市民科学・リビングサイエンス|市民科学研究室
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社会が求める"市民科学者"とは (4/4) 市民で探る、携帯電話電磁波リスクそれからもう一つは今やっているのは携帯電話の電磁波リスクの調査です。 海外のいろんな研究で重要なものをフォローしたり、携帯電話の使用状況のアンケートを取ったり(1000名以上の規模)、東京タワーの時のように携帯タワーの電磁波の強度を計測してマッピングしたり……とかを行なっています。 携帯電話端末は使用者にとって一番近い基地局がどこなのかという位置確認を常時しなければならないのです。そうするとその端末は完全にオフにしていない限り常時電波を定期的にピッ、ピッと出して携帯タワーと交信している。携帯タワーはもちろん24時間電波を出し続けている。したがってその周りに居住している人に対してリスクがあるのかないのか、どれぐらいの強さなのか、ということを調べなければなりません。ところが、これを調べるにはさっき言ったスペクトルアナライザーが絶対いるのです。で、非常に困っていたのです。 とても立派な電磁波計測施設を持っている某大学の先生たちにも(遠方まででかけて)相談したのですけれども、結果的には協力を得られませんでした。「国が安全だとみなして設置を認めたものに関して、私達は再計測する立場にはありません」というのが理由でした。もう困り果てたのですが、幸い、面白いことに、私達の活動の情報をどこからか仕入れたある企業がありまして、それは電波障害や誤作動をチェックする電磁波計測会社だったのです。本社が三重県の伊勢にある企業ですけれども、幸い「面白いことやっていますね、じゃあウチの計測器を使って一緒に測ってみましょう」とおっしゃってくれて、やっと計測できることになったのです(2月末に実施)。NPOがこんな形で企業と連携する例もあるということで、すごくおもしろいなと思いました。 携帯タワーの電波はたぶん弱いのです。日本は欧米と違って、出力の小さいタイプの携帯タワーを使っているのです。ところが弱いかわりに数が多い。おそらく全国に四万近く携帯基地局がある。東京だけでも数千はあると思います。だから、皆さんも歩くときちょっとビルの屋上などを見てください。にょきにょきと、こう立っているのがいくらでも目に入りますから。で、その分布を調べて測ろうとしていのですが、意外なことに、日本というのは携帯タワーの位置も出力も一切情報公開していないのです。管轄は総務省です。アメリカとか欧米はそんなことはないですよ。携帯タワーの位置なんて誰だって知ろうと思えば関係機関で引き出すことはできるのです。なぜ日本でそれができないのか、向こうが言うには「保安上の理由」。“保安上"っ言ったって「携帯タワーなんか誰が壊すのだ?」「あんなとろに誰が入るのだ?」と思うのですが、そういう理由らしい。だけれどもこれはちょっとおかしい。ということで私達は省庁に交渉してちゃんとデータを出しなさい、という話をすすめています。 ということで、こういう専門の勉強に踏み込んで自分たちで体を動かしてやる調査というのは、学者が誰もやらなければ市民がやるんだ、そういう覚悟でやっているわけです。もちろん私は電波の専門家でも何でもない。だけれどもここ2年ほど今述べたような研究をやらんがために、電波工学であるとか、疫学であるとかを勉強してきました。もちろん行き詰まることが多いので、そういうときは大学の先生を、知人の知人という形で紹介してもらって、わからないところを聞きにいったりするのです。そしたらね、こっちも真剣に勉強しているから、わからないことを5項目ぐらいまとめてメールで送ったりすると、これは東工大の先生の場合だったのですが、すばらしい回答を即座に返してくれるとか、そういうこともありました。そういうサポートはすごく嬉しいし、きっとその先生にとっても面白かったのでしょうね。ということで、お互いそういう刺激を与え合える関係になるとすごくいいな、という経験をしました。東京タワーについても、拓殖大学にある先生がいらっしゃるのですけれども、その先生は1983年に1度詳しく電磁波強度を調べたことがあるのです。もうだいぶ前の論文ですからデータも古いのですけれども、理論的な部分での指導を受けようとその先生のところ出かけたのです。すると、となんとね、物理実験室に私達の参考になりそうな計測機器とか文献とかをズラーッと並べてくださっていて、なんかもう一大個人授業を受けたような形になっちゃって、すごく楽しかったですよ。