『科学と社会を考える土曜講座 論文集』第1集 1997 年 5月
人はなぜ宇宙にこだわるのか
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藤 田 康 元
■はじめに
書店の自然科学書の棚で、私はある種の本をしばしば目撃する。それは、『宇宙は語りつくされたか?』『宇宙はどこまでわかっているか』『宇宙の謎はどこまで解けたか』『宇宙の発見』『ビッグバンの発見』…などといった似たような題名の書物である。ここにあげたのは、実際私が購入して所有している本だが、どれも現代宇宙論の一般向け解説書である。この手の本は少なくともここ数年、絶えずバージョンアップを繰り返しながら再生産され続けている。このように類書が氾濫するのであるから、宇宙論はよっぽど広く一般に関心を持たれているのであろう。
人はなぜ宇宙論にかくも関心を持つのであろうか?本稿はこの問いから出発する。しかしこの問いは、ストレートな解答を導くためのものではない。そもそも、すべての人が宇宙論に関心を持つわけではないし、関心を持つように見える人々の間でもその在り方は多様であるはずだ。あたかもすべての人が宇宙論にひかれており、そのことには必然的意味があるかのように解釈することは危険である。私の関心は、そのような解釈の存在も含めて一つの社会現象として近年の宇宙論ブームを批判することにある。そこには、宇宙へのこだわりにはあたかも必然性があるかのように思わせる言説が溢れている。それは、宇宙に過剰な意味を付与する「宇宙イデオロギー」といえる。
かつての私は宇宙論に執着する宇宙イデオロギーの虜であった。よって、本稿では、単に第三者的に宇宙論ブームを批判するのではなく、自分自身への反省を積極的に取り込んだ批判を行うことにする。それにより、私ははなぜ宇宙論に関心を持ったのか、なぜ宇宙にこだわったのかという問いに対するいくらかの答えは得られるであろう。
■現在の私
私は現在、科学史を専攻する大学院生である。現在の研究テーマは、批判的な観点からの現代宇宙論史である。大学に入学してしばらくは宇宙論研究者になりたいと思っていた。しかも自分の人生にとって、宇宙論を研究することは極めて重要な意味を持つと盲信していた。それが結果的には宇宙論を批判するための研究をすることになった。
ここで予め注意をしておきたい。ときどき人から科学史という研究分野や宇宙論史という研究テーマに関して誤解を受けることがあるのだが、その誤解の一つは、私は科学者であり科学の啓蒙を目的としているというものだ。確かに、科学史研究者を自称したりそう見なされている人のなかには、科学の啓蒙を目的とした科学者もいるであろう。しかしそれは一つのタイプにすぎない。私にとっての科学史は、現代の科学の在り方を自明視せず、場合によってはその方向転換をも展望しつつ、科学の歴史を再構成する批判的学問である。よって、私は基本的には人文的学問の研究者である。また、私を天文学者や天文ファンと勘違いする人もいるが、当然それも誤解である。私にとって、宇宙論は批判的科学史の研究対象である。宇宙論に関心を持ち続けているのは事実だが、そのスタンスは宇宙論ファンのものとは違う。
では、なぜ宇宙論を批判するのか。それに対しては様々な理由がある。例えば、宇宙論研究は今やビッグサイエンスと化しており、その発展には莫大な資金や資源を要するに至っていること。観測データを得るために宇宙空間へと観測装置を飛ばす現在進行中の研究方法は、宇宙開発というそれ自体様々な問題をはらむ活動と直結していること。宇宙論研究の問題設定自体、限定された文化のなかでのみ価値を持つにすぎないこと。それにもかかわらず、宇宙論の探究は人類の必然のような考えを増幅していること。神秘主義などと結びつき、現実社会を批判的に捉える視点を失わせる効果を持つこと。宇宙論の理論は高度に難解で専門家以外の理解を拒みがちなこと。高度に専門的なわりには堅固に実証された知識ではないことなどさまざまある。また、近代科学は南北格差を強めこそすれ改善などしてないという見方に則り、「南」の視点から宇宙論研究の功罪を論じることすら不可能ではないであろう。もちろん、いまここで宇宙論研究の意義が否定されるわけではない。ただ、批判の対象になりうることは十分理解できるであろう。
先に私は、かつて宇宙論を研究することは自分の人生にとって極めて重要な意味を持つと盲信していたと言った。それが現在このような批判的視点を持って宇宙論を見るようになったのは、近代科学さらには近代社会全体への素朴な懐疑を持ち、少しずつ考え続けてきた結果だと思う。とはいえこの作業は始まったばかりであり、自らの批判の根拠を説得的に示していくのにこれから多くのことをやらねばならない。当然、作業を続けるなかで当初の視点には誤りがあったことを知り、態度を変容することになるかもしれない。
このような現在の私にとって、宇宙論ブームという現象や宇宙論ファンといった存在は苛立ちの原因となる。その理由は、上に述べた問題点を持つ宇宙論が無批判に受容され促進される事態を見る気がするからだ。それは、宇宙論ファンに限らず、批判的視点を欠いたあらゆる科学ファンに対して持つ苛立ちに通ずる。それと同時に、宇宙論に特別の価値を置いていたかつての愚かな自分を見るような気がして苛立つというのもある。かつての自分の宇宙論への関心は妄想がかっていた。宇宙論ファンの多くは妄想的ではないと信じたいが、宇宙論ブームを促進している言説は実際かなり妄想的であり、政治的でもある。そこで、かつての自分を反省する前に、宇宙論をめぐる言説を簡単にではあるが見ておくことにする。
■宇宙論をめぐるレトリックとイデオロギー
ケンブリッジ大学ルーカス記念講座教授スティーブン・ホーキングが書いた『時間についての短い物語---ビッグバンからブラックホールまで』(A Brief History of Time: From Big Bang to Black Holes 邦題は『ホーキング、宇宙を語る』)は、近年最大の自然科学啓蒙書のベストセラーだと思うが、私は大学2年のときにペーパーバックでこの本を読んだ。まだ宇宙論に積極的な関心を持っていたので、英語は得意でないのに無理して読んだのだ(翻訳はほどなく出た)。わからなさにイライラした記憶ぐらいしか、すでに残っていない。
