに自分たちが課題を解決した後では必要なくなっている一方、現在その課題に直面している個人や団体からはとても参考になるだろうから。
上記の意味では、上田氏と市民科学研究室は私の人生にとってメンターであると思う。なぜなら、たぶん上田氏が10 数年前に「科学と社会を考える土曜講座」を始めたころ、その方向性や意図する内容、社会的な存在意義を理解する人は、日本にほとんどいなかったのではないか、と思う。しかし、さまざまな活動実績を積む中で、10 年以上一つの活動を続けることによってNPO 法人化できるまでにさまざまな意味で実力が育ってきた、そのこと自体が私にとっては非常に生きるうえでの勇気付けになっているからだ。そしてその活動にかかわってこれたことを嬉しく楽しく感じている。
私は思う。混迷の時代だからこそ小さな光にも意味がある。不安な時代だからこそ、光の大きさではなく光が存在することが誰かに希望を与えられる。自分や自分たちの組織が輝き続けることそのものが、誰かの心の支えになることができるのではないかと。
だからNPO 法人化した市民科学研究室は未来を語れる場であり続けることが必要だ。私も微力ながらその一員として活動を続けたい。
科学ジャーナリストとして思うこと
●林衛(監事、NPO 法人「サイエンスコミュニケーション」理事)
科学技術雑誌(いまは『バイオニクス』誌)編集の現場にいてつくづく思い知らされるのは、両極端に隔てられ分断されている科学や技術に対する二つの態度だ。いっぽうは、科学技術のすばらしさを称え、新発見や新発明を喜び、その無限の可能性を強調するスタイル。他方、科学技術にかかわる「失敗」を糾弾し, バッシングするスタイル。
いずれも、とてもわかりやすく、ストーリーを仕立てやすく、マスコミの論調になりやすいようだ。二つの仮面が交代で登場するのが新聞の科学記事だ。全国紙では、称賛8 割で批判2 割の科学部( 科学環境部や科学医療部)、反対にバッシング8 割以上の社会部が、その書き分けの担い手となっていると、知り合いの科学記者(社会部出身)から聞いた。新聞1 面に大きく取り上げられた科学記事を発見したら、科学部によるものか、社会部によるものか、当ててみてほしい。かなりの確度で正解になるということでもある。
では, 現実の科学技術とのつきあいは、称賛とバッシングだけでよいのだろうか。そこに疑問や解決すべき課題があったとき、称賛によって, あるいは尻を叩かれて、誰かが答えを探し出してくれるかもしれない。高度な専門教育を受け、日ごろから研究や開発の現場で発見や発明をめざしているエキスパートの誰かが。産業技術として問題解決が進む場合、政府機関が迅速に対応できるしくみができあがっている場合はそれでいいだろう。そんなレールが敷かれていないし、敷かれそうもない場合に、市民科学の実力が試される(もちろん科学ジャーナリズムも試される)。
それはどんなときなのか。たとえば、リスクがあるらしいが、その全貌がよくわからず、対策の取り方やリスク軽減のルールづくりに利害がからんでいるときだろう。そのときの産業技術の目玉や政府一押しの政策のなかに、新たなリスクがみいだされることもある。こんな場合、称賛とバッシング以外に、未知の世界に飛び込んで問題を掘り下げ、解決の道筋をつけるアプローチが絶対にほしくなる。
無視されてしまいかねない問題に市民科学が取り組む場面も少なくない。社会が豊かになるというのは、未解明で調べてみたらリスクが小さいかもしれない問題に対しても、その新技術が普及する前にアプローチ可能になることではないか。民主的に科学技術を育んでいくためには、誰もが自由に、期待や不安や疑問を表現し、語り合える場が不可欠ではないか。
「現代社会にはリスクはつきものでゼロリスクはない。科学技術のリスクを避けるためにあなたは豊かさを捨て、江戸時代に戻るのですか」といったお説教をどこかで耳にしたら、「いやいや、豊かさを求めるからこそ,市民科学なのです」と応えることにしている。