だから、大学の先生もニーズのある市民が真剣に接して来る場合は、自分のやっている研究が社会にとって意味を持つことに意を強くされて、積極的に情報を提供してくれる−−私はそういう感触を持っていますので、別に大学の外にいるからといってアンチ大学の立場をとるつもりは全然ないのです。そういうつながりを作っていきたいということがあります。 それから、学生さんにとってもNPO活動が意味を持つ場合もあります。例えば東京タワーに関する学術論文を書いたのは私と大学4年の女子学生の方ですが、その人はこの研究を卒業研究でやったのです。東京理科大の学生さんですが、その人が所属している研究室の先生と私が知り合いだったものですから、その先生の紹介で私たちの所にやってきたのです。勉強会に参加したわけですが、すごく熱心にやるし、パソコンでのデータ処理も上手いので、「これは力になるな」と私は思い、6月ぐらいの段階で「本格的にリスクのことを論じるには統計学や疫学が必要だけれど、一緒に勉強しますか?」と提案したのです。そうした勉強も見事にこなして、論文と学会発表にまでこぎつけたというわけです。だから、このように大学の学生さんとNPOが今後うまく連携して、学生が育っていく一つの場としてNPOを使うということも私はありえるかな、と思っているのです。私達の側も受け止めて育てる力量がないとだめなのですけれど、今後もこの可能性をうまく追求していければと考えています。 まあ、私自身はフリーで活動していますから、生活収入の面でははなかなか厳しいのですけれども、仲間と一緒にやっている活動なので、その点楽しい新しい出会いが次々と生まれてきますし、企業や大学や行政との面白い連携や新しい接点も出てきています。「よしこれもやってみようか」みたいな、新しい課題との出会いもあるから、十年続けてきてほんとによかったなと思います。これからもどんどん活発にやっていけだろう、そういう勢いも感じています。初めは不安もあったのですけれども、幸いたくさんの素敵な友人たちに恵まれたおかげで、なんとか続けることができています。10年前には予想できなかった“豊かさ"を享受できるようになれて、ほんとによかったな、というのが実感です。 私が市民科学研究室をとおして行なっている活動のスタイルは、まず意識ある市民がちょっとがんばって自分なりに調べたり、意見を言ったりしていく。そういうのは一人では苦しいからチームを作ってやる。そして生まれてきた活動の成果を、自分達をサポートしてくれている方々に還元していく。それで、一歩でも半歩でも世の中が改善してくる方向で貢献したい、と。で、その人自身もそういうことをしかけることによって自分の人生を豊かにしていく、そういうスタイルを大事にしたい活動だと思っています。ですから、市民の主体性、というようなものが一番のポイントになります。そういうことでやっていますので、“市民科学者"と偉そうに言えるものではないのですけれども、一応科学を扱って、アカデミックセクターだけに限定されない研究調査活動を展開していく可能性を私達は提示していこう、ということで「市民科学研究室」と呼ばせていただいている次第です。えらく長くなってしまったなー。ごめんなさい。そんな感じです。 NPOっていろいろありますが、その中で科学技術をテーマにしているところももちろんあります。非常に専門的な解析能力が高くて、世界レベルで情報を発信しているところの典型としては、故・高木仁三郎さんたちの原子力情報資料室があります。あるいは世界的なネットワークで言うとグリ−ンピースみたいなところがあります。それから、消費者の立場に立って食べ物などの安全性とかを追求している日本消費者連盟であるとか、最近本を出して売れている日本子孫基金とかがありますね。 そういうところと私達の違いといいますか、私達なりの特徴というのは何か。私達ももちろんプロジェクトのなかでは、例えば電磁波プロジェクトなんかはそれに相当しますが、市民からの相談を受けて専門的な能力を発揮してアドバイスするとか、情報を提供するセクションも持っています。しかしそれはまだ限られていて、そのような機能をしっかり拡張してきたいという意向は一方ではあるのですが、もう一方では育てる場を持っている、というかそれを狙っている、というところがあります。だから学生さんであれ、普通の主婦の方であれ、だれでも関心はあるけれども「どう勉強したらいいの?」