その本をいま見返してみると、宇宙論研究はいかに正当化されるかについてホーキングが論じている箇所が目につく。この箇所は、宇宙論研究者が宇宙論にいかなる意味をいかなる仕方で付与するかを示す典型である。彼はまず、宇宙の究極理論の探究は実用的根拠に基づいて正当化するのは困難だとしたうえで、次のように述べる。
しかし、文明の夜明け以来、諸事象をたがいに関係のない、説明のつかないものと見なすこと人々 は満足してこなかった。人々は世界の背後にある秩序を理解しようと切望し続けてきた。今日でも 我々は、我々がなぜここに存在しているのか、どこから生じてきたのかを知りたいと熱望している。知識に対する人間のこの上なく強い欲求が、我々が探究し続けることを十分正当化するので ある。そして、我々の住むこの宇宙の完全な記述こそ、我々の目標である。[Hawking:1988:14](訳は翻訳書のものに藤田が若干手を入れた)
ここでのホーキングによれば、宇宙論への関心は古代から続く人間の本質のごときものということになり、その探究は正当化されるまでもなく必然的で不可避のものである。しかも、宇宙論への関心が人間の本質であれば、なぜ人は宇宙論へ関心を持つのかという問いは、それは本質だからという極めて明快な解答を得ることになる。このような説明に納得する者がいるであろうか。仮にいるとすれば、その者はホーキングとともに、ある現実を隠蔽する共犯者となるであろう。
私にとっては、ホーキングの主張は明らかにおかしい。なぜならば、自分が「なぜここに存在しているのか、どこから生じてきたのかを知りたいと熱望」せず、「知識に対するこの上なく強い欲求」など持たぬ友人なら私は何人も知っている。また、なんらかそのような熱望や欲求を持つ人であっても、それをホーキングが掲げる宇宙の完全な記述という目標にむけた絶えざる探究のかたちで満たそうとするとはかぎらない。しかも、ホーキングが実際に行っている高度に難解な量子宇宙論の探究を「熱望」する者など、どれだけいるであろうか?
文明の夜明け以来変わらぬ本質を備えた「人間」という抽象的存在を立ち上げ、そこに自らとその他の多様な人々を「我々」とひと括りにしたうえで従属させようとする。しかも、その際の「人間」の本質とやらは、人間の本質であって欲しいと自らが願っているものであり、また、自らの行為はその本質の具体的現れだとする。ホーキングの言説は、そのように抽象的な「人間」というカテゴリーを使用して説得力を高めようとするレトリックといってよい。
ホーキングが用いるレトリックは、他の宇宙論解説書でも何度も反復して現れるものであり、私にとっては陳腐なものに見える。しかし、私がいかに陳腐化しようとしたところで、そこに強力な説得力を見い出す者もいることであろう。反復される陳腐な言説は、反復されるがゆえに洗脳効果を生む。ホーキング自身、その場しのぎの言い逃れとして述べたわけではなく、強い信念として述べたのであろう。彼の言説の説得力は、筋萎縮性側索硬化症という病魔と闘う「車椅子の天才科学者」という一つのイメージと重なりあいつつ高められているにちがいないとも思う。
私の目的はホーキング個人をおとしめることにはもちろんない。ただ、広く流通している陳腐な言説は批判する必要があると考える。まず、彼の宇宙論研究の正当化は、基本的に職業的宇宙論研究者としての利害関心に基づくものであって、一般読者が安易に共有できるものではないことを確認すべきである。そのことは彼の文章の表層に現れていることである。その特殊な利害は直ちに人間一般のものへと飛躍させられているが、その間隙を埋めるものは何も明かされていない。
このように、ホーキングの宇宙論研究を正当化する言説は、単なるレトリックという以上に、職業的宇宙論研究が身を置く科学研究制度を直接的な物質的基盤として強い影響力を発揮するイデオロギーと見なすべきである。それはまた、科学的理解の対象として宇宙に執着する宇宙イデオロギーであると同時に、「実用的」な科学技術の研究開発とは一線を画す「科学のための科学」すなわち純粋科学を正当化するイデオロギーである。純粋科学が制度化されたのは歴史的にはそう古いことではない。そもそも科学者という存在が現れたのが19世紀ヨーロッパの特定の歴史的文脈においてのことなのである。
制度としての純粋科学は、19世紀以降、相対的にではあるが自律性を強める方向で発展を遂げたためにそのイデオロギーも特殊なものとして捉えることが可能である。その一方で、一つの制度が社会において完全に自律的な発展を許されるはずはないことにも注意すべきである。特に、純粋科学の研究制度そのものは、一般に、生産物である科学知識を商品として流通させ利潤をあげ拡大再生産するものではない。純粋科学者は大学に雇用された教育者である場合がほとんどである。そのような立場で研究を実行するための資金を確保するには、研究の性質にしたがって様々な戦略が必要になってくる。
ホーキング個人はすでに安定したポストを確保しており、理論物理学者でもあるので、研究費の確保は重大な問題にはならないかもしれない。しかし、実験や観測に用いる装置に莫大な資金を要する分野では深刻である。アメリカで計画されていた超伝導超大型衝突型加速器=SSCの建設が財政難ゆえに中止されたことは記憶に新しい。宇宙論研究も、全体として見れば観測装置に多額の費用がかかる分野である。しかも、宇宙論研究の当事者たちによれば、1980年代に大きく前進したとされる理論研究を今後より一層発展させるには、これからますます新たな観測研究が遂行されねばならない。そのためには新たな観測装置が必要だ。研究内の狭い文脈においては、ますます資金を要する事態が発生しているにもかかわらず、アメリカを中心に国家の財政的余裕はない。宇宙論研究者が啓蒙書や講演などを通じて熱心に啓蒙活動を行っているのは、このような事情を反映したものであることは明らかである。また、そのように社会に広く研究の価値を訴える過程で、宇宙論研究は様々なイデオロギーと結びつくことにもなる。
この点でまず目を向けるべきは、宇宙論研究の方向が宇宙開発推進の方向とも大きく重なっていることである。よりよい観測データを得るには地球だけでなく宇宙空間へと観測装置を運ぶ必要がある。実際、1990年には20億ドルかけてハッブル宇宙望遠鏡がNASAによって打ち上げられた。純粋科学としての宇宙論研究が、様々な科学的・産業的・軍事的関心によって成立しているより大きな宇宙開発体制に取り込まれることは、その財源を安定させるように思える。しかし、一方、宇宙開発もその推進を十分正当化する根拠を常に持ち、安定した財源を保証されているわけではない。ソ連という国家がなくなり冷戦構造が崩れた今、NASAの予算は頭打ちである。もちろん、宇宙開発推進派は、新たな科学的・産業的・軍事的関心を創出する努力を怠ってはいないが。
また、宇宙論と神学との結びつきもよく見られる現象である。それは、ビッグバン宇宙論と聖書の記述を整合的に捉えようとするような努力に顕著である。しかし、有神論者だけが問題なのではない。例えば、ホーキングの宇宙論は無神論であるとされ、その是非が問題になったという。ホーキングが無神論者であるならば、彼は神学とは無縁だと言えるだろうか。言えないであろう。彼が「神は必要か」という問いに対して否定的な答えを与えているのは確かであるが、それは、そのような問いそのものが、重要な問いとして価値を持つ特殊な社会的文脈においてのことである。彼は、自らの理論はそれに答えを与えうるとして、自らの研究の価値を高めようとしたのである。有神論か無神論か、あるいは、信仰者か不可知論者かを問わず、神学的議論が重要視される特殊な文化が全体として宇宙論研究に意義を与えているという事実に注意すべきである。
神学的議論が重要視される特殊な文化が宇宙論研究を後押しする事情は、間接的な仕方ではあるが、他にも指摘できるであろう。宇宙開発の当事者であるNASAの宇宙飛行士の語りには、有神論と宇宙論のモチーフが頻繁に登場する。[立花:1983]。また、NASAの指導的科学者・科学解説者・SDI推進のタカ派として知られたロバート・ジャストロウが、不可知論者であるとことわりながらも、神学的議論を積極的に取り込んだ宇宙論解説書を書いているのも興味深い[ジャストロウ:1986]。
以上簡単に見たように、宇宙論研究は様々な利害関心、文化伝統と絡まりあいながら存立している。それは、特殊な利害関心、文化伝統ではあるが、決してマイナーなものではなく、支配的イデオロギーとして機能するものばかりである。宇宙論研究は純粋科学ではあるが、その「政治性」は明らかであり、ある意味では体制化科学とさえ言えるかもしれない。安易な宇宙論ファンに、そのような「政治性」を引き受ける覚悟は果たしてあるのであろうか?
このように問うのは、宇宙論ファンは、宇宙論研究推進のイデオロギーを無批判に内面化してしまっていないか反省すべきだと思うからである。しかし、だからといって、宇宙論ファンの意識を「虚偽意識」であると断罪しているわけでもない。宇宙論に関心を持つ人々の心理を内在的に理解することも当然必要である。人々はなぜ宇宙論に関心を持つのか?その問いに対して、もっと善意を持って答える必要があるかもしれない。
例えば、自ら宇宙論研究者の一人であり、解説者としても有名な池内了は、『ホーキング、宇宙を語る』の文庫版解説で次のように言っている。
文化論的には、開発しつくされて神秘性を失い、醜く矛盾だらけの地球にロマンを持てず、人々の眼が宇宙に向けられていると言えそうだ。今、恐竜がブームであることとも共通して考えられる。・・・その意味で、新たな「現代の神話」が求められていると 言えそうだ。
さらに科学技術が万能に見える現在に対する、反抗に似た気分が根底にあるようにも感じる。その恩恵に十分与っていると知りつつ、環境を破壊し、多くの生物を絶滅させている科学。このままでは、次の二一世紀を人類は全うできないかもしれないという不安。果たして、科学は真に人類に幸福をもたらしているかという疑い。といって科学か ら離れられそうにはない苛立ち。この、ある種の世紀末感情が「黙示録」的に、宇宙論への関心に転化していると言えないだろうか。[池内:1996:264-265]
この説明はそれなりに説得力のあるものであろう。つまり、宇宙論の最新の知識そのものにもともとの関心があるというよりは、様々な社会的状況が生む不安からそこへと関心が向かっている人は少なくないであろう。宇宙論ファン自身もこの説明に共感するかもしれない。しかし、私はこのような説明を行う気にはなれない。少なくとも、池内のように先の文に続いて、「宇宙論のブームが世界中に共通していることが、このような仮説を裏付けているような気がする。ならば、遠い宇宙と私たちを結び付けてくれる神話や黙視録の語り部が要るだろう。それもカリスマ性に富んだ、しかも一級の知の体現者として。」といった言葉をなんの皮肉も込めずに書くような真似はできない。なぜならば、このような言説もある現実を隠蔽することになるからである。
隠蔽される現実はいろいろある。ホーキングの解説を難解に思い、挫折感や欲求不満を強める人がいること。また、科学としての宇宙論は堅固なものではなく、いつ現在の支配的理論がくつがえされるかわからないこと。と同時に、宇宙論が科学である以上は、実証性を重んじて断片的知識を積み重ねてゆこうとするのであって、人々が求めているかもしれない超越的な「意味」など与えてくれはしないこと。さらに、純粋な理論研究や理論の様々な解釈(神学的、文学的等々)だけを行うならともかく、現行の宇宙論研究全体を発展させることは環境破壊の原因の一つにもなるという明白な事実。宇宙論研究は宇宙空間で観測データを得る方向に進んでいる。資源を浪費し環境負荷的な廃棄物を蓄積する宇宙開発体制の一部でもあるのである。