とか、調査研究とか言われても「私にできるかな?」みたいに思っている人に、「いや、やってみればできるよ」という引き込み方をする場を提供するというのが、たぶん私達のグループの特徴ではないかな、と思うのです。 ちゃんと説明しなかったのですが、朝日新聞の記者の人とやっぱり前もって知り合いであったということは一つ大きいです。知り合う経緯を話しますと、私達は私達で自分の取りたいデータを取らんがためにやっていて、別にそのことを広報するつもりも何もなかったのです。ところが、10年近く電磁波問題でずっと活動している「ガウスネット」というそれこそ電磁波問題専門の市民運動団体がありまして、そこは独自の調査研究はしないのだけれども、全国に例えば高圧線建設反対運動などに取り組んでいる市民グループがいくつもあって、それらを束ねて各地に情報をまとめて提供している、という団体なのです。で、反対運動なんかが起こると、マスコミはちょっと注目しますよね。それもあって、ガウスネットは新聞記者との関わりがあったのです。で、ガウスネットの人がじつは私達の調査研究に注目して、ちょっと一緒にやれる分はやってみましょうということで動いたのです。あれは東京タワーを調査している2001年の8月頃かな、ガウスネットを通して私達のことを知った女性の記者の方がいまして、一度私達の調査に同行したのです。同行して話をしているときに、私達がただ単にメーターを持って記録をとっているだけじゃなくてなんか相当勉強しているな、ということを向こうが気づいたみたいで、これは面白いかもしれない、という感触を持ってくれたのですね。「東京タワーのことも海外のタワーと比較するといろいろ面白いことがわかるのですよ」と言うと記者の方が、「そうですか、それは勉強させてもらわなくちゃ」という感じになって、ある程度データがまとまった段階でそれじゃあ記事にしましょう、という具合になったのです。そして、 11月に記事になったのです。 このように記者の方とお付き合いができること、つまりこちらの専門的な踏み込みも浅くないぞと感じてもらえ、何か社会に訴えたいものを持っているということを記者の方にアピールできれば、あとはいい記者は動くものです。いったんそういう関係ができちゃえば、私達が継続的にやっていく限り、その方は動いてくれるわけです。そういうマスコミの使い方というのが一番順当かな、という気がしています。 出会いの機会は実に様々ですが、やはりこういう場やワークショップの出前で知り合いになった方々が多いですね。今後期待できるのは、私達のスタッフがいるでしょ、そしてそのスタッフの周りに時々会える会員がいるでしょ、その会員の方々の子供たちが育ってきていることです。つまり、中学生だったり高校生だったりする世代の方が周りに増えてきている。そうすると、さっき言った学園祭があるから「ちょっと来ない?」とかいうと、その子供たちが来るわけです。そしたら、ああなんかおもしろい大人がいっぱいいるじゃない、ということで、私たちの活動に興味を持ってもらえる。 そういういろんなケースがありますが、ただ、せっかく来てくれた人を失望させちゃいけないというのはあって、その辺が一番気を使います。ほんとにね、離れられちゃったらもう僕らは終わりなのです。一回こういう研究発表やってもね、「なんだあそこ、あんな勉強してないやつが発表しているのか」と思われちゃったらもうそこでアウトですから。そういう意味でははっきり言って怖い面はあります。 例えば電磁波プロジェクトで言うと電磁波の専門家は誰もいなかった。でもね、私は生物出身。それからもう一人大学院生の方は工学出身。それから、昨年論文を一緒に書いた女子学生は物理専攻でコンピューターにも若干強い。そういう特性がちょっとずつあるのです。ですから、ダイレクトに専門そのものでないまでも、ある程度理科系の素養のある人がいるというのは、やっぱりある程度必要かと思います。もしそれが欠けている場合は、半年ぐらいは基礎的な勉強を効率的に進めるための何かが必要でしょう。勉強会のメンバーの中には本当にまったくの素人の方もいますから、その方々には個別に、「この本だけはちょっとがんばって読んでおいてください」「それでわかんなかったらいっぱい質問していいから」などと指示を出して、後で個別指導をすることもあるのだけれど、基本的には勉強会を積み重ねながら、みんなちょっとずつ、「あっ、私はこの部分が全然足りない」ということを自覚してもらいながら勉強していくわけです。 