さらに、言えば、宇宙論ブームが果たして文字通り「世界中に共通していること」かどうかも大いに疑わしい。世界には、天文台を破壊するような武装ゲリラだっていれば、ビッグバン宇宙論はもちろん地球の大きさすら知らずに一生を生きる人だって沢山いるのである。これは、揚げ足とりだろうか?私にはそうは思えない。「世界」という言葉で何を誰を表象=代表させているのか、その仕方の「政治性」に責任が持てるか、「世界」を論ずる人は注意すべきであろう。
このように、池内の説明に対しては大いに不満があるが、「現代の神話」として、宇宙論に過剰な期待を寄せている人がいるのは事実であろう。しかも、そのような期待は、宇宙論にかぎらずいろいろなものへと向かう。科学に限っても、地球や生命の起源を問題にする分野には特別の関心が集まりやすい。否、大衆の意識からすれば、分野ごとの個別性などは問題にはならず、生命・地球・宇宙の起源を問う科学の営みはすべて同一視すべきものであり、それらをすべてひっくるめて宇宙論と呼ぶ人も少なくないかもしれない。生命・地球・宇宙の起源と歴史を宇宙史(あるいは宇宙誌)として語りたがる科学者も実際いるし、その手の本もよく売れているようである。それらのなかには、人類が生き延びるためには宇宙へ進出しなければいけないと主張するものも多い。もちろん、ニューエイジ思想を含む様々な宗教も生命・地球・宇宙についての科学知識を積極的に採り入れようとしている。宇宙イデオロギーを問題にするには、これらの様々な要素との関係が考慮されねばならないであろう。
このように、宇宙へのこだわりは、狭い意味での宇宙論ブームにかぎらず、様々な科学ブームや宗教ブームとしても現れており、かつそれらは相互作用してもいる。であるなばらば、科学とか宗教といったカテゴリー分けにこだわって現象を分析しても無駄であるかのようにも思えてくる。今後、生命・地球・宇宙を論ずる様々な言説を総合的に捉えたうえでの批判的分析が求められよう。ただ、ここで注意すべきは、科学としての宇宙論が様々な科学的・宗教的活動と結び付けられ過剰な意味を付与されているからといって、そのような意味付与に分析者である私までもが引きずられてはならないということだ。つまり、科学は良くも悪くも所詮科学なのであり、それ自体としては、哲学的問いに答えるものではないという視点も同時に必要である。
そのような視点は、宇宙論研究者自身も繰り返し説いていることではある。例えば、佐藤文隆は、著書のなかでホーキング・ブームに触れ、そこでの熱い視線------究極の最終理論へのあこがれ・大科学者のなかに真理が実在すると錯覚すること------の危なさを説き[佐藤:1995: 205-207]、別の評論では、「われわれはどこから来たのか、われわれは何ものか、われわれはどこへ行くのか」という問いかけを科学に託す精神運動は「科学主義」という新宗教であり、公的な科学研究はそれと距離をとるべきだと述べている[佐藤:1996:27]。
前に批判の対象とした池内も冷静な科学評論で定評のある一人であるが、自らが利害を持つ宇宙論に対しては、基本的には大衆の煽り役を演じ続けており、佐藤ほど冷めた視点が見られないのは
『科学と社会を考える土曜講座 論文集』第1集 1997 年 8 5月
残念である。しかし微妙なところもある。例えば彼は宇宙論を解説した本の最後で、月に天文台を建てるには世界中の合意・協力が必要と述べてから、人工衛星から写した夜の地球の写真を見せ、次のように言う。
今や、地球は夜でも煌々と輝いている。むろんこれは人間の活動によるものだ。これほどエネルギーを使っており、夜も昼間のように忙しく働いていることがよくわかる。・・・また、地球の南北問題もよくわかるだろう。輝いているのは北の国々で、資源を提供している南の国々は暗く、暗闇のなかで飢えに苦しんでいるのだ。地球を一体で考えるとは、このように客観的に自らの姿を見、将来を考えることではないだろうか。他の惑星系に人類が生きていて、このような地球の姿を観測しているかもしれない。この光景を見て、彼らは何を考えることだろうか。[池内:1994:263-264]
もちろん、考えるべきなのは彼らではなく、池内本人であり、私であり、あなたである。私であれば、月に天文台を建てる必要はないと考える。また、「南」も「北」も含めた世界中の人々の多くが月の天文台を求めるとも思えない。もしかしたら池内自身は、地球を客観的に見るためにこそ月の天文台は必要であるといいたいのであろうか。それは実際よくある主張であるが、そのような主張に対しては、そもそも客観的に見るのは誰であり、その客観性は誰にとってのものか私は問いたい。池内の本音は分からないが、少なくとも、彼も私のように考えざるをえないところに自らを追い込んでいるように私には見える。
本節では、宇宙論をとりまく言説に対して、簡単にではあるが批判的分析を試みた。しかしだからといって、宇宙論にひかれる人間の内在的理解を放棄したり、そもそも自分にとって宇宙論とはなんなのかという問いに向き合わずにいてよいとは考えていない。前に、かつての私は宇宙論に執着していたと書いた。そもそもその反省が現在の私を宇宙論批判に向かわせている。そこで、次節では、かつての私を対象にして宇宙論にひかれた一人の人間の理解を試みたい。それは、佐藤文隆がいう意味での科学主義に、いかに私が洗脳されていったかを示すものとなるであろう。
■かつての私
記憶を辿ると、私の宇宙論へのこだわりが明確に現れ出したのは、小学校の5、6年生のときである。ある日の学校の帰り道、友達と歩きながら話をしていて、なぜか、宇宙の始まりはどうなっているのだろうという問題につきあたった。そのとき私自身がどう考えたのかは覚えがないが、その友達が、相対性理論によれば時間はループを描いているから実は宇宙に始まりも終わりもないのだと、したり顔に言ったことだけは覚えている。そのとき彼の説をそのまま信じることにはならなかったが、それまでの自分にはない発想に衝撃を受けた。それ以後、私には宇宙についての空想に耽る癖がついていった。
宇宙についての空想とは、主に、時間的に過去へと遡っていくとどうなるのかという問いと、空間的に宇宙の果てはどうなっているのかという問いをめぐっての空想であった。
それは自分という存在はどうして存在しているのか、そもそも存在するとはどういうことなのかという問いと結びついていった。既存の科学がそれらの問いにどう答えているのかには興味があったはずだが、当時、宇宙についての本を読んで影響を受けた記憶はどうも見当たらない。ただ、最新の宇宙論を解説したテレビ番組を見て興奮した記憶はある。それは今から思えば、NHKが放送したイギリスのBBC製作の科学シリーズの一つで、「宇宙を解く鍵」というタイトルの番組だったと思う(そのシリーズは本にもなっていてみすず書房から翻訳も出ている)。宇宙の謎を解く「鍵」は、素粒子論と宇宙論が融合しつつある現代物理学なのであるという強いメッセージを投げかけてくるその番組を見て、物理学者になれば宇宙の謎を解き明かせるに違いないと強く思うようになった。
学校の授業によって、直接宇宙論への関心を植え付けられたという記憶はない。当時はどの教科もかなり良い成績だったはずなので、理科もそれなりに得意であったと思う。科学者を目指すのに算数や理科が苦手だと強い劣等感を生むと思うが、当時はまだそういった劣等感はなかったと思う(後には深刻になるが)。
当時、影響を受けた本はなかったと言ったが、全くなかったわけではない。宇宙について研究するには物理学を勉強しなければならないと思って、講談社現代新書の湯川秀樹著の本を購入した覚えがある。しかし、難しくて読み通せなかった。そこにかすかに劣等感のきざしもあったかもしれない。指導者に頼るということもなかった。ちなみに父は中学の教師をしていたが教科は国語であった。理科に限らず、具体的な教科について自宅で指導を受けた記憶はない。
とはいえ、後の進路選択に家庭における様々な条件が影響しないはずがない。そもそも、誰もが大学に行くことを許される経済状況にあるわけではない。私の場合、どこで知ったか分からないが(父からかもしれない)、小学生の時にはすでに研究者になるには大学院まで行かねばならないと分かっていた。「大学までは学費の面倒を見てやろう」という父の言葉は何度となく聞いた覚えがあったし、どう見ても経済的に貧しい家庭ではなかったので、少なくとも大学までは金の心配しなくて行けると漠然と思っていたはずである。
進路を左右するのはもちろん経済状況だけではない。経済資本に対して文化資本も重要な条件である。文化資本とは、家庭内にある書籍、絵画、レコードといった物質的な文化的資源から、家族の言語能力などの非物質的な文化的資源、学歴や資格などの制度的資源までを含む概念である。私の場合、文化資本は決して小さくはなかったとは思うが、家に多くあったのは主に文学書で、科学書ではなかった。恐らく私に科学への啓蒙の効果を最も及ぼしていたのは、定期購読していた学研の自習用雑誌教材『科学と学習』であろう。実験セットなどの付録をいつも楽しみにしていた覚えがある。もはや手元にないので具体的には分からないが、恐らく読み物の中には宇宙への関心を高める記事も多かったであろう。
家庭での影響で、指摘しておきたいことはまだある。それは、宇宙と自分という存在についてつきつめて考える機会としては、父から強く叱られて、子供ながらに孤独と絶望に陥った時が多かったことである。そのような機会は日常的にあったので、宇宙について思いめぐらす癖も日常的に強化されていったと思う。父の教育の影響は他にも指摘できる。先に触れたように、文学青年崩れの父から科学教育を直接受けた覚えはない。しかし、父から日常的に受けた教育が、男女の違いを過剰に強調するセクシスト的なものであったことは、私が科学者をめざす上で大きな意味を持つのではないだろうか。つまり、父の教育により私の男としてのジェンダー・アイデンティティは硬直してゆき、それとともに、私は、男=理系という世間にある図式に囚われるようになっていったと考えられるのである。もちろん、セクシズムのの影響は父だけから受けたわけではない。父だけを責めるわけにはいかない。その影響を具体的には自覚できないが指摘する必要を感じる小学校時代のその他の記憶には、映画「スターウォーズ」と宇宙博覧会がある。宇宙博覧会というのは当時、東京湾岸にある船の科学館で開かれたものである。実物のロケットの展示があるというので、電車で1時間半ほどかけてわざわざ見に行った(私は神奈川県南西部にある二宮という町に住んでいた)。映画も博覧会も、ともに宇宙へのロマンを駆り立てるメッセージを放っていたのは確かなように思う。
映画も博覧会も男友達といったが、それは偶然とも当然とも見なせないことである。それは、小学校も上級生になり、男女べつべつ性別ごとに趣味の合う友人を作って行動する文化が支配的になったことの現れである。宇宙や科学は「男の世界」というわけだ。それと直結することだが、私の記憶が確かであれば、宇宙博の宣伝は夕方5時代のある種のテレビ番組のCMの中で流されていた。それは、宇宙博の主催者だった日本船舶振興会のCMだが、「巨人の星」とか「空手バカ一代」といった主に男子小学生をターゲットにしていると思われるアニメ番組の合間のものだったと記憶している。記憶違いはあるかもしれない。いずれにしても、科学文化のジェンダー・ギャップは、このようにして社会的に創り出され強化されていくし、自分もそうやって創り出されたのだという認識が今の私にはある。この節の記述・分析にも、そのような認識が役立っている。
小学校時代の最後、卒業文集に書いた文章は今でも忘れられない。「幻想宇宙」と題して、当時の自分が考えた宇宙観を簡単に示したものだ。川底から出て水面に向かって上昇する気泡の一つを見るとその中にわれわれの宇宙が詰まっていて、銀河系や太陽、地球もある。気泡は上昇するにつれ水圧の減少によって膨張し、最後水面で消滅するという話である。当時の自分は、すごくよくできた理論だし文学的にもよくできているとうぬぼれていた気がする。今から見れば、宇宙を4次元時空として捉える一般相対論を全く理解していないし、幻想趣味があったのも許し難い。ただ、現在支配的なビッグ・バン宇宙論などと同様に、宇宙膨張を基本的事実として捉える姿勢がうかがわれ興味深い。