でもやっぱり、例えば統計の手法を全然知らないだとか、それからパソコンが全く扱えないだとか、単位のことがさっぱり分からないとか、そのレベルだとさすがに苦しいです。だから、それを集中的に学べる何らかのいい機会を提供できるよう私達が工夫しないといけないのです。あるいは、そういうときに大学の先生に協力してもらって、私たちのところに来てもらって、物理で出てくる主要な単位の話を1日でしてもらうだとかね、何かそんなふうにできればすごくいいのじゃないかと思います。それはまだ実現していませんが、理科系の素養は全くないけれども関心は人一倍強い人がそういう講習を1日受ければ、多少なりとも専門論文をかじることができるようになる――そんな授業のスペシャルバージョンを外でやってもらえるコースを作れたらいいな、と思っています。 そうですね、計測データを取る必要があるのは電磁波プロジェクトだけですが、文献調査というのはどのプロジェクトでも必要ですし、文献調査が中心になるような類の研究もあります。しかし文献を求めて歩き回らなければならないだとか、インタビューしなければいけないとか、それから、文献の作業といっても自分でそれからデータを引っぱってきて統計解析しなおさなければいけないとか、そういう類のものはけっこうあるのです。だから、そういう意味ではただ単に文字を読んで要約して意見をまとめる、というだけに終わらないものはいっぱいあります。 プロジェクトの中には直接体を動かすものなんかもありますよ。さっき言った家作りなどはまさにそれですし、ワークショップなんかもそれに近いかな? それから、文献といっても時事情報を追っていく場合は、必要なニュースを選び出して読みこむというのがメインになりますから、専門書を読むというよりはいろいろなメディアに幅広く目配りして、ぱっと取ってきて、わからなければワッーと調べるみたいな、そういう機動力が必要です。だから、それぞれちょっとずつタイプが違う感じがあります。 だけど、どのプロジェクトに関しても基礎的な勉強が必要だということはあって、そういう場合はいいテキストを使って集中的に輪読会みたいなのをやって勉強しちゃう、というやり方が欠かせないですね。科学館プロジェクトなんかでもそうです。やっぱり、最初立ち上げのときに科学館の歴史だとか行政面だとか、そういうのを勉強しないと話にならないので、そういう部分はもう一気に基本的な書物を大量に読み込んで誰かにまとめて発表してもらう、みたいなことをするわけです。 その問題にはいろいろな側面があります。一つは、スタッフがしっかりしなければならない。これは組織の必須条件ですけれども、スタッフには活動に費やせる時間がたくさんなければならない。市民科学研究室のスタッフについてみると、僕はフリーでしょ、右腕の小林さんはフリーライターです。それから、左腕と言ったらいいかな、運営面の補佐をしてもらっている薮さんは主婦です。夫がいらして収入がしっかりしているから自由な時間を比較的たくさんもってらっしゃる。その3名に加えて2ヶ月交代で編集委員を選びますが、それを担える人は大体1日の数時間は自由に自分なりに使える人たちでしょう。だから、スタッフはある程度時間が自由になる人でないとちょっと苦しい。 それから、調査研究に関してはもうこれはかなりはっきりしていて、やっぱりある程度専門能力があって今やっているプロジェクトに近い専門領域を専攻している大学院生、あるいは大学の研究者だけれども大学の研究室には所属していなくて非常勤で教えている人とかです。あと、基礎能力はまだ身につけていないけれどもものすごく意欲のある学生さんなども狙いたいです。 一般の会員の方々だとか短い原稿を時々書いてもらったりする人とか、「ちょっとあなたのいる場でこのことを調べてもらえませんか?」と依頼できる人……こうした人々の厚い層が周りにあることが肝心です。私たちの活動に関心をもってくださり、直接間接に支援していただくことで、スタッフもプロジェクトも元気にやっていけるのですから。 私たちは自分たちの活動に可能な限りいろんな人に注目してもらいたいと思っていますからどんな人にでも参加を呼びかけますが、ただいったん中に入ってきたとなれば、今いったような参加の度合いや能力に応じた階層構造があると思うのです。 私達もこれからもうちょっと積極的に呼びかけていこうと思いますので、是非ご協力していただければと思います。 自己責任の問題ですね。僕はそういう側面は必ずあると思います。