小学校時代はこんな具合であったと思う。ただ誤解を生まないように注意しておけば、この時期は日常生活において科学のことばかりを考えたり勉強したりしていたわけではない。宇宙についての空想も頻繁なほどではなかったと思う。日常的には、もともとは家や学校の周りの山や林で探検ごっこをしたり、川や田んぼで生き物を採集するのが一番好きなことだった。その点でいえば、父も山登りに幾度となく連れて行ってくれた。だから、科学ものの書籍やテレビ番組としては、例えば『爬虫類・両生類事典』とか、「野性の王国」といった類を最も好んだ。また、友達同士でサッカーなどのスポーツもよくやり、体力的にも成長した。部屋に閉じこもって空想に耽る虚弱児といったイメージからは程遠かったと思う。
中学校時代に入っても小学校高学年時代とさほど大きくは変わらない。どの教科もそれなりに良い成績だったと思うが、数学や理科に較べると国語、英語、社会の方が明らかに高い点を取っていた。科学者になろうという希望は弱まることはなかったが、自分は文系向きなのだろうかという不安が芽生えた。文系・理系という二分法をいつ覚えたのかは分からない。
なぜ科学者の夢は弱まらなかったのか?その理由を宇宙の謎を解くという大目的があったからといって済ますことはできない。この時期の私の関心は科学に集中していたわけではなかった。社会科教師は広島原爆の胎内被爆者で、平和や差別の問題などについて啓発してくれた。国語の教科書で知った本多勝一のルポルタージュのファンになったのはこの時期であった。もっとも好きだったのは、『極限の民族』という文化人類学的調査の報告だった。カナダ・エスキモー(イヌイット)、アラビア遊牧民、ニューギニア高地人についての様々な情報は、自らが属す文化が決して普遍的なものではないのだということを少しは教えてくれたと思う。特に、宇宙論や存在論の問いに悩むような自分と、日々の過酷な暮らしをひたすら生きる彼らとでは明らかな違いがあった。宇宙の謎を解くために科学者になろうという自分の夢は極めて特権的で贅沢なものではないかという反省も生まれた。しかし、自らの夢を正当化するための理屈はいくらでもひねりだせた。例えば、極端な場合には、異文化の人々が本当に存在するとはかぎらないではないかという妄想に逃げ込むこともあった。そのような観念の世界の遊戯によって、悪しき思考癖が次第に身についていった。
他の教科への関心を後ろにやり、妄想に逃げ込んでまで宇宙論の研究を夢見たのはなぜか?その理由の一つには、すでに触れたような、私の男としての過剰な意識があると思う。つまり、宇宙論のような高度な数学の能力を要する分野に進めば、自らの男らしさが証明されると無意識にしろ考えていたように思う。小学校以来、算数や数学は女子はできなくても仕方がないが、男子の自分ができないとすればとても恥ずかしいと思うようになっていたのは確かだ。実際、数学を教えてやった女子から言われた「さすが藤田君は男ね」などという言葉は、ずっと記憶として残り、科学者になる意欲を強めると同時に、逆に男なのに数学ができなかったり理系でなかったりしたら恥ずかしいのだという圧力ともなった。
この時期には、カール・セイガンの「コスモス」がテレビの人気シリーズとして放送されたはずだが、私は必ずしも熱中して見た記憶はない。彼自身は惑星科学者で狭い意味での宇宙論研究者ではないし、番組の内容も雑駁で素人だましのものだと、ちょっとバカにしていたように記憶している。私のなかでは、アインシュタインのような、数学に強く抽象性の高い議論をする理論物理学者が科学者のヒエラルキーの頂点にいた。恥ずかしいことに、大学生の途中まで、そのようなヒエラルキーを私は信じていた。それとからんで、人間が活動したり宇宙船を飛ばしたりできる宇宙空間など宇宙全体の大きさからすればたかが知れており、問題にすべき対象ではないという見方も私の中で強かった。「コスモス」というテレビショーは、純粋科学としての宇宙科学の擁護という以上に、宇宙開発推進のプロパガンダだったと思うが、逆にそれがその時期の私には魅力の減少につながったのだと思う。
中学生になっても、講談社ブルーバックスなどは難しく思えて通読できなかったはずである。宇宙や科学への関心は、着実な勉強につながることもなく空想の次元にとどまっていた。いやむしろ、空想の世界でどんどん舞い上がっていったというほうが正確であろう。ぼくはなぜ存在するのであろう、存在するとはどういうことなのであろうという問いは、宇宙の果てはどうなっているのか、宇宙の始まりはどうなっているのかという問いと不可分であり、それを解くには宗教に頼ってもだめで科学者にならなければならない。それも宇宙物理学という分野を専攻しなければだめだ。その分野を研究するなら東大か京大、あるいはアメリカのカルフォルニア工科大学などの一流大学へ入学しなければだめだ。自分は天才のはずだから、アインシュタインの一般相対論を超えるような理論でもって宇宙の謎を解くこともできるかもしれない。そうすればノーベル物理学賞は絶対もらえるであろう。そこで得た宇宙観をもとに独自の哲学を語り平和を訴えれば、平和賞ももらえるであろう。重要な職業はいろいろあるが、一度の人生なら物理学者になって宇宙論を研究するしかない。といった具合に、俗っぽさも十分含んだ勝手な空想はどんどん膨らんでいった。
中学生の時のこととはいえ、こういった誇大妄想を明かすのはかなり恥ずかしいことではある。しかし、所詮、成績のよい優等中学生など多かれ少なかれこんな誇大妄想家であり、そういった子供で最後まで破廉恥だった者が科学者の世界を始めとする競争社会で生き残るに違いないとも思う(皆がそうとはいわないが)。だから、個人的には恥ずかしいし、実際、陳腐な妄想だが、それは実現したならばしたで、社会的には高く評価されたことになるのであろう。中学校最後の文集に何を書いたかはやはりよく憶えている。宇宙の謎を解くという野望を達成するために宇宙物理学者になると宣言したのである。
高校時代には変化が起こる。様々な劣等感に苦しみだした。勉強への意欲が減退し理系科目を中心に成績が下がった。友達付き合いもうまくできず、孤独を好むようになった。好きな女の子がいたが、うまくコミュニケーションもとれず一人で思いだけを強めていった。身体の成長が小柄のまま止まった。中学のときほどリーダーシップを発揮できなくなった。男としての魅力の欠如を渋さで補おうとさらに無口になった。数学や物理の成績は悪いだけではなく、好きな教科とはいえなくなった。授業が面白くないのである。本もあまり読まなくなっていった。特に小説は嫌いになった。明らかな作り事の世界に自閉するのは嫌だった。私にとってリアルなものは思考する自分という存在だけであった。その自分という存在は他者と同格の存在として存在しているのだろうかというのが一大問題になった。妄想壁が強くなっていった。独我論的になっていった。そのような時でも宇宙論研究者になって宇宙の謎を解いて見返してやるといった思いがあった。それは、ひとつには、依然として、宇宙論を研究する科学者が男としての自らの自我理想であり続けていたからではないかと思う。また、この時期、ブルーバックスの宇宙論解説書を通読して、やはり宇宙論研究をするしかないと確信した覚えもある。
大学受験も失敗したりして高校卒業前後あたりは死んだような時期もあったが、実際は親に飯を食わせてもらってちゃっかり生きているという事実も否定できず、でも否定したくて一人の妄想の世界へと逃げ込んだ。その世界は少なくとも自分は存在するようではあるがそれ以外のことは分からない世界であった。自分を創造した神はいるのかいないのか、それが問題であった。浪人中にはニューサイエンス・ブームがあり、その手の本を読んで少しかぶれたりもした。科学が自分の哲学的な問いに答えてくれるに違いないという幻想がますます強まってしまった。
一浪して入った大学もいくつかの不満から一年で退学して、地方の旧七帝大の一つといわれる大学の理学部に入学し直した。そこではサークルや自治会活動などを通じて友人も増えた。自閉的なところも減っていった。しかし一方、数学や物理の勉強を怠って人気のある物理学科への進学が不可能になった。佐藤文隆など著名な宇宙論研究者の一般的著作を通じて、宇宙論への興味は強く煽られ続けていたが、教養レベルの物理や数学は退屈だからと真面目に取り組まなかったのである。後からどうにでもなるという甘い考えもあったが、同時に、そのような逃避をする自分は結局科学者には不向きなのだという思いもすでにあった。また、哲学や社会科学といった他の学問分野にも関心が拡散したことも大きかった。さらに、自らがこだわる哲学的な問いに答えるには科学者になっても無駄だと思うようにもなった。それは宇宙物理学の教授から直接言われたことでもあった。さらに、近代科学の様々な特徴や問題点を明らかにするような著作が、素朴な科学主義者だった私にとってはもっとも衝撃的なものとなった。例えば、トマス・クーンのパラダイム論から科学的真理の相対主義を読み込んだ私は、科学は真理を追求する営みだと素朴に口には出せなくなった。それでも、パズル解きとしての宇宙論研究をゲームのように楽しめればよかった。しかし、宇宙論の前提になる一般相対論などは難しくて、勉強しても楽しくなかった。しかも、ビッグサイエンス化する観測的宇宙論に未来はないとも思った。宇宙論研究者を諦めることと、宇宙論研究の価値が下落してゆくことが同時に進行していった。
学部では宇宙論研究者の可能性を残そうと数学を専攻したが、結果的には、宇宙論批判を含む近代科学批判を学問的にやりたいと考えるようになった。その際、影響を受けたのは、例えば、教養部時代から読んできた広重徹、高木仁三郎、佐々木力、吉岡斉といった人々の著作であった。また、当時つきあい始めた女性に、抽象的な宇宙論などにこだわる私の心性は、「歪んだ男性性の現れだ」などと指摘されたこともかなりのインパクトがあった。もちろん、近代科学は本質的に男性原理によるものだとか、男性は本質的に抽象性指向があるとかいった本質主義に対しては常に警戒を怠ってはならない。しかし、自らのジェンダー・アイデンティティと科学への関心が不可分ではありえないことは、これまでの記述・分析で明らかだろう。そのような認識は、その女性の指摘を受けるまでの私には、全く持つことのできないものであった。
以上が、私のなかで宇宙論へのこだわりが生まれ、変容しつつ強化され、やがて冷めていった過程である。宇宙論へのこだわりは存在論的な問いと結びついた純粋に内的なものであり、それは科学という人類普遍の営みによって追求されねばならないという思い込みがずっと私にはあった。ところが、今からこのように振り返れば、そのこだわりと思いは自らが身を置くそのときどきの社会的文脈と実際は切り離せないものであったといわざるをえない。
まず、存在論的問いや宇宙論的問いに落ち込むことは、他者とのコミュニケーションがうまくゆかず人間関係の悩みが強い時に、一つの逃げ道として利用することができた。では、なぜその問いを科学者として追求しようとしたのか。それはもちろん私の純粋に内的な欲求などではない。第一に、世の中にすでにある強力な科学主義に私は煽られ続けた。扇動のための装置は、テレビや雑誌、科学啓蒙書といったメディア、宇宙博のようなイベントなどであった。さらに科学主義は、自らは男であり、科学に強くなければならないという硬直したジェンダー・アイデンティティと絡まりあって増幅した。科学者としては、具体的には理論物理学者のアインシュタインが意識されていた。それが、私に植え付けられた科学者のイメージであった。そのイメージに近づくことで、他者から自らを認めてもらわねばならないという思いがあった。