市民が社会をよくする、ということはなにも、自分を横に置いて社会の責任を論じることではなくて、要するに自分で責任をどこまで引き受けるか、という問題だと思うのです。科学技術社会に生きているということの意味は、科学技術は難しいから知らなくてもいい、与えられたものを上手に使いこなせばそれでいいという態度そのものが、場合によっては他者を苦しめる被害を生む、加害の側に立ってしまうという可能性を私たちは常に持っている、という点にあるのです。 どういうことかというと、例えばいろんな商品を買いますよね。で、その中のある商品がリスクを持っていて危ないということが後で分かったとします。それで一部の人たちに被害が集中したとします。でも、その商品を買ったが被害は受けなかった人には責任がないのかって言うと、そんなことは決してないですよ。だから、社会の一員としてあるものを受容して、そのものを通して何かリスクが生じた場合には、必ずそのリスクは自分にかかる分もあるし、他者にかかる分もある。原発なんかもそうです。原発の周辺に住んでいる人達がかかえるリスクは、今自分の使っている電気のためにもたらされているという面があるのではないか、ということですね。つまり、原発のリスクというのは電気を使う以上やっぱり使う者が自覚して考えなければならないのです。例えば放射性廃棄物についてどうしたらいいか、自分なりに考えなければならない。知らされていない、というのはある種の言い訳で、やっぱり知ろうと思えば知れるのです。ただ、私達は全部を知るのは無理です。でもどの問題もどこかでつながっているので、どこかしら自分にとってゆるがせにできない入り口を見つけて、そこに関して自分なりの責任はこうじゃないかな、ということを考えていく。それが主体的な市民の姿勢だと思うのです。 だからそういう市民の主体性を作りたい、というかな、自分たちでそういう生き方を生み出していきたいから、ちょっと積極的に関わっていきませんか、と呼びかける。積極的で自覚的な生き方をすれば、いわゆる勉強も前向きに取り組める。面白くなるわけです。そして自分の責任をより明確に自覚してそこから行動できるようにする。それが基本です。 そのためにはやっぱり教育がすごく大事なのですが、今までの理科教育ではどうも積み上げられた知識を取り込んで理解するということだけが先行していて、学ぶ側の主体性が損なわれている。理科教育の捉え方を変えていくというのも、私は取り組みがいのある面白い課題だと思っています。 そうあってほしいですね。専門家、非専門家に二分されちゃうような線引きが世の中でなされているのですが、じつはそんな明確な線はないと僕は思っています。要するに専門家というのは、専門的な資格を持ち特定の職業についている人のことをいうのです。非専門家はその職業についていないけれども、じつは学部学生時代に勉強したりして関心は持っている……などということはあるのです。だからそれを持続し若干勉強を深めて上手く自分の生活につなげるということすれば、そんな「私は素人だから……」などと自分を卑下する必要は何もないのです。そういう意味でもっと自由に学問というものを捉えたい。必要だったらいつでも必要な時期にかためて勉強できるのだ、勉強すべきなのだ、という捉え方が僕はいいと思います。それは一人では苦しいから、それをサポートする誰かがいる、NPOがある、あるいは大学の教育がある、という具合に仕組みを変えていきたい。 じつはそれはいくつか段階の違う話になるのです。 もし私達がまともなデータをまとめずに東京タワー周辺は危ないよというようなことを集会で言ったとします。それは、はっきり言って専門家に相手にされないか、あいつらはいいかげんなやつだ、とみなされてしまう。要するに、危ない危ないと市民を煽る連中がいる、そいつらと同類だ、と見ちゃうのですよ。だから、同じ土俵に立ってないから向こうはこちらを相手にしない、というのがまず第1段階。第2段階は、同じ土俵にのって自分と見解が違う、という状態。その場合に専門家は反論をしてくることがあります。公正に対等に議論できればそれはしめたものなのです。 ところがそこまでなかなか行かないのです。つまり、せっかく僕達が専門誌に論文を書いても、「ああ論文書いたの、それはそれでいいんじゃないの」とは言うのだけれど、要するにリスク論争に持っていかない人があまりにも多い。予め論争に踏み込まないような立場をとることがあたかも“中立"の立場である、と錯覚していのではないか、と思いたくなるような傾向が多くの学者にはある。