逆に、宇宙論へのこだわりがなくなるにも、様々な社会的条件が必要であった。それは、理系学生としての挫折、科学を冷めた目で見るよう促した近代科学批判の著作、友人や恋人とのコミュニケーションなどであった。そこでは、自らのセクシズムを問う視点も得た。さらに批判的に振り返ると、私の挫折には、当時の特異な社会状況が作用していたようにも思う。すなわち、私が大学に入学した当時1980年代後半、少なくとも私自身の周りには、バブル経済とポストモダニズムの空気が充満していた。その空気の中で宇宙論研究者になるのに必要な地道な努力を怠り、相対主義という武器を持って安易な科学批判へと逃げ込んだという側面が全くなかったとはいえない。少なくとも、始めから現在のような批判的視点を持っていたわけではない。
以上のストーリーは、一人の人間が宇宙にこだわったケースの一つであるとともに、科学主義という新宗教に一人の人間が洗脳された一つのケースと見ることもできる。いずれにしても、ここでの私のケースが典型的なものだというつもりはない。宇宙へのこだわりといっても、理論物理学による宇宙理解よりも技術開発による宇宙進出に固執する人もいるであろうし、科学主義者の信仰対象には、宇宙論意外の様々な研究分野もなりうるからである。しかし、ここでのストーリーは、他の人々にも共通した経験をいくらかは含むのではないかとも思う。例えば、一般相対論を理解したいと思い続けながら難解で挫折に終わってばかりとか、宇宙における自分という存在を思い畏れの念に駆られるとか、既知の科学知識を適当に利用して自分なりの宇宙観をでっちあげて妄想に耽るような癖は、巷の科学ファンから新興宗教家まで、幅広く共有されているものであろう。
また、ここでの私の自分史は、いまここの私の視点から過去の記憶を探って行ったものである。別の視点から行えば、ここでのものとはいくらかは異なるものになるであろう。しかし、ここで述べた過去の出来事は事実のはずだし、ここでの自分史は、現在の私の特殊な視点から再構成されているからこそ価値があるとも思う。つまり、ここでの自分史の再構成は、まず、私自身が宇宙論へのこだわりからさらに解放されるためのものなのであり、同時に、いま宇宙論にこだわっている他の人が、そのこだわりから解放されるよう促すためのものでもあるのである。
■宇宙イデオロギーからの解放をめざして
私が置かれている状況は、科学に訴えるにしろ訴えないにしろ、宇宙の理解を人間の本質的欲求として必然視し、宇宙にこだわるよう煽る言説に溢れた状況である。ここではそのような言説を宇宙イデオロギーとして定義し、自分史を踏まえて批判を試みた。それが他者に対しどこまで説得力があるかには自信はない。例えば、私の批判は、宇宙論研究者になれなかった者のルサンチマン的反動にすぎないと受け取られるのではないかという不安もある。しかし、たとえそのような要素があるとしても、宇宙イデオロギーは批判されるべきであるし、むしろ、落ちこぼれた私だから見えてくるものもあるに違いないとも思う。
今後も、宇宙イデオロギー批判は続けていかねばならないと思う。なぜなら、宇宙イデオロギーのパワーは、単なる言説の次元にとどまらず、より物質的な次元で支配力を強めているからである。たとえば、日本でも昨年、宇宙開発政策大綱が改訂され、宇宙科学の振興がより強調されるようになった。文部省宇宙科学研究所などは、国家の宇宙開発政策という枠組みのなかで宇宙科学の振興に邁進している。また、ハワイ島での大望遠鏡建設や、鹿児島大学の物理科学科宇宙コース新設といったところにも、宇宙科学の制度化が見てとれる。もちろん、宇宙科学の制度化は科学文化のありうる一つの方向であり、それを悪いと性急に断ずることはできない。しかし、同時に、欧米と比べて日本では宇宙科学の制度化が遅れていることを、科学文化の未熟さの現れ(実利指向の現れ)として欠陥視するよくある見方も、決して自明視できないのではないか。文化としての科学を強調するのであれば、むしろ、西欧近代科学の伝統を絶対視しない方向もあるのではないか。
私は、観念的な文化相対主義を主張するつもりはない。宇宙論研究や宇宙科学といった現代科学を、ありうる科学文化の一つとして観念のレベルで相対化すれば済むとは思っていない。問題はそれらが、欧米とそれに追随する日本という諸国家の世界支配の構造のなかでいかに機能しているかである。このような問題のたてかたは唐突な印象を与えるだろうか。少なくとも、それら諸国家が進める科学技術政策、宇宙開発政策との関わりのなかで、宇宙イデオロギーが果たしている役割を明らかにすることは重要であろう。これらを明らかにすることは今後の課題である。また、科学主義的な宇宙イデオロギーを批判し、さらに、西欧近代科学の延長である宇宙論研究を批判するからといって、それ以外の伝統に魅力あるコスモロジーを求めることも危険である。そのような試みは、単なる自己満足に終わるか、宇宙イデオロギーの一バリアントとして体制維持に貢献するだけではないかと思う。
私は、宇宙に過剰な意味を付与すること、意味の体系として宇宙を構築すること一般に対し批判的である。しかし、執拗な批判が新たな妄想を生まないよう気をつけねばなるまい。批判することで、当初の自らのこだわりからできるだけ解放されてゆくこと。それがこの科学文化に生きる私の課題である。
引用文献
●池内了1994『宇宙はどこまでわかっているか』(NHK出版)
●池内了1995「現代神話の語り部---ホーキング」『ホーキング、宇宙を語る』早川文庫版所収
●佐藤隆文『科学と幸福』(岩波書店、1995年)
●同「問われる科学者のエートス」河合隼雄・佐藤隆文編『日本人の科学』(岩波書店、1996年)所収
●ロバート・ジャストロウ『だれが宇宙を創ったか』(講談社ブルーバックス、1986年)
●Stephen W.Hawking, A Brief History of Time: From the Big Bang to Black Holes (New York: Bantam, 1988). (林一訳『ホーキング、宇宙を語る』早川書房、1989年、文庫版1995年)