私達は、この東京タワーの論文はこれはこれでデータとしてまとまっているからいいのですけれども、やっぱりどっかしらこのデータを電磁波のリスクを考える上で活かしたいわけです。電磁波の専門家がリスクは自分の一番の専門じゃないから関わりたくない、ということで初めから敬遠しちゃう人達も多いようなので、なかなかいい論争ができないというのが現状ではないかな、と思えるのです。だから私たちが上手く論争をしかけていかないといけない。そういう意味では厄介ですよ。 そうですね。プロジェクトに関わろうと入ってくる人にはそれなりのモチベーションはある。ただ、いったん専門的な勉強や調査が始まると、ある程度モチベーションが高くないと脱落しちゃうのです。で、そこをどうするか、というのが一つの大きな問題です。で、そこは仲間で励ましあうだとか、「今のが難しければもう少し別のものを読んでみる?」だとか、その辺のコントロールは微妙なので、僕とかね、中心になるプロジェクトリーダーとかはその辺に神経を使うと思うのです。集まるといったってみんな仕事を持っているから、同じ日に集まるだけでも結構大変です。日時の設定だけでも。 だからいろいろな問題を抱えてはいますが、今言ったモチベーションを作る役割はプロジェクトじゃなくてむしろ土曜講座の方です。つまり、いろんなテーマでやっているわけですが、問題はこういう集会に来てね、知識を吸収してもらうというよりね、私達はこういう問題を感じている、ということを伝えたいのです。それが向こう側に伝われば向こう側のモチベーションがぐっと上がります。で、上がったのだったら後はどうするという問題でしょ。そこで、「研究の受け皿があるよ」「つっこんでやるのだったらこういう方法があるよ」「他のNPOもあるからこんなところに関わってみますか?」などといろいろな紹介のし方ができます。 ないわけじゃないのですが、その辺は微妙な問題があるのです。つまり、現実に被害や加害が生じている、あるいは被害・加害が起こる可能性が集中しているその現場とその周辺の人たちは、じつはNPOとかそういう形態をとらなくても住民の人達でむちゃくちゃ勉強している場合があるのです。それはまれなことではなくてよくあることなのです、原発に限らず。道路の問題にしてもそうです。だから、作る役割はプロジェクトじゃなくてむしろ土曜講座の方です。つまり、いろんなテーマでやっているわけですが、問題はこういう集会に来てね、知識を吸収してもらうというよりね、私達はこういう問題を感じている、ということを伝えたいのです。それが向こう側に伝われば向こう側のモチベーションがぐっと上がります。で、上がったのだったら後はどうするという問題でしょ。そこで、「研究の受け皿があるよ」「つっこんでやるのだったらこういう方法があるよ」「他のNPOもあるからこんなところに関わってみますか?」などといろいろな紹介のし方ができます。 NPOの活動の原点は何であるかと言うと、今言ったような厳しい現実を抱えている現場というかな、そういうところで数人規模でやっている学習会だとか、本当にもう長年闘ってらっしゃっていろんな資料を持ってらっしゃる方たちの取り組みだと思うのです。そういう活動をいかに支援していくか、というのが私達のようなNPOの大事な仕事なのです。だからね、もちろん呼んできてもいいのだけれども、呼んで話を聞いてその後なんの関係も持たなかったらそれは何の意味もない。関わるのだったら、そういう場に全面的に関わってそれこそ自分もその一員になるぐらいの覚悟でないと、そんな簡単にはできないのです。だから、そういう意味で、今のご指摘はかなり鋭い指摘だとは思うのですけれども、私達のところでは本気でそうやって関わってずっと支援していくぞ、ということでない限りそう簡単には人は呼びません。 もちろん深刻な被害で苦しんでいる人や今抱えている問題がすごく大きい人たちとのつながりもあるのですよ。僕自身は何人もそういう人関わってるし、例えば電磁波プロジェクト一つとっても、電磁波過敏症で苦しんでいる人が僕のところに電話をかけてきて、その人の所に僕が出かけていって計測をしたり…… ということも何回もあります。水面下にはそういうつながりはあるのですけれど、表立ってみんなに見せる形でぱっとやっちゃうのはちょっとそぐわない。そういう側面があることを理解してもらいたいです。 それは納得がいくし、問題解決にNPOがそういうふうに寄与できるのなら、私達もそうしたい、と思うところですけれども、ただ、現実にはなかなかそうきれいにはいかないケースがたくさんあってね、その場合は悩みます。やっぱり被害を受けて苦しんでいる人はそれを救って欲しい、とにかくいち早く解決して欲しい、という思いが強くありますから。第三者的に、こんなふうに仲介できるのですよ、こんなふうにやれるのだよ、と提示したとしても、それに時間がかかりいろんな条件をクリアーしていかねばならない場合などは、「おまえ達は俺達を支援してくれないのか」ということになるケースもありますから、なかなか苦しいです。ただ、今おっしゃった方向というのは、方向としては正しい。 私はじつは、もし上手くプロジェクトが育ち、その中で高い専門能力を持った人が数人でも育てば、それをむしろ組織として独立させたいのです。原子力情報資料室のような能力を持っているNPOってもっとなきゃいけないのです、日本は。もう、だって、比べられないですよ、他の国とは。これだけ問題が起こっているにもかかわらず、処理にあたれるNPOが少ないのは。だから、どんどん育てなきゃいけない。 ところが、育てるというのはなかなか難しいことです。原子力資料情報資料室みたいなところが他の分野でもどんどん生まれてこなければならないとすれば、私は、育てる場というのが組織自体の中にもなければならないし、それ以外でもなきゃいけないと思います。だから、一番いいのは、今述べたようなプロジェクトが世の中にも注目されてその仕事のニーズがしっかりとあってしかもそれをきちんと担っていけること、さらに育てる場と連携を持っていてスタッフ的な人を送り込んでいけること、という体制が持てることでしょう。それができてしまえば、もうそれは独立しちゃって、例えば市民科学研究室で言うと電磁波プロジェクトなんかそうかもしれないのですが、“電磁波なんとか研究所"みたいなのができて、そこに学生を送り込むシステムがあって、原子力情報資料室的な分析ができる、という具合になることでしょう。 こういう体制づくりの流れを、私たちの活動の中から生み出してみたいのです。 たぶん私の個人的な資質だと思います。私は大学を離れるときに「やっぱり専門家が上にいて教え下の者を引っ張ってく、みたいなのは嫌だな」と思ったのです。そうじゃなくって、自前で下からできるような方法をなんとか作れないかな、ということを今の活動を始める当初から考えていました。で、それができているとはまだ思いませんけれども、少なくとも「専門家というのは私たちにとっては有用な利用対象なのだ」とみなすことができるようにはなりました。比喩的に言うと、例えば高木仁三郎さんみたいな人がいて、第2、第3の高木さんが生まれてくれば、それはすばらしいことですよ。そういう人が能力を発揮して世の中貢献する、というのは大切ですから。だけど、その方向だけでは私は満足できない。“下から育っていく"動きがほしい。必要なときに必要なことをこなせて、それをきっかけにしてぐっと伸びる、みたいなね。そういう流れがあった方が世の中窮屈じゃないし、全体としては楽しいし、前向きになれるのではないかな。 まあ、そういう感覚的な指向が私にはある。だから、私は自分自身のことでいうと生物が専門ですけれども、いくらか強い生物の面でガーッとやろうというのではなくて、いろんなテーマを扱って、面白い人がいたらその人にふさわしい配置を考えてみて、「これやってみない?あれやってみない?」みたいなことをしかけていく。そう、ロジスティックスっておっしゃったけれども、そういうところに生きがいを見出しているということでしょうね。 東京大学「科学者との対話」ゼミ(第12回2003年 1月15日、東京大学・駒場キャンパス)における講演&質疑の全記録 ・STSから見た物理リテラシー ・市民のための科学と科学技術基本法 ・開かれた理科教育に向けて ・運営委員を体験して
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はじめに 市民科学研究室の活動の概要 素人による研究発表 ここ2年ほどの研究発表テーマに即して 自前の研究発表で貫いている二つの原則 調査研究のためのプロジェクト 新しく発足したプロジェクトや勉強会 東京タワー電磁波調査のこと 東京タワーの周辺はどれくらいの電磁波の強さか? 市民で探る、携帯電話電磁波リスク どのようにして専門領域に踏み込むか 市民の主体性によって成り立つ“市民科学" 学生の皆さんとの質疑応答 Q&A
・ 会員になるには
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